バイリンガルに育てたい親達へ
「子供には英語が話せるようになって欲しい」「バイリンガルに育てたい」
意外とそういう人が多いようである。
文章では伝わらないが、アメリカ育ちの私の日本語は、自ら「アメリカ育ちなんです」と言ってはじめて「英語話せるんですか?」と聞かれる日本語である。
つまり一見(一聞?)日本育ちの日本人と変わらないレベルだ。
生後間もなくアメリカに渡った私が、なぜ日本語は話せるのか。
母の努力である。
もちろん私自身努力してきたからでもあるが、一番は母の努力だと断言できる。
バイリンガルに育てるのは戦いだ。
日本では学校でいずれ学ぶ英語だが、アメリカでは日本語など使わない。
家で母が全て教えてくれたのだ。
ひらがなも、カタカナも、漢字も、日本語でやる算数も、全て自宅で日本の本屋で買ったドリルなどをやった。
遊びに行く前に宿題やドリルをやるなど、決まりごとがたくさんあった。
厳しい家庭だという人もいるかもしれないが、私はそうでもないと思っている。
やることさえやっていれば自由だった。
やらなければいけないことをやれば、ゲームを好きなだけできたし、テレビの制限もなかった。
小さいころに与えられたゲームがレゴやパズルゲームなど、教育に繋がるものだったのはまた別の話である。
それでも楽しく学べば、遊びなのである(勉強とは刷り込みである)
とはいえ、普段使わない言語を遊びよりも優先させたくなるのは子供にとって自然なことだろう。
「もう日本語やめる!」「だめです!」と言い合った回数は数えきれない。
根気強く母が戦ってくれたおかげで話せるのである。
またバイリンガルに繋がるルールはシンプルである。
アメリカにいるときは「家の中では日本語」がルール。
日本にいるときは「家の中では英語」がルール。
アメリカで、家の中で英語で何かお願いしたときには「日本語では?」と聞き返されたりした。
日本でもまた然り。
ルール以外でもバイリンガルに繋がった習慣がある。
母は母国語が日本語の日本人であり、英語は第二外国語である。
父の仕事の都合でアメリカに住むことになった母は、父が仕事でいなくても、買い物へ行ったり、学校の面談に行ったり、病院に行ったりした。
(夫がいないとなにもできない妻たちもいたことを考えると、すごいことだと大人になった今では思う)
そんな母は常に辞書を持ち歩いていた。
分からない単語は調べていた。
私の宿題などでわからないことがあれば、共に調べてくれた。
この『調べる』という習慣こそが、バイリンガルに繋がる習慣といえるだろう。
口で「わからないなら調べなさい」というのは簡単である。
そうなると、子供は面倒くさくなり、もういいやとなりがちで、わからないままになってしまう。
しかし、「一緒に調べよう」と共に調べると、調べることが当たり前になり、苦でなくなるのだ。
子供に本を好きになってほしいなら読書する姿を見せろ、というメソッドと同じだろう。
背中を見せて育てる、という昔ながらの方法ともいえる。
仕事で多忙だった父の存在感が今回の話だと薄いかもしれないが、家にいるときは丁寧な日本語で遊んでくれていた。
なので、バイリンガルに育てたい方は、自ら学ぶ姿勢を子供たちに見せていただきたい。
自分は努力せずに子供だけできるようになってほしい、なんて都合のいい話はないのだ。
「自分は英語が話せない」という方や「自分は英語が苦手」という方は、子供のお稽古の内容を聞いたり、自身も本を読んで『一緒に』学んでいただきたい。
子供と一緒に学ぶのを『チャンス』ととらえていただきたい。
子供と一緒に時間を過ごすチャンス。
子供に愛情を伝えられるチャンス。
自分も英語が話せるようになるチャンス。
英語だけに限らず、やはり子供は親の姿を見て育つのである。
子供にやってほしいと思うことは、自らお手本としてやってみせるというのが、一番確実な方法といえるだろう。
Be a good role model and they will grow up as you wish.
よいお手本になれば、望んだように育つだろう。
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