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祈りの答えは神の恵み

私たちが祈る時、神が聞いていてくださると知ることは、とても素晴らしいことです。そして、その祈りがかなえられる時は、嬉しい気持ちになります。

でも、ヒゼキヤ王の話を読んでいると、祈りがかなえられること自体よりも大切なことがあるのではないかと考えさせられました。それは、私たちが祈る時や、祈りがかなえられた後の態度です。

少し背景を説明すると、ヒゼキヤがユダ王国の王となったのは、北方のアッシリア帝国が領土を次々と拡大していた時代で、預言者イザヤも同時期に活動していました。

父親のアハズ王はイザヤの忠告を聞かず、アッシリアとの関係を強めようとし、その結果、偶像崇拝を持ち込んでエルサレム神殿を汚しました。彼自身も偶像崇拝に傾倒し、「自分の子を火に焼いてささげ物とした」ほどです。(列王記下16:3)

国が混乱していくさまを憂えたヒゼキヤは、アハズが亡くなった後に宗教改革を行い、偶像崇拝を禁じました。他にも多くの良いことをなしたため、ユダ王国随一の善王として知られています。

そんな彼が39歳の頃、病気になって死にかかっていた時に、イザヤから、もう命は助からないので「家の人に遺言をなさい」(列王記下20:1)と言われました。それを聞いたヒゼキヤは、激しく泣きながら祈り始めました。

「ああ主よ、わたしが真実と真心をもってあなたの前に歩み、あなたの目にかなうことをおこなったのをどうぞ思い起してください。」

(列王記下20:3)

ヒゼキヤの気持ちがわからなくもありませんが、祈りがかなえられて当然のことを自分はしてきたんだと言わんばかりであることが気になります。それでも、ヒゼキヤが涙を流しながら祈るのを見た神は、イザヤにこう言われました。

引き返して、わたしの民の君ヒゼキヤに言いなさい、「あなたの父ダビデの神、主はこう仰せられる、わたしはあなたの祈を聞き、あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやす。」

(列王記下20:5)

ここで「あなたの父ダビデの神」とあるのは、とても興味深いことです。なぜなら、ダビデ王はたくさんの過ちを犯しましたが、神はそんな彼を憐れみ、赦して、民を助けるために用いてくださったからです。

また、ダビデが病気になった時、ヒゼキヤの祈りとは対照的な祈りをしています。

「主よ、わたしをあわれんでください。わたしは弱り衰えています。主よ、わたしをいやしてください。主よ、かえりみて、わたしの命をお救いください。あなたのいつくしみにより、わたしをお助けください。」

(詩篇6:2, 4)

ダビデは、ただ神の憐れみといつくしみによって、命を救ってくださいとお願いしています。祈りがかなえられるのは神の恵みであって、自分がそれに値するからではないと知っていたのです。

しかし、ヒゼキヤは癒やされた後も、それは自分が信心深い立派な人だからだと勘違いしていたようです。

ヒゼキヤは病んで死ぬばかりであったが、主に祈ったので、主はこれに答えて、しるしを賜わった。しかしヒゼキヤはその受けた恵みに報いることをせず、その心が高ぶった・・。

(歴代志下32:24-25)

神の恵みによって余分の命が与えられたことを感謝し、残りの人生を謙虚に生きることによって、その恵みに報いるべきだったのに、かえって高ぶってしまいました。

さいわい、彼は後になってから、「その心の高ぶりを悔いてへりくだり」ましたが(歴代志下32:26)、彼が高ぶりをもってした行動は、後のバビロン捕囚(ユダ王国が新バビロニア王国に征服され、住民が捕虜としてバビロンに移住させられた事件)につながるという悲しい結果をもたらしています。

ヒゼキヤの話を読んでいると、祈る時にも、祈りがかなえられた後にも、それはすべて神の恵みによるものだと認識する謙虚さがいかに大切であるかを痛感しました。

さて、このように高ぶって過ちを犯したヒゼキヤですが、彼がユダ王国の歴史の中でも傑出して素晴らしい王であり、神に大いに用いられたことに変わりはありません。

ヒゼキヤはイスラエルの神、主に信頼した。そのために彼のあとにも彼の先にも、ユダのすべての王のうちに彼に及ぶ者はなかった。

(列王記下18:5)

ダビデの場合もそうでしたが、神は、過ちを犯さない完璧な人間ではなく(そもそも、そんな人はいませんが)、自分の弱さや過ちを認め、神に信頼する人を用いてくださるようです。これもまた、神の恵みと言えるでしょう。


ヒゼキヤ王の癒やしとその後について、詳しくはこちらに書かれています。



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