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【聖書で解明!!】なぜ人は二度寝に勝てないのか?

前回は
目には見えない内なる人は
人間だけが持っている

と発信しました。


以前、外なる人は
三大欲求や肉体が喜ぶ生活をできたら満足する

と話しました。


今回は
内なる人はどうすれば幸せなのか?
「内なる人」のニーズ
を解明していきます!


結論を話すと
内なる人は本質的な真理や成功哲学を学ぶこと・実践することで満足します。



聖書を元に「二度寝する原因」を解明!!


聖書では
次のように書いてます。

‭‭ローマ人への手紙‬ ‭7‬:‭22‬-‭25
すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。 わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。 わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。このようにして、わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである。

表現が難しいので、具体例で話しますね。

「寝たい(外なる人の睡眠欲からくる思い)」
         vs
「時間を有意義に使いたい(内なる人の思い)」
と葛藤するけど、
結局外なる人の思いが勝って二度寝する
ということです。

あるあるですね笑

あと5分だけ💤


上の聖句の補足をします。

■肢体(外なる人)に存在する罪の法則
→「まだ寝たい」という外なる人の思い

■内なる人としては※神の律法を喜ぶ
→「時間を意義に使いたい」という内なる人の思い

※神の律法とは
 「こうやって生きられたら幸せだよ」
 「成功の本質は〇〇である」
 「問題が起こった時に、こう考えればいいよ」
 という聖書に蓄積された6000年間分の教えです。

 教えを聞いて学び、
 自分の内なる人は喜び、
 聖書の通りに
「こんな生き方をしたい」
 「幸せになるために努力したいな」
と思います。

しかし結果はどうなるのか?
外なる人の思いである二度寝が勝つというわけですね笑

だから何というみじめな人間なのだろうか?
と使徒パウロは嘆きました。



二度寝敗北の体験は生活の別の場面でも・・・


生活の中でこんな経験ないですか?

幸せな人生を歩むために、資格勉強や自己研鑽に励んで努力したい
しかし、Youtubeやアマプラ、目の前の楽しみを優先してしまう。

いい人生を生きるという目的ために、就職・転職先に有利な資格を取得した。
しかし、資格取得、仕事での成功に満足して、手段が目的化してしまう。

「本当の自分」や「人生の目的」に悩み、探したい
しかし、今は忙しいから、いつか考えられたらいいやと後回しにしてしまう。

上記のように
内なる人の思いが外なる人の思いに負けることはあるあるですよね。


内なる人が満足してこそ、本当の意味で幸せです。

三大欲求やお金、肩書きなど外なる人の思いは
日本でいれば、ある程度満たせますよね。
(もちろん状況や努力次第ですが)


一方で内なる人は
本質的な人生における成功とは何か?
人生の目的とは何か?
そしてどうやったら本質的に人生を成功させることができるのか?
問題にぶつかった時にどう考えれば一流なのか?
などなど
本質的な真理や成功哲学を学び、体現できた時に満たされます。


聖書は、より良い内なる人づくりを行える本です。

6000年間の人類の成功と失敗を通して
本質的な真理や成功哲学が詰まっています。
だから世界の3〜4人に1人の人が読んでます。


今回は内なる人の幸せとは何か?
というテーマで記事を書きました。

内なる人は
本質的な真理や成功哲学
を学ぶこと・実践することで満足します。
そして、聖書はその宝庫だということです。

しかし、みなさん気になりませんか?

どうして内なる人は
充実した生き方や本質的な幸せ
を求めるのでしょうか?


次回その謎を解明していきます!

ここま読んでくださり、ありがとうございました!


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