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目の前で生まれ変わった同級生/230621
人は何歳になっても変われるんだなぁという実感は私に対しても希望をもたらしてくれるという話
真逆の同級生
高校時代から仲良くしてもらっている同級生がいる。
まるで、本気で、真逆の性格で性質。
いつも彼女は「私たち本当に真逆だから良いのね」と言うほどに、真逆。
私の周りにいる古い付き合いの友達はなぜかMBTIが全員INFPで、私が言うのもなんだけど常識人の皮を被った変人という感覚だ。
おそらく常識人の皮の下には私の性質がいて、それを理性や責任感や調和のために頑張って頑張ってひた隠しているのに、隣にいる私は何も気にせず皮を被らないで剥き身でへーきそーに生きているからかと思う。
代替行為ではないか、と。
だから「自分だとこんなことは調和を乱すし許されないから絶対しないけど、保留がそうする理由、わかるわぁ」みたいな部分もあるし、あまりに自由なので「どーしてここでそれする/言うかなぁ!」とかもなるんだろう。
大半の人は後者の割合が高く、
私の古い友達は前者の割合が高いのかもしれない。
それでも2年前までどうにか皮を探して被っては、被りきらなかったり我慢できなくなったりして私自身も苦しんでいた。
今の私は当時とそこら辺が180度違うので自分は小狡いしやりたいようにやれているので「便利な私」を好きだった人はいなくなった。
完全剥き身の私と、彼女らは親和性が更に上がったらしい。
A型/長女の同級生
なんだかんだ高校生の時から手紙のやり取りを今も不定期で続け、関係性は変わっていなかった。
本当にしっかりしていて、お家も消毒の香りがするほど綺麗で、本当に面倒見も良くて、本当に調和をとる人で、私のような変なやつに対しても「あーはいはいはい」みたいなハードな手懐け方をしてきたようにも思う。
もちろん愛を持って。
子供が苦手な私でも彼女の子供たちは好きで、なぜか子供たちも私を好きでいてくれるらしい。
よく彼女が言うけど「保留ちゃん◯◯なんだって〜って言ったら「えー!そうなのー!?」て言ってたよ笑」と私の話もよくしてくれるらしい。
子供×保留は教育上いかがなものか
とは思いつつ、聡明な夫婦のもと、愛情深く育てられた子供たちはやはり聡明で、私が描く絵の手元を瞳孔ガン開きで見ている姿を見るのが好きだ。
何より、自分がいない場所で自分の話をしてもらえるのが私は大好きなのだ。
だからそれが悪口でも「やったー」と思う。
いないところで主人公になれるってすごいことだもん。
25年間、誕生日が覚えられない
「あれ?今月誕生日じゃなかった?
◯日だっけね」
「毎年間違ってるよ笑
▲日だよ〜」
そう、毎年覚えられないのに今年もやってしまった。
15年ほど前に「もう覚えなくていいよ」と言われたので本当に覚えていない。
数字自体、他にも記憶力はずば抜けているのに誕生日が覚えられないのだ。
不思議だ。
深層心理では他人に興味が無いのか、そんなはずは(希望
そしてあろうことか、誕生日を2日間違ったのに
あー、、、すまぬ、、、
今年は2日違いだから見方によっては近づいてきてるよね!?(期待
と、本気で言うと「確かに!前向きな意見すてき!笑」と返してくれた。
いつまでも本気ですまん。
私が変わって気づいたこと
「あれ?こんなにこの子、自信なかったっけ?」
2021年の6月あたりに変わった私は彼女と話してそれを一番思った。
そうか、彼女はその場その場で与えられた役目を真っ当に演じてきただけなのか
その時やっとわかり、そして誰もが私の存在を忘れた引きこもり時代も、どんなにダメな時でもそばにいてくれた彼女に、今度は私が役に立とう、と思った。
それから会う度、話す度に「あなたはこんなに立派だし今のままで充分素敵だし、他人の言うことなんて聞くんでない信じるんでない傷つくんでないただの雑音と思え耳に入っても意味を考えるな無駄だ」と洗脳のように言い続けた。
そして同時に「私みたいに生きたらこんなに楽しいよ!」という「効果」も魅力的に伝え続けたのだ。
それもやはり、過去の私を救うためだ。
