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Consumer Cyclical|weekly vol.0091

今週は、うでパスタが書く。

特に国会での答弁などをめぐって、「言葉が軽くなっている」と眉をひそめるひとがいますが、言葉には物理的な重さがありませんから、「軽くなっている」という表現自体よく分からないと思っている方はいらっしゃらないでしょうか。その「軽くなっている」という言い回し自体、どういうことを言っているのかもう少し重い言葉で表現できなければ他人を批判する資格にも乏しかろうと思われます。

SNSを中心とした日本語のインターネット界隈でよく耳にする言葉に「消費」があります。
主に女性を、または女性という存在一般を「性的に消費する」ことが批判されるわけですが、「対象が性的に消費されているかどうか」が激しく議論されることは常としても、「性的に消費するとはどういうことか」はあまりはっきりしません。つまり議論自体がいつものように初めから無効なものである気配が濃厚です。

たとえば「性的に搾取する」といえば、これはつまり「フェア・トレードでない」ということですから、性的な行為の対価が充分に支払われていない状況を指すと思われます。金銭にせよ愛情にせよ、それに見合う対価を知らずに未成年が行為の対象になっているような場合、これが性的な搾取にあたることは直観とも合致します。
では成年の場合には性的に搾取されないかというと、あるいは暴力で、または精神的に支配された状態で行為に応じている場合にはやはり性的な搾取状況にあると言えましょう。何が暴力であり、何が支配、または精神的な支配であるかについてはおおいに議論していただければと思います。

その一方、「性的に消費する」という行為の問題について考えるとき、消費の対義語は通常「生産」か「貯蓄」になりますので、「性的な生産」または「生産的な性」、それから「性的な貯蓄」について考えることを避けて通ることができません。
「性的な消費」または「消費的な性」が許されないという感覚が単に語感からくる漠然とした罪悪感でない限り、私たちは「生産的な性」や「性的な貯蓄」に励む道徳的義務がある、ということがいわれているわけですから、これについてはしっかり考えていきたいと思っています。

ところで先日、「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」という映画を観てきました。
私はだいたいテレビアニメの放映と盛り上がりには半年から一年ぐらい遅れることを常としており、これにはもともとは海外にいることが多かったのでリアタイできなかったということもありますが、現在でも恥ずかしながら多忙のあまり評価の定まった段階で優先順位にしたがって観ていかないと時間がなくなる、といった事情によるもので、「アニメは全部見ろ」というタイプの諸先輩方からは「ゴミ」「死ね」という蔑みの言葉をいちいち甘受しておるところでございます。

このたびはそもそもテレビシリーズの方も最初だけちょっとNetflixで見たぐらいで「完全に理解した」とばかり劇場へ足を運んだため、煉獄杏寿郎というひとが誰なのかも分からないうちに煉獄さんは死んでしまったのですが、それでもこれがえらく悲しくて、マスクのなかで声を出して私は泣いてしまいました。
つまり、私は「鬼滅の刃」というアニメをほとんど見ていないにもかかわらずすでに「完全に理解し」ていたといえると思います。これはどういうことなのでしょうか。

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