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祈りが叶えられない時

=言葉にならない祈りが叶えられているかもしれない=

祈りはすべて神に聞かれますが、すべてが自分の思い通りに叶えられるわけではありません。

神はランプの精ではなく、天にいる私たちの父であり、子どもの願いをすべてそのまま叶えるわけではないのです。

その理由は様々ですが、そもそも私たちの知識や理解力は限られているので、最善のものを祈り求めているとはかぎりません。

「病者の祈り」と呼ばれる詩があります。

成功をつかめるよう、神に強さを求めたところ
謙虚に従うことを学べるよう、弱くされた。

より偉大なことがなせるよう、健康を求めたところ
より良いことがなせるよう、病を授かった。

幸せになれるよう、富を求めたところ
賢明であれるよう、貧しさを授かった。

人から賞賛されようと、力を求めたところ
自分には神が必要だと実感できるよう、弱さを授かった。

人生を楽しめるよう、あらゆるものを求めたが
あらゆるものを楽しめるよう、命をいただいた。

求めたものはひとつも得られなかったが
望んでいたものはすべて得られた。

私の意に反しているようではあったが
言葉にならない祈りが叶えられてきた。

私はあらゆる人の中で最も豊かに恵まれている。

作者は、自分の考えによって願ったことは叶えられなかったけれど、「言葉にならない祈り」、つまり自分の心の奥底で魂が真に求めていたことが叶えられていることに気づいたのでした。

パウロも、似たような経験をしています。

そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。・・わたしは[このとげ]を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。」・・わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。(2コリント12:7-10)

祈りが叶えられなかったことで、彼はそれが自分を謙遜にしてくれることや、自分には十分な神の恵みが与えられていること、そして、弱さの中に神の力が現れることを学びました。

そのような教訓や理由は、天国へ行くまでわからないこともありますが、神が天の父として、いつも私たちのことを気にかけてくださっているのだと信じましょう。

◆ ◆ ◆

すべてが自分の思った通りになれば、結局、自分が思っている程度の人間にしかなれません。思った通りにならないからこそ、ときどき思いがけない試練がやってくるからこそ、自分の想像をはるかに越えて成長することができるのです。(片柳弘史神父『こころの深呼吸』)

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