希望に満ちた忍耐
試錬や苦しみは世の常です。
それを通して、私たちは信仰が試され、同じような苦しみにある人への優しさや思いやりを身に着け、また忍耐を学びます。
「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」(2コリント1:4 新共同訳)
「あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。」(ヤコブ1:3)
「苦難が忍耐を生み、忍耐が品格を、品格が希望を生むことを知っているからです。」(ローマ5:3-4 聖書協会共同訳)
忍耐が必要なのは、私たちがせっかちだからであり、すぐにでも試錬が終わってほしいと願うからです。
また、すぐにでも結果を出したい、すぐにでも祈りが叶えられてほしいという時もあります。
でも、試錬がその目的を果たし、私たちに必要な品格を生み出すには時間がかかります。
また、結果を出すには、それなりの努力と時間が必要です。
祈りが叶えられるのでさえ、神が最善と知っておられる時まで待たなければいけません。
どちらにしても待つ必要があるのなら、神のタイミング、神の計画に信頼を置き、忍耐して待つほうが、イライラして待つよりもずっといいことでしょう。
上記の聖句で「忍耐」と訳された言葉は、日本語で思い浮かべるように、黙って耐え忍ぶという消極的なものではありません。
この言葉には「希望」の意味合いがあり、神に信頼して良い結末を待ち望むというニュアンスになります。
神が最善と知っておられる時に、試錬は終り、結果は生まれ、祈りは叶えられると信じましょう。
それまでは、自分のすべきことを行いつつ、希望に満ちた忍耐を持ち続けることです。
◆ ◆ ◆
「神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。」(へブル10:36)
「忍び抜いた人たちはさいわいであると、わたしたちは思う。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いている。また、主が彼になさったことの結末を見て、主がいかに慈愛とあわれみとに富んだかたであるかが、わかるはずである。」(ヤコブ5:11)
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