世界史 その16.5 二里頭遺跡は夏王朝か

 世界史その16で二里頭文化について纏めてみたが、二里頭文化について最も重要な論点については敢えて触れずにいた。それは二里頭文化こそが伝承にある夏王朝ではないか、ということだ。
 その16で述べた通り、二里頭遺跡の「1号宮殿」は周代の宮殿と同様の造りを持っており、周代の宮殿とその儀礼は清末まで中国の諸王朝の儀礼の原型となった。つまり中国歴代王朝の儀礼の真の原型は二里頭の王朝だったということになる。先史時代から20世紀初頭まで、多くの異民族が流入しながらそれでも中国の諸王朝は連続性を持ち、中華世界の正当な後継者であることを権威の源としていた。それはある意味、現在の共産党政権にすら貫かれているようにも思える。その歴代中国の正当性の根源に二里頭の王朝が存在している。
 二里頭文化は中原の東側に存在していたもう一つの文化と対立し、最終的にはこれに滅ぼされた。二里頭文化を滅ぼした文化は二里岡文化に連なり、二里岡文化は殷王朝の初期の文化だと考えられている。

 言い方の順番を変えてみよう。中国の歴史書には中国最初の王朝は夏王朝とあり、夏王朝は殷王朝に滅ぼされたとされている。ただしそれらの歴史書は春秋戦国時代以降に成立したもので、夏王朝とは千数百年の隔たりがある。長年夏王朝はおろか殷王朝の証拠すら発見されておらず、伝承のみの存在と考えられてきた。20世紀前半に殷王朝の実在が確認されると、更に遡る夏王朝の実在の証拠が追い求められるようになった。
 そして現在、殷王朝に滅ぼされた文化の証拠が浮かび上がり、その文化は中原から遼河流域から北ベトナムまでに文化的影響を与えたのみならず、中国の歴代王朝を貫く宮廷儀礼の原型すら生み出していた。

 二里頭文化には酒器に刻まれた記号程度で文字が無かった以上、二里頭文化を夏王朝と確定する証拠が出ることは期待できない。ここまで判明した事実からそれをどう解釈するかという問題になる。

 正直、本格的に夏王朝について調べるまで、二里頭文化を夏王朝だと確定するのには無理があるのではないかと考えていた。ところが今回のためにしっかりと調べてみると、夏王朝と呼んで差し支えないのではないかと考えるようになった。
 勿論、文献からのみ得られる年代である夏王朝471年という年代をもとに夏王朝前期の遺跡を追い求め、竜山文化時代の城郭を夏王朝以前の堯・舜や夏王朝初期の禹・啓などの王城に比定しようとする試みは暴走だと考えている。二里頭遺跡と夏王朝、あるいはそれ以前の五帝時代の考古学的知見について、これからも多くのニュースがもたらされるだろうが、中国のプロパガンダとまでは言わなくとも、中国の研究者の中国史を遡ること、文献に残る歴史が事実であることを証明することへのモチベーションが勇み足となることも心配している。
 夏王朝が実在したことがイコール夏王朝に関する史書の内容が事実であることを意味しない。夏王朝が471年続いたのが事実である可能性は限りなく低いだろう。二里頭遺跡が夏王朝の都だったとしても、王朝の存在が確認できるのは100年足らずだ。史書では夏王朝は7つの都を持っていたことになっているので、二里頭は最後の都だとすれば矛盾はなくなるが、それ以前の都が見つかっていない。より古い竜山文化の城郭には宮殿がなく、たとえ夏王朝の都だったとしてもそれを証明する術はない。夏王朝の系図も、禹の実在も同様だ。

 先に「解釈」という言葉を使った。現在見つかっている遺物から、夏王朝が実在したとするのは一つの解釈である。これに対し殷以前の王朝について「夏」という言葉を使うのは、伝承の王朝との混同を生じるので避ける(中央公論新社「世界の歴史2中華文明の誕生」)というのも一つの解釈だ。夏王朝についての記述は殷代の甲骨文に登場しない以上周代以降に創作されたものであり、夏王朝に相当する殷王朝以前の王朝が存在したのは偶然に過ぎない。二里頭文化は夏王朝とは呼べない。というのも一つの解釈である。全く同じ証拠を見て導かれ得る複数の解釈である。どれが正しい、どれが間違っているというものではなく、解釈として等価だと言える。

 「教養ってなんだろう」と題したコラムで、教養とは他者と分かり合うためのものだと書いた。自分の意見と違う意見があった時に、相手がどういう知見からそのような意見に達したのか知ろうとすることはとても大事なことだ。そして相手の意見も自分の意見と等価である可能性、もっと言えば自分が間違っていて相手が合っている可能性について、常に心を開いていなければならない。
 単なる解釈の違いでしかない話について、相手が間違っていると決めつけて不毛で感情的な言い合いに陥るようなことがないようにしたいものである。

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