推しを推してる間”だけ”は、自分のことを嫌いにならずにいられる。|『推し、燃ゆ』宇佐美りん

おもろかったわ。主人公は(おそらく、明示なし)発達障害で、高校を中退、バイトをクビになり、家族とも良い関係を築けていない17歳のあかり。状況的にはけっこう厳しい状況よね。勉強もできひんし、アルバイト先でも迷惑をかけてまうし、自分でもどうして上手くいかないのか分からんけど、とにかく色んなことが上手くできない。あかりはんは辛いわな。

でも、推しを推すことだけは、誰にも迷惑かけずにすることができる。それどころか、推しを推すことを通じて、ブログ読者の友達が出来たり、推しを推すということを共有する高校の友達なんかも出来る。推しを推すことは、あかりにとって必要不可欠で切実な行為になっとることが繰り返し描かれとる。そうか、今の若い子らはこういう風な感覚で推しを推しているんやなと思った。そこが、この小説を読んですごくよかったところや。

もちろん、この小説ではあかりはんの状況をかなり厳しい状況に設定してて、やからこそ推しを推すことの切実さが際立って描かれとるんやけど、思えばわいだって、自分を好きでいるために、誰のためにでもなくやっていることは山ほどある。きちんとひげを剃ること。毎日お風呂に入ること。そういう日常的な行為を積み重ねることで、わいは自分のことを好きでいられる。推しを推すことっていうのも、ある人にとっては、自分を好きでいるために不可欠な行為なんや、っていうことが、この小説を読んで分かったわ。そういう意味ではあれやな、「推しを推すこと」は「毎日スムージーを飲むこと」に似てるとも言えるかもしれんわ。

ほんで思いあたったんが、わいが今高校生やったら、ひょっとしたら推しを推してたかもしらんな、ということや。高校生の時にアイドル声優(田村ゆかり)のことが好きやったんやけど、週に1度のラジオくらいしか本人の情報を得ることは出来なかったし、田村ゆかりのことを好きな人を身近に持つこともなかった。あの頃(15年前か…)は、情報の更新頻度が低かったし、つながる術も今ほどなかったから推しを推すという状況にはならんかったってことなんやと思う。今みたいにSNSでひっきりなしに推しの情報が更新され、同じ推しを持つ人同士がつながれる環境にあったら、自分だって”田村ゆかり推し”という状況に身を置いとったかもしらん。

(わいは普通に学校生活に馴染めてたし、勉強もできた。家族関係はあんまり良好とは言えんかったけど、リアルの人間関係にもそれなりの満足感があったから、今のメディア環境でも”田村ゆかり推し”にはなってなかったかもとも思う。そればっかりは仮定の話やから分からんわな。)

ほんでさらにや、ワイはなんで「推しを推すこと」を特殊なことやと考えてたんやろ。例えば、部活に所属することとどんな違いがあると考えてたんやろ。って疑問を持ったんよな。ワイはサッカー部に所属していたんやけど、あれはなんでやったんやろう。嫌いではなかったし、サッカー部に所属しているっちゅう安心感みたいなもんはあったけど、自分でも改めて説明はできひん。推しを推すことだって、そういうもんよな。選択的に意思を持って推しを推すことを選ぶ人もいるやろうけど、気付いたら推しを推していた。なんだか生活の一部になってた。みたいなことだって当たり前にあるよな。「部活に所属するのはあたり前だけど、推しを持つことをは当たり前やない。」そんなんはただの習慣の問題に過ぎひんなと反省したわ。いや、別に反省はしてないかもしらん。

小説の外の話が長くなって師もうたけど、、この小説で、あかりはんの切ないところは、「推しを推すことくらいしか上手く出来ない」と感じて推しを推しているんだけど、、推しを推すこと自体が他人に否定されてしまってるってところなんよね。「アイドルなんかにうつつを抜かして勉強もしない。中退になった。中退したのに就職活動もしない。」的な目を家族に向けられる。「現実の男に目を向けなきゃ。」とバイト先の女主人には言われる。

でも違うんよな。現実の男の代替として推してるわけやないし、就活する時間を削って推しをしてるわけやない。勉強が出来るんやったら勉強をしてた。アルバイトを上手くやれるんだったらアルバイト続けてた。推しを推すっていうことしかあかりには残されてなかった。ほんで、推しを推すっていうこと自体が、生きるために必要な時間になっている。推すっていう言葉にはそういう含意がある。

「普通」に上手く馴染めない人は村田沙耶香の『コンビニ人間』でも描かれとって、あれはコンビニに過剰適応することで自分を保つ人の話やった。これは、推しを推すことで自分を保つ人の話やった。どっちも、人間にとって普通って何やろうな、っていうことを改めて考えさせる経験をワイにくれた小説で、現代社会風刺にもなってて、ホンマに面白く読ませてもらいましたわ。

結末について書いてへんかったけど、、この小説は、推しが炎上、引退して話が終わる。もう推しを推し続けることは出来ないとあかりが自覚し、推していた自分の葬儀を行うかのような描写で終わる。ホンマに救いがないというか、あかりは推しを推すことはやめるのかもしれないけど、そのあとのあかりの人生への希望は微塵も感じさせないラストやった。推しを失ったあと、あかりが何を拠り所として人生を続けていくんやろうか。このまま自殺してまうんやないやろうか。とすら思わされる終わり方で、ワイにとっては読後感はあんまり良くなかった。あかりはん、推しを失ってもとりあえず生きててくれよな。また、推しに代わる何かに出会えるかもしれんで!

ほな!

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