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ミッチェル・ランゲラック インタビュー記事

初めまして、シロクロッソと申します。現在は(Jリーグが見れないので...)専ら海外サッカーに重きを置いて観戦をしていますが、地元である名古屋グランパスのファンでもあります。今回Twitterを閲覧していた際にたまたまこのインタビューを見つけることができました。主な内容としてはランゲラックがDortmundへ加入してから名古屋グランパスでプレーしている現在のことまでを時系列順に話しているものです。拙い日本語ではありますがまとめてみたので、名古屋に辿り着くまで、そして名古屋に来てからの彼がどのようなキャリアを送ってきたのか、ぜひ最後まで読んでもらえると幸いです。

10/2にドイツメディアに記載されていたランゲラックのインタビューです。

以下本文:

<2010年、Melbourne VictoryからDortmundへ移籍した時の最初の印象>
「代理人が午前3時に電話をかけてきた。Dortmundが一刻も早く自分のことを獲得したい、と。自分は半分寝ていたから、''いい話だね、問題ない。明日詳しく話そう''と言った。次の日、夢じゃないか確認するために電話をかけ直した。そして代理人に聞き直した。''どのクラブだったっけ?Bremen?Hertha Berlin?''と。彼がDortmundと言った時には信じられなかった。」

<当時のDortmundの印象>
「正直に言うと、自分が知っていなければいけないことすら知らなかった。ドイツ有数のビッグクラブだということは知っていた。当時のBVBは今ほどは大きなクラブではなく、まだ成功の始まりの時期だった。今ではオーストラリアの誰もが知っている。」

<Jurgen Kloppと初めて会った時>
「彼のこともあまり多くは聞いたことがなかった。代理人からは''彼は次世代のドイツを背負う監督で、みんなから愛されている人だ''と伝えられた。いざ会った時、彼にこう言葉をかけられた。「悪いプレーをしようが、ミスをしようが関係ない。真剣に、懸命に練習に取り組んでくれたら自分との間に問題が生まれることはない。」と。彼の言葉は今でも覚えている。ドイツでの最初の数カ月はこの言葉をモットーにして生活していた。

<Dortmundに提示されたもの>
「Roman Weidenfellerに次ぐ2番手を提示された。彼のサポートをして、必要な時には彼の代わりを務める。その時はいい意味で少しナイーブだったから毎週プレーすることも恐れてはいなかった。ドイツに来た当初はヨーロッパのフットボールがどれほど壮大なものなのかを理解していなかった。ただ、それは練習に集中し、成長するためにはアドバンテージになった。」

<実際に2番手を務めてみて>
「最初の2年の自分の唯一の目標はより成長することだった。Weidenfellerを超える機会はなかった。3年目になり、次のステップを踏みたいと強く思うようになった。数試合出場した。理想的なのは試合の頭から出場すること。けれど、GKとしてそれは常に可能なものではなく、落ち着いて出番を待たなければいけない。」

<Kloppの下でのプレー>
「彼は常に選手と話し合っている。彼は全ての選手がチームに欠かせないと感じれるようコントロールしていた。みんなと日常生活のことも話していた。当時のDortmundは世界でもトップクラスのチームの1つだったからプレーできたのは14人だけで、他の選手は出番を待たなければいけなかった。」

<Dortmundでの初出場(リーグ戦vs Bayern München)>
「Weidenfellerが試合前日にケガをして自分がプレーすることになった。GKとして真剣勝負から長い間遠ざかっているとプレーするのはいつでも難しいことだ。ミュンヘンでのシーズンの大一番でデビューし、20年ぶりの勝利を収めれてとても興奮した。」

<試合前に伝えられたこと>
「Kloppは冷静だったし、冗談も言っていた。まるで親善試合を戦うかのように。自分はまだナイーブで試合の重要さが分かっていなかった。だからこう考えるようにした。勝てたらもちろん素晴らしい。けど、そこでは終わりではなく来年もある、って。若いオーストラリア人だった自分はそんなにメンタリティをもっていた(笑) Marcel Scmelzerが自分のところに来てこう言った。''君は既に90分のフットボールをプレーしたことがあるし、ビッグゲームでもプレーしたことがある。次の試合も同じ90分だ。それ以上でもそれ以下でもない''と。とても良いグループだったし、それは自分を気楽にさせてくれた。」

<1番のチームメイト>
「Nuri Sahinは素晴らしかった。他にもRobert Lewandowski、Neven Subotic、Mario Götzeなど素晴らしい選手がいたね。」

