病気の猫を飼う赤の他人を自演コメで応援し続けていた話

 小学生のとき、パソコンを買ってもらった。OSは今やとっくにサポートが終了したWindows XP。わたしはネットサーフィンという遊びを覚えた。そして偶然、とあるブログを見つけた。闘病中の飼い猫の様子を写真付きで綴ったブログだ。

 そのブログは毎日更新されていた。でもコメントはいつも0件。基本的にブログとはそういうものだがもちろん当時は露知らず、またわたしは少し前に病気で愛猫を失ったばかりだったため、「この世には闘病中の猫を前にしても平気で無視できるような薄情な奴しかいないのか」という怒りと悲しみの感情が湧いた。わたしは記事がアップされる度に毎回同じハンドルネームでコメントをするようになった。「早く元気になりますように」

 願いとは裏腹に、猫の病状は悪化していった。ブログのコメントごときに力が無いことは充分に理解していたが、少しでも飼い主さんを元気付けたかったわたしは、今まで使っていたハンドルネームに加えて新たに複数の名前を使い、別人になりすまして何件も応援コメントを書き込んだ。
「飼い主様も!無理しないでくださいね!!山田」
「私も応援しております。のぶえ」
「ぼくも病気がなおるよう願ってます★よしお」
 これ全員、自分です。

 しかし、ブログの管理人はコメントの投稿者のIPアドレスを確認できる。同一人物が別人になりすましてコメントしていたのはバレバレだったはずだ。飼い主さんは励まされるどころか、酷く気味が悪かっただろう。このことに気付いたとき、猫は既に闘病生活を終えていた。ブログの更新も止まっていた。

 昨今、「正義感の暴走」としか表現できない、有名人に対する誹謗中傷や、それを原因とした取り返しのつかない事件を多く目にする。誹謗中傷のほとんどは、インターネットを知ったばかりの当時の自分のような、無知な人たちによるものだ。また、相手を傷付ける言動でなくても、わたしの自演がバレバレだったように、良かれと思ってやったことが裏目に出てしまうことは頻繁にありうる。正義感はエゴと表裏一体で、他人を傷付けたり不快にする可能性が含まれることを常に考慮しなければいけない。そう考えると同時に、思慮深さと行動力はトレードオフの関係にあるため、前者が拡大しすぎた結果、救えた人を見殺しにする場合があるかもしれない、とも思う。

 小学生の頃の無知で純真な自分がこう語りかけてくる。
「わたしはただ、救いたかっただけなのに」と。

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