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薬を勝手に辞めて怒られた話/230808


かつて1日40錠飲んでいた薬を辞めた。
こういうケースもあるんだよ
、という一例のお話

参考にはならないかもしれないけれど、何かを考えるきっかけになっていただければとシェアします。

あれは2020年の1月


2019年の11月には双極性障害の治療薬であるリーマスの飲み忘れが増えていた。
減薬、断薬の記事のように「必要ない」または「次何時に飲むんだっけ」「薬飲んだっけそーいや」といった薬の存在を忘れるようになったからだ。

リーマスは血液の中で同じ濃度を保つように飲まなければならない薬で、つまり飲み続けなければならない。
なので当時はよく血液検査もしていたし、しかも投与量もMAX手前くらいだった気がする。

確かに当時は今よりも明と暗、躁と鬱がハッキリしていたと思う。
極限まで色々なことを我慢し、また体調が上がれば短期間で予定を詰め込むようなこともして、その予定がダメになって更に落ち込んで、という波がかなり繰り返されていた。

だけど今思うに精神的な躁鬱というよりは身体的な躁鬱が大きかった気がして、体調がしんどい期間を過ごして元気になれば、最初は恐る恐るでもやりたいことをしたくなるのは当たり前なのではないかとも思う。

そのコントロールが下手だったから結果的に躁鬱になってしまったのだろうと分析している。

飲み忘れるのならいらんやろ


2019年12月

飲み忘れる=いらないのでは、と思い始めた。
だけど勝手に辞めるという御法度を20歳から精神科に通っていて知らないわけはない訳で、それを上回る理由があったのだ。

子供が欲しい

これだった。
当時の恋人との間に子供が欲しかったのだ。
理由とか現実的なものとか、それよりも本能的にそう思って、おそらくその想いが潜在的に薬を遠ざけた。

本能ってすごいとこの頃から思う。
本能で求めていることのためなら人間はなんでもできる、だからあれこれ考えるよりも本能や体や心が求めているものをちゃんと理解しようと思ったのもこの頃から。

当時服薬していたリーマスは妊娠禁忌薬。
奇形などのリスクが上がる話を当時の主治医が「完全なる相関関係は無いにしても」と、医学本や図などを見せてしっかりと説明してくれていた。

だけどいくら自分で調べても「本当に躁鬱かなぁ?」が拭えない、納得できない部分もあった。
でもそれ自体も躁状態なのか?という自問自答は今も続く。



ずる賢さ発動


2020年1月末の診察リーマスを1ヶ月以上飲んでいないことを伝え、めちゃくちゃ怒られた。
2019年12月の診察時点で既に飲んでいなかったからだ。

まぁそうだよねと思って、真剣に目の前で私のために怒る主治医に心から申し訳ないと謝った。

「信頼関係が無くなるでしょう」と「いやごもっとも」と思うことを言われ、平身低頭謝りつつ、でもこれしか手がないとも思っていた。

「辞めたいです」とは以前から言ってはいたし、この先生が死の警告をしてくれて超絶しんどかった減薬断薬を導いてくれた。
人生で一番最悪の時に向き合ってくれた先生で、優しさの中の厳しさ=愛情が理解できたような、とても良い先生だった。

だけど薬を辞める、しかも双極性障害のように基本的にずっと飲まなければならない薬を辞めるということは精神科医の方が簡単ではない。
それも良くわかっていた分、「待ってられない」と思っていた。

証明したかった


既に服薬を完全に辞めて1ヶ月が経ち、とっくに血液の中からはリーマス、炭酸リチウムは消えている。
そしてこの1ヶ月以上何も起こらなかった。

「起こらなかったという証明」をするのに1ヶ月が必要だったのだ。
おそらく主治医もそれを理解していた。

「どちらにせよもう体からリーマスは抜けてるから、一度辞めよう。
 その代わり何かあったらすぐに飲んでもらうから」


静かに怒り狂った最後にそう言ってもらい、それから私は3年半以上、リーマスを飲んでいない。

この戦いに終わりは無く、死ぬまでこのセーフティガードを指標として生きていく覚悟はできている。

安心なんて無いし、寛解なんて無い。
薬が必要にならないために生きるのみだ。



セーフティガード


めちゃくちゃなやり方の私をなんとか再び信じようとしてくれたこの先生を裏切りたくない。

20年の精神科通いで一番力になってくれたこの先生を裏切りたくない、この気持ちが強くなっていた。

だけど薬を飲むのはもう嫌だ

そのやり方を通すためには社会に馴染まないといけない
社会に参加しないといけない
だから「普通」になりたい

生活保護ではなくて、
自立支援なんか使わなくて、
障害年金なんか無くて、
体調にいつもビクビクせずに、
仕事や恋愛、人間関係、頭の中だけで悩みたい

それから先生に言われた注意事項を徹底的に守るようにし始めた。
以前も何度か書いているこの注意事項を、そもそもそれを発動しないようにしたれ、と実践したのだ。

・お化粧や服装が派手になる
 ▶︎お化粧はアイメイクをやめる
  服装は全身真っ黒にする

・多弁になる
 ▶︎ゆっくり話す、そもそもの行動をゆっくりする

・人間関係で揉める
 ▶︎極限まで我慢しないようにする

潜在的に薬を飲みたくない、が、今となっては性格や好みになっているので、だから病気と性格の境界線はグラデーションになっているのだと思う。

アイメイクをすること、色のある服に興味は無くなり、ゆっくり話すって綺麗だなと思うし、そもそも人間関係で我慢するのは根本的な人間関係が築けていないとも思うようになった。

