仕える指導者
10月5日は、UNESCOが制定した世界教師デーです。
人生を振り返ってみると、献身的な教師の皆さんのおかげで今の自分があることが分かります。
中でも私の人生に一番の影響を与えた教師はイエスです。
人生や人間関係、その他多くのことについて、いろいろと教えていただきました。
しかも、とても愛情深く、私たちの悩みや苦しみを思いやってくださいます。
イエスと同じ時代に、教師や先生と呼ばれた宗教指導者や議員たちがいましたが、彼らは尊大になって権力をふるい、人からあがめられることや良い待遇を受けることを期待する一方、親身に人のことを考えたりはしませんでした。
イエスは弟子たちに、そういった人たちのようになるなと語っています。
「あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただ一人で、あなたがたはみな兄弟だからです。あなたがたは地上で、だれかを自分たちの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただ一人、天におられる父だけです。また、師と呼ばれてはいけません。あなたがたの師はただ一人、キリストだけです。あなたがたのうちで一番偉い者は皆に仕える者になりなさい。」(マタイ23:8-11 新改訳2017)
ここには4つの呼称が出てきますが、そのいずれも教師を指しています。
1)先生:ラビ。もともとは「大いなる方」という意味で、律法の教師への尊称です。
2)教師:教師という立場を指す場合も、敬称として使われる場合もあります。
3)父:ここでは精神的な意味で用いられ、教師や議員への尊称です。
4)師:指導者、教師、案内者という意味です。
この章全体を読んでみると、イエスが警告されたのは、決して人をそのように呼ぶなということよりも、これらの呼称に伴う絶対的な権威に酔ってはいけない、ということだと分かります。
イエスも教師であり指導者でしたが、弟子たちを心から愛し、思いやり、「仕える者」でした。(ヨハネ13:13-15、マルコ10:42-45、ピリピ2:6-8、ヘブル4:14-15)
私たちも、人を教えたり指導したりする機会があれば、尊大になることなく、仕える心でできますように。
そして、最後になりますが、献身的に働いておられる教師の皆さんに、素晴らしい一日がありますように。
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