行動原理はブレない保留
この人には無料でここまで尽くしていいゾーンを設定している
それもこれも過去の自分を救うという超絶利己的な理由のみで、彼女の無料ゾーンは25年間私みたいな人間を相手してくれた彼女自身の徳なのだろう。
「私みたいに生きたら楽しいよ!」とは言いつつもものすごく努力を求めてもいた。
信念や染みついた癖を抜くのは、わかっていても中々できないこともよく知っているから。
だから「まー50歳くらいで少し楽になれたらいいかな」と思っていたのだ。
目覚めた何某
去年だったか、独学でとある国家資格を取得していた
私の心理学なんか目じゃないくらい大変なのに、主婦と子育てをしながら独学で取得し、今は働いている。
その直後から発言が変わり始めた
お金には困ってないし別にやらなくても生きていける。
それでも「自立したい」と彼女は強く言い始めた。
私のある意味スカッとする話も昔は「そうなれたらいいよね」と言っていたのに「わかる〜!」と言い始めた。
そして「わかる〜!」から口ではなく、実際に行動に移し始めた。
いやなことにはいや、という態度を取るようになってきたのだ。
いやだけど調和のためにやって後でモヤモヤ
いやだけど調和のためにやって後で愚痴
長女は特に、他人からの評価を大切にするように育てられているのでそうなっても仕方ないし、私もかつてはそうだった。
暇な奴ほど愚痴と悪口が多い、という話をしていて、
自分が打ち込むこと無いから人のアラ見てそれを同じ沼の奴らで共有してその共有を踏み絵にして結束感作って安心してんのよ。
努力するより足引っ張りたいんだよ…死ぬほど憐れでかわいそうだから許してやれ…笑
だからあなたもそんな奴らの言葉に傷付いたらダメよ。
「私やあの子が羨ましいのね」て思わなきゃ思うツボよ。
これは原文ママである。
そして、それを私は本気で思っているし、彼女もそういうものにかなり冷めた目線を送るようになってしまった。
守りたい調和を壊させた気はするけれど、彼女が生きやすい方が遥かに価値がある。
調和よ、達者でな…
無理めな要求
思うこと < 言葉にすること < 行動すること
これが感情表現の実感度だと思っている。
好きだと思うこと < 言葉で好きだと伝えること < 時間を作って会いに来てくれること
こう当てはまる。
そして最強なのが
好きだから(時間作って)会いに行くよ
と言動と行動を同時にすることだと思っているし、私も中々全部は実行できない。
他人を気にしないと思うこと
他人を気にしないと言うこと
実際に自分にとって良くない感情を与える人の連絡先をブロックすること
こんなかんじだろう。
これは本気で難しい。
元々そういうことをしたくないと思っている人からすると難易度は遥かに高いものだ。
元々気にしない人がそうすることとは訳が違うので、人の幅を見て話さなければならないし、それを自分と比べることは本気で無意味だ。
そして「誰の目も気にせずに好きなことをやる!」と言って、実際にそうし始めた。
ひょっとして我々は面白いことになるのではという希望
「あなたは立派」と褒め讃えておきながら「なんだかんだゆーてますけど私と気が合ってるという時点でまぁまぁな人だとは認めた方がええぞ」とも言い続けた。
なんなら昨日、別の男友達にもそれを力説していた。
普通は何某かの様々な感情で私とは仲良くできないから、その難易度を私が一番よく知っているのだ。
だから私は彼女の元々のポテンシャルをちょっとだけ「こっちこっち!そっちは見るな!」みたいに言っていただけで、努力をしたのも結果を出したのも彼女自身だ。
昔、高校時代か、文章を書く彼女がこう言ったことがある。
「あなたは映像を作る人で、
私は文章を書いて、
それで何か一緒にできたらいいね」
人に何かを誘われることがほぼ無い人生なので忘れられない言葉だ。
生まれ変わった、いや、皮を剥がした彼女と何か一緒に生み出すことは楽しいかもしれないと今思っている。
準備は整ったので何かやりましょうか
と、ここで言う
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