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まだたき火をしている(『蛇の言葉を話した男』の話)

アンドルス・キヴィラフク『蛇の言葉を話した男』(河出書房新社)

具体的な年代は誰も言わないからわからないがエストニアにキリスト教が広まりはじめた時代の話のようだ。主人公は森の中で家族とともに暮らしているが先行きはあまり明るくない。村に住む子どもたちは新しい名前をもらってだんだん文明化していきそうな気配がある。古い社会が滅びようとする時代の話ではあるのだけれど、歴史的背景は断片的にしか見えないので、遠い未来の人間が滅びようとする世界で、何か新しい信仰が生まれはじめたころの話であるようにも読んでいた。誰もそういう読み方をしてはいけないと言っていないし小説とはそういうものです。

さて主人公は村の友人たちがみんなキリスト教風の名前を名乗って、これからは自分たちの時代だ!みたいな顔をしているのが気にくわない。村でごちそうになった食事もおいしくなかったしあんな連中にはなびかないぞと思っている。
だからといって、これまでの森の暮らしを褒め称えるかというとそうでもない。家族にはうんざりすることもあるし伝統を守れとうるさいやつもいて心底うんざりしている。(だからキリスト教に興味を持ったりもしている)
どちらも覗いてみた主人公の結論が「どっちにもいいところがあるな」ではなく「どっちもろくでもないな」だと読めてしまったのでとても共感するに至りましたね。

古いものと新しいものの対立というのは、長い歴史のある国ならどこでも生まれるものだし、まだ長い歴史のない国にだってこれから生まれてくるものだろう(国と言ったけれども、もっと範囲を狭くした『地域』の話としてもよかったかも)。エストニアで書かれたこの小説は、エストニアの歴史や伝説を折り込んだエストニアの物語であるのだけれどもそこでしか起きなかった(または起きない)話では全然ない。
本書の日本語版はフランス語版からの重訳であり、巻末にはフランス語版の解説もついていて、そこではフランス国内で起きている同様の現象について書かれている。もちろん日本にも同じようなことはたくさんあるしたぶん世界中のほかの場所でもいくらでもあるのだろう。この本が翻訳されている国でもまだされていない国でも。

「あのおっさん怖いからいやだな」「パンまずいからいやだな」のあいだで揺れる主人公は子どもだからどちらも選びもせず、そこから長くて厳しい旅路につくことになる。動き出せばこんな大冒険をすることになるのかもしれないが、動かずにここにいても別にこの本の中の世界とわれわれの世界が変わるわけではない。熊と交際したり森の奥で暮らしたり狼を飼ったりシラミを育てたりはしていないけれど彼らと同じで、今も一人でたき火をしているのだしそうしたいと思っている。


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