読書日記 #2『オーデュボンの祈り』伊坂幸太郎 著
おはようございます。あるいはこんにちは。もしかしたらこんばんは。とある蛹です。
今回は、物語の余韻に引きずられて常体で書いてみました。
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1, まず聞いて、読後の叫び
なんっだこのシュールな世界観は。
劇的な起承転結はなく、どちらかといえば単調な独特なペースで綴られる文章。
奇天烈な人物がいる、いやむしろ奇天烈な人物しかいない不思議な島で繰り広げられる、センスしか感じられない会話。
一見意味がないような会話にも常に“何か”を感じさせる絶妙な言葉選びと場面の展開、ミステリによくある激震が走る事実の露見はないが要所要所で点が光り、それらが繊細に繋げられていく感覚。
本当に、なんなんだろう、この重厚な物語は。
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2, 長めのあらすじ(一応ネタバレ注意)
この物語の発端は、主人公である伊藤が“逃がしてもらった”ことである。
彼はコンビニ強盗としてパトカーで輸送されていたが、速度を出し過ぎたパトカーが事故を起こし、その隙に逃げ出した。伊藤が逃げ出したのは捕まるのが嫌だったというよりは、残虐な本性を隠して警察官となった昔馴染みの男に何かされるのを恐れたからだが、とにかく、逃げ出して気が付いたら彼は、島にいた。
轟という熊のような男がたまに船で本土と行き来する以外は完全に外の世界と隔絶された、地図にも載っていない“荻島”。伊藤は轟によって連れてこられたが、この島はどこか変わっていた。
嘘しか言わない画家、「島の法律として」殺人を許された男、そして極めつけは人語を操り未来を見通すカカシ。
他にも妙な人間ばかりが住んでいるこの島には、『ここには大事なものが、はじめから、消えている。だから誰もがからっぽだ。島の外から来た奴が、欠けているものを置いていく』という言い伝えがあった。
ここでまず1つ目の謎である。
この島に足りないものとは何なのか?
そして伊藤が島に慣れてきたある日、島の中心と言ってもいい存在だったカカシが何者かによって殺される。未来を知っているカカシがいなくなった、それは、その後に起きる殺人の犯人がわからないということでもあった。
次の日、発見されたのは曽根川という男の死体だった。曽根川は伊藤と同じく島の外からやってきた男である。
ここでまた謎が生まれる。
誰がカカシと曽根川を殺したのか?
また、未来を知っていたカカシはなぜそれを誰にも言わなかったのか?
物語は島民たちとの交流というスタンスを終始崩さず進行し、真実は島民それぞれが持つ個性、習性を理解すると共に明らかになっていく。
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3, 感想タイム
〈主人公について〉
主人公は、どこにでもいる人間だ。探偵ではなく、むしろコンビニ強盗という罪を背負った犯罪者である。
そんな彼が真実を明らかにしていくのは、決して流麗な推理の元にではない。島に来るまではエンジニアとして堅実な思考をしていたのに、島に来てからはむしろ子供のような馬鹿げた想像を巡らしたり、「こうではないか」という思い込みが当て外れで落ち込んだり……といった場面の多い人物となった。
しかしその当て外れの連続の先に光を掴む手掛かりがあり、全ての事実が繋がる要素となるのだから、探偵ではなくともミステリの主人公として過不足のない資質を持った人物といえる。
〈展開について〉
ミステリといえば、人が死ぬ。
定番中の定番であり、この物語の中でも死というものは何度も表現されているが、その多くは城山の残虐性を表すため彼の視点で行った殺人や、罪を犯した者を殺害することが“島民にルールとして受け入れられている”桜という男が関係しているもので、おおよそ謎とは関係がない。意外にも、裏表紙のあらすじにも書かれているカカシの死は、物語の後半も後半といったところで起きる。死が始まりではない。
それはそうだ。この物語は「誰が殺したのか?」というよりは、「なぜ未来を知っていたのに防がなかったのか?」というところが最大の謎なのだから。
生きている時のカカシの言動こそが鍵となるので、必然的にカカシが死ぬまでの“伏線を張る時間”が長くなるのは当然である。主人公(もしくは読者である私達)が喋るカカシを受け入れ、未来を見通すということに疑問を抱かないようになり、島の様子に慣れてから、カカシは死ぬ。
