わたしの夏が来た。
夏を感じるにはいろんなきっかけがあると思う。
それが日差しだったり、汗だったり、エアコンだったり、カエルの合唱だったり。
わたしの場合、それはネクタリンをスーパーマーケットの棚に見つけること。少々高くても迷いなく購入し、齧ったときの酸っぱさが、本格的な「夏」の到来を感じるのだ。
故郷を離れて久しい。もう東京に住んでいる時間の方が長いのだけれど長野で育った「舌」はあまり変わらない。味噌は今でも必ず信州味噌を買う。東京育ちの息子たちは信州味噌の味噌汁しか知らない。
長野に住んでいる時は、野菜も果物も「箱単位」で台所に積んであった。自家菜園で獲れるもの、ご近所からのお裾分け、お中元。子ども3人がバリバリ食べていたから、腐らせて捨てることは無かった。
特に果物。わたしの子どもの頃は、母の姉である伯母が果物農家に嫁いで同じ市内に住んでいたから、季節になると大きな箱に山盛りに、それもしっかり木で熟れたものを運んできてくれた。
その美味しさは、言葉には表せない。
美味しいものが山積みなのだから、ヘンゼルとグレーテルが出会ったお菓子の家に住んでいるようなものだ。そして夏バテで白飯が喉を通らなくても果物だけは食べられたから、少々なことでは倒れないでいられたのだ。
東京に来て果物の値段と味にゲンナリし、どれだけ恵まれた生活をしていたのか痛感した。
それでもわたしは果物を買う。時には取り寄せる。
食べる喜びの半分は果物だからだ。
そして暑くなると伯母が縁側にドサっと置いてくれたネクタリン。夏になったな、と実感するために探し回る。
この果物は長野ではポピュラーな果物だけど、東京では取り扱っていない店も多い。取り扱いがあってもほんのわずかな分量と期間しか置いていない。
だから季節になるとほとんど毎日スーパーマーケットの棚を探す。遠回りしても八百屋の店先をチェックして歩く。
今年は、新しく開拓した店の棚に最後のひとパックを見つけた。昨日までは無かったから、並べた途端に売れていったのだろう。長野出身のライバルは意外に多いということか。
糖尿病に罹患したのでかなりキツく果物は制限されているのだけれど、ご飯を食べなくてもネクタリンは欠かせない。
これで少々苦手な夏が、現実となってやってきた。
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