聞こえてきた声
路上で倒れて、最初の病院のことは何一つ覚えていない。そこからより大きな病院に搬送されたときも。
大きな病院について、救急車から降ろされて、そこで声をかけられたのかICUについてからなのかもわからないけれど、大声で呼ばれていた。
「ウサコさん!ウサコさん!聞こえますか?」
「ウサコさん!いまどこに居るかわかる?」
「お名前言ってみて!言える?」
遠くから大声で呼ばれてる気がする…
何で真っ暗なんだろう…
わたしはウサコです。聞こえてます。いま返事するから待ってください。
あれ?口から声が出ないみたい…
それからまた何も聞こえなくなり、意識は暗くなった。
アレはICUの看護師さんたちが、意識障害を起こしていたわたしを呼び続けていてくれたのだと思う。聞こえてはいたのだけど、声が出なかったし、視界は真っ暗だった。体がどうかなっているかなんてまるでわからなかった。ただ暗い中をふわりふわりただよっているだけ。自分が眠っているのか起きているのかもわからない。
もしかしたら、ほんとに死にかけてたのかも。
お花畑は見えなかったけど。
その後は誰がそばにいて、何をしてくれていたのかわからなかった。意識は混濁して浮かんだり沈んだりしていたし視界は相変わらず暗くて何にも見えなかった。
でもその間に点滴に繋がれてるのに、勝手に起き上がったり、帰る!と喚いたり、ベッドの上に立ち上がったり、果ては点滴を引き抜こうとしてたらしい。まるで覚えていない。
それで手足と腰を固定(拘束)されたのだそうだ。(拘束については別記事に詳細)
少しずつ意識が浮かぶように戻ってきて、気がつくと縛られていた。何故だかわからないから、死に物狂いで逃れようとしたけれどビクともしない。相変わらず目はほとんど見えてなくて、だから余計に怖かった。
そんな中で、2回はっきりと聞こえてきた声がある。
男性の声で柔らかい調子だけれどもはっきりと発音されていた。
「大丈夫ですよ」
わたしはそれを聞いてから暴れるのをやめて少し眠っていたように思う。それが数時間なのか丸一日だったのかわからないけれど、なんとなく安心した。
また意識が戻ると相変わらず拘束されていて、恐怖から身をくねらせて振り解こうとした。視界は暗くて辺りは見えず、なぜ縛り付けられているのかわからないのだから、恐怖に駆られたとしても不思議はないと思う。
「大丈夫ですからね」
今度も男性の声でハッキリと聞こえてきた。わたしは声のする方に顔を向けたけれど、なんだか白っぽい塊が見えただけだった。誰かがわたしに向かって声をかけてくれていることは理解できたので、返事をしようとしたけれど、やはり声は出なかった。
でもこの声は2回目だと認識できた。2回目ということは時間が空いているということだ。わたしはどのくらいこうしてここにいるのだろう。少しずつ少しずつ切れ切れだった思考が一つのまとまりになってきた。
3日が過ぎて、視界が明るくなるにつれ、意識も戻ってきて、自分の状況が飲み込めて暴れなくなって、拘束が解かれて、家族が面会に来た。
ふと気づくと、夫と次男が神妙な顔でベッドサイドにいた。夫のことは完全に頭の中から抜けていたけど、次男の顔には反応して咄嗟に手を握った。わたしから何か話しかけたようだけど、言葉はまだ上手く発音できなかった。後から次男に「意外と掴まれた手の力が強くて、ちょっと怖かった」と言われた。
意識が戻ってきてからは、ICUの看護師さんたちと会話して、あの男性が誰だったのか同じ声の人がいないかと思ったのだけど、なかなか出会わない。
その後一般病棟に移り、主治医が病室にやってきて自己紹介した。やっと、声の主がわかった。
声というのは生まれ持った所が大きいと思うけれど、どのように話そうとするか、はコントロールできる。大人になればそれは自分の責任で選んだものと言える。
主治医のO先生は、柔らかなトーンでハッキリと話す人だった。
患者を相手に話すのが仕事なのだから、声の使い方には気を使っているのかもしれないと思った。でも気遣いなど一切しない医師や看護師もいる。自分のその時の感情をそのまま声に乗せてしまう人。患者は痛みを抱えているから、とても敏感になっている。
わたしはO先生には信頼の感情が持てて、ラッキーな患者だった。
質問には出来る限り丁寧にわかりやすく答えてくれた。わたしが病院の食事以外のものを口にした時も、責めはせずに何故止められているかの理由を淡々と説明してくれた。少し悲しそうでさえあった。
退院の日(水曜日)にはサブリーダーの女性医師しかいなくて、ちょっと寂しかった。非常勤医で月曜日と金曜日しか病院にいないのだと知ったのは退院してから。
あのほとんど意識のない3日間の間に、おそらくは看護師さんたちも何度も声掛けしてくれていたと思うけれど、何故か落ち着いたトーンの短かな「大丈夫ですよ」だけは記憶に残っている。
あれがなければ、やみくもに拘束を外そうとして延々と暴れ続けていたかもしれない。
退院後は一度診察に病院を訪れたけれど、住所に近い街のクリニックに転院し、O先生にはもうたぶん会うことは無いのだと思う。(この病院で面倒みてくれとごねたのだが、病院の方針で急患ではなくなったら地元のクリニックへの紹介されたのだ)
あのふよふよした時間感覚の中で、恐怖に駆られてもがいている時、安心をくれた声に、わたしは今でも感謝している。
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