かけがえのない大切な存在
大切なものをどこかに置き忘れた、あるいはどこかに消えてしまって、見つからないということは、きっと誰にでもあることでしょう。そんな時、私はこの聖書の言葉を引用して祈ります。
見つけるのを助けてくださるよう祈り求めてから、主の導きに従って探し、可能性のある場所を当たってみるのです。そうすると、思いがけないところで見つけたり、時にはどこにあるのかを示されたりします。
少し前には、こんなことがありました。
妹の愛犬の逃亡
両親が妹夫婦の近くへ引っ越すことになり、私も実家に手伝いに行きました。
荷物を載せたトラックが出発し、残りのものを乗用車で運ぶためにまとめていた時のことです。ケージから出してあった妹の愛犬がいないことに気づきました。
以前にも、妹の家の近くで逃げたことがあり、興奮してあちこちを思いっきり駆け回っていたのですが、室内犬なのでそういうことには慣れておらず、足を痛めて動けなくなり、肉球も血だらけだったそうです。
おそらく今回も同じことが起こるでしょう。誰にも見つからないところで動けなくなったら衰弱して危険なので、妹はかなり心配し、雨の中を探しに行きました。私は前述の聖句を引用して祈り、出発の用意を続けました。
犬を見つけられなかった妹は、しばらくして戻り、今度は保健所に(さらに職員の勧めにより警察と市役所にも)連絡して、犬の特徴などを詳しく説明しました。
引越し先の町までは5時間以上かかるため、あと1時間ほどで出発する必要があり、妹はあきらめ気味でした。(迷子犬がそれほど早く見つかる可能性というのは、かなり低いようです。)
後で見つかったとしても、往復10時間もかけて引き取りに来なくてはいけないし、それまでの間も妹は気が気ではないことでしょう。彼女にとっては、かけがえのない大切な存在なのですから。
私は妹の心中を察しながら、今一度祈りました。引っ越してからではなく、すぐに、出発までに見つかるようにと。
するとまもなく警察から電話が入り、ガソリンスタンドが、その前の車道にうずくまっていた犬を保護しているとのことでした。人通りのあまりない地域なので、他の場所ならそのままになって、車にひかれたり、ただ衰弱したりしていたかもしれません。
たった一匹の小さな犬ですが、無事に見つかり、私たちの心に大きな喜びをもたらしてくれました。
後でこのことを考えていて、イエスが話された有名なたとえ話を思い出しました。
99匹の羊のたとえ
羊は私たち、羊の飼い主は「よい羊飼い」と呼ばれるイエスのことです。
私たちが一匹の小さな飼い犬をそれほど愛して大切に思い、心配し、雨の中を探し回るのをいとわないように、イエスは私たち「小さい者のひとり」、迷い出た一匹の羊を愛し、大切に思っていてくださいます。
たとえ私たちが、自分は大勢の中のひとりで、取るに足りない存在であり、自分ひとりが迷い出たことを誰も気にかけないだろうと思っても、イエスにとっては特別で、かけがえのない存在です。
それどころか、イエスは「羊のために命を捨てる」(羊を救うために命を犠牲にする)と宣言し、その言葉通りに、私たちを救うために十字架にかかってくださいました。
逃げ出し、迷い出し、過ちを犯して、自分を傷つける私たちを、「なんて愚かなやつだろう。傷だらけになっても自業自得だ」と言って見捨てることなく、探し出し、救ってくださるのです。
私たち一人ひとりは、神にとってかけがえのない大切な存在です。妹の愛犬が、そのことを思い起こさせてくれました。
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