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七つのロータス第61章 ゲラ

 第1章から

 刈り入れ前の麦が実る黄金色の中を、ゲラは馬を急がせていた。汗の滴が額だけではなく、服の下を伝い落ちて行く。ゲラは三日の間、日の出から日没まで馬を駆けさせた。街ごとに馬を替え、蛮族の来襲を報せながら。ようやく遥か彼方にグプタの城壁が見える場所まで辿り着くと、はじめて急かす手を緩めて馬の行くに任せた。
 やっとここまで来た。ゲラの胸中にゆっくりと重たいものが染みこんでいく。草原の民が迫る町に父親を残してきたのは、帝に危急を報せるため。その仕事を他人任せにすることはできなかった。途中で通過した街からは正規の伝令も出て、馬も乗り手も交替しながら報せを運んではいる。しかし訓練された駅令といえども、帝国の辺境で草原の民と交わって育ったゲラに乗馬でかなう筈はない。ゲラは彼らを振り切って、グプタに到着したのだった。ゲラは帝都の姿を確認すると再び馬を急がせた。

 馬の背から遠く望めば、城門の周囲に人だかりができている。皇軍の一部が反乱を起こしたことは、途中の街で聞いた。その戦いの影響なのだろう。もっと近づくと、兵士たちが人々を押し留めている姿も目に入る。どうやら普段はただ開け放たれている城門で、荷物やら懐中物やらを検めているらしい。
 ゲラは馬を速足で城門に近づけ、叫んだ。
「道を開けよ!皇帝陛下に危急の報せである!」
群衆を蹴散らす様に馬を進めるゲラに、左右から槍が突き出される。
「何をする!」
目の前で交差した槍を前に後足立ちに跳ね上った馬の上で、危うく放り出されそうになりながら叫んだ。
「ご使者であろうと、下馬していただきます」
有無を言わせぬ口調に、ゲラは舌打ちして馬を下りた。
「この間にも凶悪な蛮族が、辺境の街々を荒らしまわっているのだぞ!」
調べを終え再び馬に跨ると、腹立ち紛れに言い捨てる。勢いを削がれた気分にもう一度鞭を振るって皇宮へと駆け出すゲラの前で、人々が慌てて道を開けた。

 皇宮の謁見の間には、物音ひとつなかった。何故こんなにも返事が遅れたのかを問う摂政の言葉に、エンドラからの使者は平伏して身を固くしたまま黙り込んでいる。
「わたしはただ理由が知りたいだけで、なにも責めているのではありませんぞ。それに伝えにくい事であろうと、押し黙っていては使者の役目を果たせますまい」
相手の言葉を待つのに耐えかねて、オランエは沈黙を破った。胸中の不安を悟られぬよう一語一語丁寧に。
 エンドラから新帝への忠誠の誓い。それはオランエが切実に必要としていたものだ。それなのに使者の態度は、オランエの心をかき乱すばかり。オランエがもう一度促すと、額が床に触れるほど頭を下げたまま使者はようやく口を開いた。
「太守ゼンは、南で皇帝を僭称したエンジャメナの軍勢の脅威に晒されていたのでございます。軽々にパーラ様への忠誠を宣言すれば、叛徒に蹂躙されることは免れ得なかったのです。なにとぞ斟酌下さいますようお願いします」
オランエは暫く言葉を失った。驚くことさえできなかった。相手の言葉を理解するまで、時間がかかった。
「エンジャメナ殿が謀反を?」
何かを聞き間違えたのではないかと思いながら尋ねなおす。そのような事態が起こったのなら、自分の耳に入っていない筈は無いのだ。
「ご宥恕を!帝都からの使者はもとより、北へ向かう商人までも、ゼンの命で足止めしておりました。摂政殿下のお耳に入っていないのは、そのためでございます」
使者はオランエの考えを察したのか、ますます強く床に額を押し付けながら言う。ようやく納得したオランエに、今度は帝都の南北で同時に反乱の火の手が上がっている、という事実が襲いかかってきた。
「それはつまり、当初はエンジャメナに与するつもりであったということか」
使者は答えない。何よりも雄弁な沈黙だ。
「エンジャメナは今、どれだけの兵を持ってどこまで迫っている?それにゼンが鞍替えしようとしているのは何故だ?知っていることは全て話してもらおう」
努めて事務的に話す摂政の声が、石造りの広い部屋に響いた。