薬を飲まないようにするための行為が、結果的に自分を助けるとわかるし、それを侵したら薬が近づいてしまうと怖くなるようになった。

それでも人間


時々アイメイクをしたり、時々可愛いかっこをするし、テンションが上がったら早口になるし、納得しながら相手を想って我慢をすることもある。

双極性障害ベースで見たらヒヤッとする。

でも、人間てそんなこともあるよね?と思うのだ。
程度問題というわけで、そのバランスを保てることもまた努力でもあり治療でもあるのかも、と。

病気ベースで考える危険性はここにある。

誰もが病気の因子なんて持っていて、それが社会で生きていけないのなら治療が必要だ。
敏感になりすぎてはいないか病気に当てはめ過ぎてはいないか。
その頃から中庸、バランス、グレー、そういうものを意識し始めた。

お化粧も質素で服もいつも真っ黒、喋り方もゆっくりで何も我慢しない、は、まだまだ双極性障害を意識しているから抑圧できている。

その次に必要なことは、自分でコントロールするというフェーズに入ること。

派手になったり早口になったり我慢しつつも、デフォルトは化粧っけなく真っ黒でゆっくりで我慢しない。
時々そうじゃない自分だっているじゃん、と。

気質、性格


冒頭で「コントロールが下手だったから躁鬱になってしまったのだろうと分析している」と書いたけれど、今思うにそれは性格なのだと思う。

本来の気質としてはどんどん外に外にやりたいことを自分でどんどんやっていきたいのに、現実は身体が言うことを聞いてくれないし、脳のエネルギーが身体をも侵食し、応えられず、更に現実もうまくいかないといったストレスやフラストレーションがそういう結果をもたらしたとも思っている。

つまり気質や性格がかなり大きいんだろうなという結論。
というのは、心理学検定の勉強をして思ったこと。
人間には気質があって、その気質が病気の発露になりやすいのだ、と。

クレッチマーも言うとる



地元に戻って転院した病院の先生と話していてこう言われた。

「…ほんとに双極かなぁ!?笑
 あのね、躁鬱ってそんなもんじゃないよ?
 漱石知ってるでしょ?
 作品単位で性格違うじゃん。
 あれが躁鬱なの」


思わぬところで引用される漱石乙
しかも漱石読んだことないんやすまんな学がなくてな

そう、確かに多弁になってはっちゃけることもある、あった。

だけど鬱にならないのだ。

その多弁やはっちゃけも短いと1時間とかそんなもので、その後パニック発作に移行して終わる。

だけど遥か昔は確かに鬱だった。

いつからかそれが無くなり始め、そして2年前の積極的分離に繋がる。
なので鬱で起き上がれない、しんどい、が、実は未だによくわからない部分がある。

私の落ち込みは体調が悪い、体調が悪いからできないことばかり、そんな自分が悪い、がいつも原因だからだ。
全てが体調ベースで、そこに脳みそのエネルギー過多やあれこれの障害が複雑に関係している気がし始めた。


だけど未だに働けていない事実


でもその原因も体調が悪いが全ての発端

適度に自分を信じ、愛していると思うし、現実も見ているとも思う。
そこらへんの悩みというものはあまりない。
強いて言えば似たマインドの同性に出会えないとか仲間がいないとかそんなものだし、昔よりはいるし。

この、原因不明の身体の弱さは現在、どの科お医者さんをもってしても解明できていない。

以前やった有料のBig Fiveで出ていたように、ストレスの量そのものは普通なのに、その耐性が著しく弱い、しか現時点では説明がつかない。

基本が60-80点からすると
著しく低いストレス耐性


まぁそれはもう仕方ないので与えられたカードで戦うこととする。



それでも薬を辞めてよかった


勝手に薬を辞めたことは良くない。
でも世の中には善悪だけで簡単に判断できないことしか基本ない。
善悪の二元論にしたいけど、不可能だとも思うくらい。

別れたカップル、仲違いした友人関係の両方がお互いの言い分を持っているのが全てだ。
視点の分だけの正義がある。

そして何より、当時の自分より遥かに健康で元気に(これでも)自分を責めることも落ち込むこともかなり減って、しあわせにやれている。

これからまた服薬するかもしれない。
それはそれで、そうなったらそれで対処するしかないだろう。

とにかくあの先生はみんなにおすすめしたいほど良い先生だったと力強く伝えて終わる。

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