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病気の時に力をくれる10の聖句

最近、私の友人や家族で手術を受ける人が多く、私自身の喉の調子も悪かったりするので、昨日は病気や癒やしについて、聖書の言葉をいろいろと読んでいました。

皆さんの中にも、体調を崩している方や、友人にお見舞いの言葉を送りたい方がいるかも知れませんので、病気になった時に力づけられる聖句を紹介したいと思います。

病気は「世の常」

あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。(1コリント10:13)

病気になると、「なぜ私がこんな目に・・」と思うことがありますが、私たちの魂がこの肉体に宿っているかぎり、病気は誰にでも起こりうることです。

そのような試練の中にあっても、神に信頼を寄せるなら、私たちのために逃れる道が備えられていることを知るでしょう。

イエスは癒やし主

イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。(マタイ9:35)

イエスが地上におられた際、宣教と共に力を入れられたのが、病気を治すことでした。

それは、イザヤ書に預言されていたことです。(マタイ8:16-171ペテロ2:24も参照)

彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。(イザヤ53:3-5)

「悲しみの人で、病を知っていた」イエスは、私たちの苦悩をよくご存知であり、助けたいと望んでおられます。

奇跡的な癒やしは、神の力の現れ

イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか。」 イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。」(ヨハネ9:1-3)

そして、この人はすぐに癒やされ、目が見えるようになりました。

ヨハネ9章全体は、この人の癒やしについて書かれており、それは2千年にわたって、多くの人を励ましてきたものです。

聖書の時代と比べると今の医学は格段に進歩し、治る病気も多くなってきましたが、そうでないものもまだまだたくさんあります。

そんな中、神のわざ、つまり奇跡によって癒やされることは現代でも起こっています。

私の妻も、昨年、一度かかったら治ることはない「3万人に1人」の難病にかかりましたが、祈り続けていると、神は癒やしてくださいました。

ですから、薬や手術で治るものであれ、そうでないものであれ、癒やされることが御心だと信じるのであれば、あきらめずに祈り続けましょう。

他の人にも祈ってもらう

互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。(ヤコブ5:16)

心を打ち明け、お互いのために祈り合える仲間がいることは祝福です。

神は祈りに答えられる

わたしはあなたの祈を聞き、あなたの涙を見た。見よ、 わたしはあなたをいやす。(列王記下20:5)

私たちの祈りは、ちゃんと神の耳に届いています。

主は言われる、わたしはあなたの健康を回復させ、あなたの傷をいやす。(エレミヤ30:17)

神はあなたのそばで支えてくださる

主は病の床で彼をささえられる。病むときにどうか彼を全くいやしてくださるように。(詩篇41:3 新改訳第3版)
われわれの神、主は、われわれが呼び求める時、つねにわれわれに近くおられる。(申命記4:7)
恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。(イザヤ41:10)

特に、入院する場合、今は家族でさえ面会できないので、心細く感じるかもしれません。

入院に限らず、私たちが病気の時は、神がすぐそばで私たちを支えておられることを、どうぞ覚えていてください。



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