<トレーニングで1番手を焼いた選手>
「1番はIvan Perisić。あとはMarco ReusとLewandowskiだね。」

<数試合出場してからのWeidenfellerとの関係>
「全く問題なかった。彼との関係は本当に素晴らしかった。彼は自分がトラブルを起こしたり、彼のキーパーグローブにワセリンを塗ったりするようなやつじゃないってことを知ってたからね(笑)」
<Kloppがチームを去ることを発表した時>
ショックだった。家にいてニュースでそれを知った。その当時はトップクラスの監督がトップクラスのクラブを去るということを上手くのみこめなかった。彼は僕達のキャリアに多くをもたらした。でもそれがプロフットボールの世界。チームの環境は素晴らしかったし、誰も涙を流しながらトレーニングに来ることはなかった。」

<Thomas Tuchelの就任とRoman Bürkiの加入>
「新しい監督と新しいGKが来ることによって自分の立場が難しくなることは分かっていた。それが理解できないほど自分は愚かではない。だから自分は代理人に対して他のオプションが必要だと伝えた。実際その日にStuttgartからの接触があった。もちろんDortmundでスタメンになりたかったし、そう発言もしていた。ただ、バカンスの時に全てのことが起こったからそれ以外に言い様はないだろう?(笑)」
<Dortmundからの事前通達>
「Bürkiが来る1週間前にその事が伝えられた。その時は何も問題なかった。スタメンの座を争うつもりでいたから。それからすぐにStuttgart の話が浮上した。自分はこの挑戦を心から望んだ。Dortmundに残ったら、スタメンになっていた自信はあった。ただ、新たな監督が新たなライバルを獲得してきたら状況を理解しなければいけない。それはたとえ自分をどのように評価しようが、どのように評価されてようが関係ない。市場に良いGKがいたら、あとはクラブの判断次第だ。」
<Tuchelとの関係>
「彼には会ったこともなければ、話したこともない。Bürkiと練習したこともない。全てがバカンスの間に起きた事だった。Michael Zorc(SD)と話をして全てを説明した。彼は残念がっていたが、理解してくれた。」
<Dortmundに対して>
「恨みなんてものは全くない。みんなにきちんとお別れを伝えて、ハグをして、ありがとうを伝えてクラブを去ることが出来てよかった。」
<5年所属したDortmundを離れての新たなチャレンジ>
「4年目の時にKloppと話をした。自分が前に進むために何をすべきか彼に尋ねた。試合経験を積むためにどこかにローンで行くべきか?とも。彼は残って努力し続けることが1番だと言い、自分に課題も与えてくれた。ただそれと同時に、次の年に望むのであればローン移籍も許可すると約束してくれた。その当時は彼は自分に残って欲しいと思っていた。」
<Stuttgart移籍後>
「正守護神としてStuttgartと契約を結んだ。だがその後膝の怪我で半年離脱することになってしまった。復帰した時にチームは降格争いの真っ只中で自分はチームを助けることができなかった。もちろん辛い時期ではあったが、違うクラブで新しい経験ができたのはよかった。」
<StuttgartとDortmundの違い>
「異なる観点から物事を見れたことは良かった。Dortmundは常にタイトルを争うクラブで、Stuttgartでは降格争いをしていた。Dortmundでの5年間は同じコーチ、同じ環境だった。一方でStuttgartに来てからはコーチやSDが頻繁に変わった。全てのことにポジティブになれる訳では無いけど、キャリアとはそういうものだ。」
<15/16シーズン、Stuttgartは降格>
「大きな災難だった。ただ、すぐに次のシーズンに向けて切り替えた。いくつかのオファーがあってチームを去ることも出来たが、全て断った。2部リーグで毎試合プレーすることが自分にとって重要だった。だからすぐにクラブに残留すると伝えた。」
<翌シーズン、唯一のフル出場を果たし、チームも昇格。ただ、Dortmundの時と同様にシーズンインと同時に新たなGK(Ron-Robert Zieler)がチームに加わった>
「とても落ち込んだ。前シーズンのチームのベストプレーヤーの1人だと思っていたから。それにおかしな状況でもあった。昇格に向けて戦っている最中で、まだ試合が残っていた3月に代理人として働いている仲の良い友人と話をした。''ミッチ、友人だからあえて言うけど、Stuttgartが来季新たなGKを獲得するということを知っておいて欲しい''と言われた。もちろんそれに対して怒りの感情を持った。ただ、それでもプロとしてチームの昇格という目標に対して全力を尽くさないと、と思った。2部チャンピオンになって、ピッチでそれを祝っていた時、これが自分にとってStuttgartのユニフォームを着る最後の機会だということは理解していた。クラブから新GKについて通達されることは無かったけれど、もちろん新たなGKの獲得を狙っていることは知っていた。自分も口を固くして誰にもその事は話さなかった。」
<次の移籍先、スペインのLevante>
