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どちらもペテロ(1)

マタイ16章で、ある弟子が的を射た答えをして、イエスからほめられています。(▲▲は弟子の名前)

イエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか。」 ▲▲が答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです。」 すると、イエスは彼にむかって言われた、「▲▲、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉【人間】ではなく、天にいますわたしの父である。」(マタイ16:15-17)

そのすぐ後に、ある弟子がイエスをいさめて、逆に叱られました。

イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。すると、▲▲はイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめ、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言った。イエスは振り向いて、▲▲に言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」(マタイ16:21-23)

▲▲は、それぞれ、どの弟子だと思いますか。

答えは、タイトルにあるように「どちらもペテロ」です。

まず、神から与えられた知恵でほめられ、次に、神ではなく人間の知恵で考えたためにサタンの代弁者となってしまい、叱られました。

両極端ですが、私たち人間の姿をよくあらわしています。

私たちは常に正しく物事を捉えられるわけではなく、矛盾した言動をすることもよくあります。

そんな私たちをイエスは用いてくださるし、ペテロの場合は一番弟子としてくださいました。

「サタンよ、引きさがれ」という言葉に引っかかる方も多いようですが、イエスはペテロがサタン(悪魔)だと言っているわけではなく、サタンの声を代弁しているということです。

また、サタンという言葉の意味は「敵対者」なので、神の計画を邪魔する敵対者となってはいけないという意味にも取れます。

神の計画とは、イエスが世界の罪を身に負って十字架にかかり、それによって救いをもたらすことだったのですが、サタンはそれを、ペテロを利用して阻止しようとしたのです。

「引きさがれ」という言葉は、日本語訳ではよくニュアンスが伝わりませんが、原文から直訳すると、「私の後ろに行き(戻り)なさい」となります。

つまり、マタイ4:19でイエスから「私(の後ろ)についてきなさい」と言われた時にペテロがそうしたように、そこがペテロのいるべき場所だということです。

イエスの前に立ちはだかるのではなく、イエスを信頼して後をついてきなさいと。

決して「ここから立ち去れ、もうついてくるな」と言っているのではありません。

イエスは続けて、次の16:24でも「私の後ろに」という同じ言葉を用いて、「私(の後ろ)についてきたいと思うなら」と弟子の心得を話しています。

「あなたは私の後ろに戻りなさい。私の後ろについてきたいと思うなら、こうあるべきだ」と、ペテロを今でも大切な弟子として扱っているわけです。

その数日後、次の17章では、イエスはペテロを引き続き側近として扱い、他の2人の弟子とともに、大切な場面に連れて行かれました。

このように、「引きさがれ」と訳された言葉は「私の後ろに戻りなさい」という意味であり、そこにはイエスのいつくしみが込められているのです。

「今は理解できないかも知れないが、私の導きに任せ、私の後ろにぴったりとついてきなさい。いつかその理由が理解できて、私を信頼して良かったと思うことだろう。」

イエスは現代の私たちにも、そう語っておられるような気がします。

(続く)


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