 使者の話を信じるならば、エンジャメナはビーマとウラマの二軍、六千の兵力をもってエンドラに進撃中だった。皇軍の正規兵のほかに、各地の農民なども自発的に参加しており、総兵力はわからない。そのままならエンドラの三千も加えて、突如グプタの南から攻撃されていたはずだ。だがエンジャメナは蛮族が大挙して襲来したという報に接し、帝都の攻略を棚上げして夷狄の迎撃に向かったのだという。
 オランエは使者を下がらせると、部屋の中をうろうろと歩き回った。これでウラマとビーマが皇帝の支配から離脱したことが判明した。七輪の蓮はいまや三つに分かれてしまったのだ。最南方のヤマが中立を宣言したことも、確認を取らねばならない。この事態をいかに収拾すればいいのか。
 足を止め床几に腰を下ろす頃には、オランエの頭の中は少しずつ落ち着いてきていた。牛乳をかき回し続けるとバターが現れ出るように、混乱した思考から自分がとるべき行動、将軍や官吏たちに命ずべき事柄が紡ぎだされつつある。生まれつつある考えの、糸口を探る。その端を捕まえることさえできれば、考えはまと まる。あと少し……。
「殿下、カーナの代官から使者が参りました。危急の用件だそうです」
問題の答に指先が触れようというところで、書記見習いの少年の声がオランエの思考を破った。次から次へと!苦々しい思いで振り返ると、あどけない顔を緊張させた少年と目が合う。オランエは大きく息を吐き出き、使者を通すように命じた。

 使者は一度だけ平伏すると、オランエが許すより早く口を開いた。
「蛮族が東の辺境を侵しました。その数は一万。すでにカーナは陥落いたしました。なにとぞ一刻も早く皇軍を派遣し、臣民の憂いを取り除いて戴きたい。さもなくば東の辺境は蛮族の蹂躙されるままになりましょう。」
オランエはゆっくりと息を吸い、吐き出した。気分が少しだけ落ち着く。どんな重大な報せを受けたとしても、泰然としているように見えることは重要だ。
「使者殿、まずは落ち着かれよ。貴殿はまだご自分の名を名乗ってもおりませんよ」
「何を悠長なことをおっしゃっておるのか!」
使者は目を剥き、オランエを瞬きもせずに見上げている。オランエは相手が声を発した瞬間、自分に向かって跳びかかってくるのかと思った。しかし使者は炎をあげるような眼差しをしてはいたが、床に跪いた姿勢は崩していなかった。
 怯んだのを見透かされただろうか。そう思いながら話を続ける。
「お気持ちはよくわかる。だが詳しい話を聞かねば、動こうにも動けない」
オランエは人を呼び、水で割ったナツメヤシ酒を持ってくるように命じた。宮廷の小間使いには使者のために、と言ったが実際には自分のためだ。相次いで使者と面談したために喉が渇いていた。この燃える眼差しを持つ男と話し合えば、さらに喉が渇くだろう。
「それでは貴殿のご身分から伺いましょう」
「カーナの代官・カスタの長子ゲラ。父は討ち死にしておるでしょうから、前代官と申し上げたほうが正確かもしれません」
発言を許されるまで苛立ちを隠そうともしていなかった使者は、吼えるように言葉を吐き出した。オランエは自分より少し若く見える男の視線を、しっかりと受け止めて頷いた。
「状況を説明してもらいましょう」

 使者のゲラは、ゴブ支族のライウと名乗る男に率いられた草原の民が来寇した様子を語った。カーナの代官であったカスタが、住民を逃がすため僅かな手勢とともに街に残り、ゲラを追い払うように帝都への伝令に出したことを語った。そして難民に混じって草原を行く時に、街が炎上する煙を胸の震える想いで見上げたことを語った。
 多くの部分はオランエにとっては無駄だった。ゲラの話しぶりは巧みでついつい聞き入ってしまうようなものだったとは言え、結局はオランエに向かって感情を吐き出しているにすぎない。この男は摂政に正確な情報を伝えて事の重要性を理解させようというのではなく、情に訴えて自分の父の復讐を肩代わりさせよう としているのだ。忍耐強く話を聞きながらも、オランエは苛立っていた。

「お話は良くわかった。それでは下がって休まれるがいい。部屋を用意させよう」
 重複する内容ばかりになったところで、止め処なく話し続けるゲラを遮る。オランエ自身の気分も限界に近づいていた。
「しかし!」
言いかけるゲラを身振りで制する。ようやく使者はオランエの気分を察して、口をつぐんだ。

 まだ話し足りな気な落胆した表情でゲラが退出した後も、オランエはその場で考えをめぐらせていた。帝国の南北で叛乱の火の手が上がり、西には蛮族の気配すらある。とりあえず平穏な都の中にあっても、いつ敵になるかわからない者は数知れない。
「畜生」
我知らず、罵言が口をついた。


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