あらすじを読んでいなかった私は、まさかここでカカシが死んでしまうなんてととても驚いた。
謎が提示された時、そしてこれまでの会話や島民達の行動全てが繋がった時、じっくりと熟成された、カカシの死までの道のりに圧倒された。
〈結末について〉
完全にネタバレになってしまうから少し間をとろう。
島に欠けているものは音楽だったというオチだが、どうして音楽である必要があったのかは私には正直理解できない。
長めのあらすじにも書いたが、言い伝えは『ここには大事なものが、はじめから、消えている。だから誰もがからっぽだ。島の外から来た奴が、欠けているものを置いていく』というものだ。これは昔カカシが誰かに話したことがきっかけで島民に広まった内容だが、音楽という答えを知ってから読むと、あまりにも仰々しいというか、大袈裟というか……。
もちろん、唐突に出てきたわけではなく、音楽だと主人公か気付くための伏線は用意されていた。しかし、別段音楽を知らないからといって島民達が空っぽだという印象はなかったし、物語の中で音楽が活躍しそうな場面はなく、“大事なもの”と形容するほど音楽は必須ではないような気がする。
また、曽根川とは違ってカカシに少しだけ優遇されていた主人公がキーパーソンなのかと思ったらそうではなかった。
終盤に、城山に脅されて轟は彼を島に連れて来てしまうのだが、その時にちょうど城山のターゲットにされていた、主人公伊藤の元カノである静香も城山の指示で同行して来た。彼女はこれまた城山の指示で彼女が得意とするアルトサックスを持って来ていて、城山のことがどうにかなった後それに気付いた主人公が「ずっと君を待っていたんだ!」と興奮して演奏させる、という流れになる。
いやあなた(静香)なんかーい、と思わず心の中で突っ込んでしまった。これも作者が用意した裏切りの1つなのかもしれないが。
そして、演奏するシーンやその後の島民達の変化などは描かれていない。
島に欠けていたものは音楽だったのか、欠けていたそれが埋められた今、島にどのような影響を与えるのか、それらは謎なのである。
私は音楽がなくても島民達に物足りないとは思ったことがないので、どのように変わるのかが想像できない。描写が欲しかった、と少しだけ残念に思う。
もちろん、全体を通して大きな違和感という程ではなかったのでこれ以上は素人がケチを付けることができない展開の完成度であった。
〈その他〉
若輩者であり、ミステリ好きとしてはまだまだ初心者の私には、名探偵による鮮やかな謎解きや、激動の展開がある物語の方が楽しめる。
それは間違いないのだが、今回読んだこの物語は1日数ページしか読み進められなくても十分な重厚さで、少しずつ噛み砕き、なめるようにして雰囲気にどっぷり浸かるような、これまでの読書体験とはどこか違う感覚があった。
これを読んだことで、読む前の私より人間として成長した気がする。
だが、この独特な雰囲気とキレのある会話はまだ完全に私に馴染んでいないだろう。ゲームで例えるとパワーレベリングのような感じだ。難しいような、堅いような、初めてのしっかりとした重みに心地良さだけではない疲労感を与えられた。
他の伊坂幸太郎作品も読んでみて、この作者の世界観に慣れよう。そしてもう少し成長してから、もう一度読み返そう。
これは使う度に自分に馴染んでいく革のように、読み返す度に新たな面白さを発見できる物語だと思う。少し背伸びしてチャレンジしてみたのは正解だった。
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4, おわりに
ここからは敬体に戻します。
最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。
所々肯定ではない感想もありましたが、読後の満足感はとても大きかったです。
自分にはまだ早かったのかな、とも思いましたが、いつかこの物語をもっと楽しめるのだという確信にわくわくする気持ちの方が強く、理解しきれない部分がありつつも圧倒的な迫力に容赦なくのめり込まされた、伊坂幸太郎さんの文章力や世界の創造力に感嘆しました。
それではみなさま、とある蛹でした〜(*´▽`*)ノ))
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