「新たなスタートを切りたかった。どこにでも行ける準備はできていた。Levanteですぐに試合に出れないことを分かっていて移籍を選択した。クラブ側は半年以内に自分がポジションを奪い取ることを期待していた。プレーできる可能性があるかどうか、それが自分が唯一知りたかったことだった。」
<移籍の選択肢>
「選択肢自体は多くなかった。自分は外国籍の選手でプレーできる国が限られていた。例えば自分はパスポートの都合でイングランドには行けなかった。オーストラリア人がヨーロッパでプレーするには複雑なルールがある。自分は許可を得ることができなかった。イングランドでプレーしているオーストラリア人のほとんどがオーストラリアともう1つヨーロッパのパスポートを持っている。ドイツは自分がプレーできた国の1つだった。自分は特別な許可を得れたけれど、スペインやオランダでプレーすることはとても難しかった。自分もドイツのパスポートの取得を試みたけれど、上手くはいかなかった。」
<Levanteには4ヶ月の所属で、僅か1試合の出場に>
「日本の名古屋グランパスから魅力的なオファーをもらった。Dortmundへの移籍以降にした選択では1番の選択だったと思う。」
<日本を選択した理由>
「ただ完璧な条件だったからだ。サッカーと生活面の両方においてとても良い選択だった。自分が必要とされていると感じれたし、全ての面においてのプロ意識が高くみえた。また、日本はオーストラリア、そして家族と距離的に近く、同じタイムゾーンに属している。母国から離れてヨーロッパで過ごした7年間はオーストラリア人にとってはとても長い期間だった。そこまで長くヨーロッパにいれる人は多くはいないよ(笑)」
<日本のサッカーについて>
「サッカー自体は素晴らしいし、良い選手もたくさんいる。ヨーロッパのサッカーはよりフィジカル的な要素が強いけれど、日本はよりテクニカルな要素、俊敏さや短いパスに重きを置いている。1つ例えるなら香川真司かな。ピッチ上に15人の香川真司がいるみたいな感じだ。もしドイツのファンが何試合か見たらきっと驚くだろう。多くの代理人がJリーグの試合を見ている。将来的にはより多くの日本人選手がヨーロッパに羽ばたくと自分は見ている。」
<3人のブラジル人(シャビエル、シミッチ、マテウス)、韓国人(オ・ジェソク)がいる中でのコミュニケーションの取り方>
「全員に通訳がいるけれど、日本人選手の多くは英語を使ってコミュニケーションを取ろうともしてくれる。」
<ドイツとスペインでのプレーを経ての日本でのプレーをどう感じるか>
「とても大きな挑戦だと思っている。Jリーグはアジアで1番のリーグだ。昨季はイニエスタ、ポドルスキ、フェルマーレン、ビジャのいる神戸と対戦した。それにいくつかの日本人選手はヨーロッパ人選手たちよりも優れている。GKとしては誰と対戦しようが、誰がシュートを打ってこようがあまり関係ない。もしその選手が上手い選手だったら、どちらにせよ自分は窮地に追い込まれてしまう。」
<日常生活における違い>
「選手が持っている尊敬の念と規律を守る部分に関しては本当に素晴らしいと思う。監督が何を言おうとそれが議論されることは無い。ドイツでトレーニングが10時に始まるとする。大体みんな9時頃に来て、トレーニングが終わったらすぐに帰る。日本で10時スタートのトレーニングが予定されていたら選手たちは8時に来て、全体練習の前にウェイトトレーニングを行なっている。さらに練習後も15~16時まで残ってることもある。毎日欠かさずに働くことが普通の状態になっている。自分はどちらかと言うとヨーロッパ式に慣れている。他にも面白いことはある。ゴミ箱がないのにも関わらず、道端にゴミが落ちてることもない。もしヨーロッパでゴミ箱がなかったら、道路はゴミで溢れてると思うよ。」
<感染した時について>
「チームメイトの陽性が判明して、チーム全員が検査を受けた。そして自分は無症状だったけど陽性反応が出た。日本では10日間の検疫期間がある。身体におかしいことはなかったけれど、もし悪化して家族にうつしてしまったりしたらどうしようと恐れていた。その後2度の検査で陰性となり、病院生活を終えた。国全体で上手くコントロール出来ているように見えるし、感染者数も大きく変化していない。自分は感染する前も、してからも常にルールに従って行動してきた。日本ではマスク無しで外出する人はいないし、それが当たり前になっている。ただ、全てのルールをきちんと守っていても完全に防ぐことはできない。自分も常に注意深くしていたし、何かを変えたことも無い。感染してしまったのは少し不運だった。」
<2021年1月までの契約について>
「コロナ禍において、自分は世界中の全ての人と同じ状況に置かれている。現時点でどうなるか言及することはできないけれど、、自分はここでプレーし続けたい。今後上手くいくように祈っておこう。」

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タイトル画像はクラブ公式Twitterより

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