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インマヌエル(私たちとともにおられる神)

ヨセフが婚約者マリアの妊娠を知り、離縁しようと思い巡らせていた時、天使が現れてこう言いました。

「ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」(マタイ1:20-21〈新改訳2017、以下同〉)

イエスとは「主は救い」という意味です。

イエスには他にもさまざまな呼び名があり、それぞれイエスがどんな方であるかを示しています。

たとえば、上記の天使のお告げに続けて、マタイは次のように記しています。

「このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。『見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』 それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。」(マタイ1:22-23)

聖霊、つまり神の霊によって胎に宿ったとは、イエスが神の子であり、神であるということです。

そしてその神が私たち人間の姿となって、「私たちとともにおられる」のです。

私たちを見放し、私たちの苦悩など気にかけもせず、遠くから眺めているのではなく、私たちのすぐ側におられる・・これは素晴らしい知らせではありませんか。

マタイによる福音書は、この「神が私たちとともにおられる」という言葉を繰り返すように、復活後のイエスが天に戻る前に語った次の言葉で締めくくられています。

「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)

この「ともに」は、時間にも空間にも制限されていません。

イエスは弟子たちと一緒におられただけではなく、現代の私たちとも「世の終わりまで、いつも」ともにいてくださるのです。

ですから、悩みや恐れがある時、不安に襲われる時、助けが必要な時、辛くてしょうがない時、どうぞこのことを思い出して、私たちを決して見放すことのないインマヌエル、いつも「私たちとともにおられる神」に呼びかけてください。

「主ご自身が『わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない』と言われたからです。」(へブル13:5)


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