王妃ペルシーナの視線 (2)

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 前節の「王妃ペルシーナの視線(1)」では、太陽神をまつる神殿の祭司の末裔だと自称する紀元後四世紀の文筆家ヘリオドロスの長編小説『エティオピア物語』の主人公、伝説的な美女カリクレイアの出生の秘密をかいまみた。それによると、彼女の本当の母親はエティオピア王妃ペルシーナであるという。そしてカリクレイアを受胎した経緯について記した書簡で、王妃ペルシーナ自身が告白する。ある晩のエティオピア王との行為のあいだ、王妃は寝室に掲げられた絵画に描かれた女神アンドロメダの裸像をじっとみつめ、その視線の影響のもとに王妃の胎内にやどったカリクレイアは、女神アンドロメダと同様に透きとおるような白い肌になったのだという。

 以下ではつづいて、ヘリオドロスが属した古代ギリシア・ローマ世界の著作家のなかでも、まずは哲学者や文筆家たちの証言をみていくことにしたい。もっとも知られている証言は、紀元前五世紀の哲学者エンペドクレス(c. 490-c. 430 BC)に帰される断片に見出せるだろう。この哲学者はイタリア南端に位置するシチリア島の都市アクラガスの出身で、ピュタゴラス学派に学び、弁論術の始祖だともいわれる。問題の断片そのものは、現在では紀元後1・2世紀に生きた学説史家アエティウスの著作をもとに編纂されたとされる『哲学者たちの見解について』に見出せる。この書物自体は、同時期に活躍した哲学者プルタルコス(c. 46-c. 127 AD)の代表作『モラリア』にまぎれて伝承したことで有名だろう。その記述にしたがうと:

「エンペドクレスによると、妊娠した女性の想像力によって胎児が形成される。実際、しばしば女性たちが彫像や絵画に夢中になって、これらのものに似た子供を生みだすことがある。」

 この断片そのものが示すものは、紀元前五世紀の哲学者エンペドクレスその人の考えを忠実に表現しているのか、はたまた、その報告者であるアエティウスや偽プルタルコスが生きた後代に生まれた考えに近いものなのかは、なかなか断言できない。しかしアエティウスや偽プルタルコスの時代の人々が、エンペドクレスが活躍したような太古の時代のギリシア人たちがこうした考えをもっていたと感じていたとしても不思議ではないだろう。

 アエティウスや偽プルタルコスに近い時代、つまり紀元後一世紀のローマで活躍した有名な博物学者プリニウス(23-79 AD)も、記念碑的な百科事典である『自然誌』で、人間の受胎におよぼされる想像力の不思議な働きに言及している。まずプリニウスは、家族のなかで類似した身体的な特徴が世代を超してあらわれる現象にまつわる例をあげる。これは、現代の医学で「隔世遺伝」と呼ばれるものに相当するだろう:

「ビザンティウムの有名な拳闘家ニカエウスの逸話には、疑う余地がない。彼の母親はエティオピア人との行為によって生まれたのだが、そのほかの[ギリシア人の]女性たちと同じような肌の色をしていた。しかしニカエウス自身は、彼の祖父にあたるエティオピア人のように褐色の肌であった。」

 この言及につづけてプリニウスは、すぐにその原因として想像力の働きをあげている:

「これらの強い類似の特徴は、間違いなく両親の想像力に由来し、それをとりまく多くの要因が強力な影響をあたえると考えられる。たとえば眼や耳、記憶、あるいは受胎時に[霊魂から]うけとる刻印による作用などとなる。両親のどちらかの心によぎる思考は、それが一瞬だとしても、両親のどちら側かに似た子供を生みだすと考えられるだろう。」

 のちの紀元後三世紀に活動した文法家ソリヌスも、後世に『世界の驚異について』と呼ばれることになる作品で、非常によく似た逸話を語っている。おそらく彼は、プリニウスの記述をそっくりそのまま踏襲したのだろう。

 ちなみに古代ギリシア・ローマ世界では、隔世遺伝によって白い肌の親から褐色の肌の子供が生まれる可能性については、すでに紀元前四世紀の偉大な自然哲学者アリストレスが明確な報告をしていた。なるほど、彼の『動物誌』によれば:

「たとえばエティオピア人と行為におよんだ[ギリシア南部の]エーリス地方の女性のように、何世代も超えてから[類似が]再現することもある。つまり彼女の娘はエティオピア人のようではなく、[彼女の孫にあたる]娘の子供がエティオピア人のようになったのだ。」

 ここでアリストテレスは、古代ギリシア人たちの世界観にしたがって、「エティオピア人」という言葉で一般に黒人のことを指している。彼は『動物の発生について』でも、このエーリス地方の女性の例をひいている:

「さらに子供たちは、なんの関係もないような遠い祖先に似ることもある。というのも、家族のなかでの類似は何世代も超えてから出現するからだ。エティオピア人と行為におよんだエーリス地方の女性の例のように、彼女の娘はエティオピア人のようではないが、彼女の孫はエティオピア人のようになった。」

 この報告がアリストテレスの実見にもとづくものなのか、伝聞によるものなのか、判断するのは難しい。さらに「疑問」、つまり探求すべき主題というかたちで言及されることになるが、アリストテレスの弟子たちに帰せられる『問題集』では、性交渉と精神活動が結びつけられている点が特筆に値するだろう。それによると:

「生まれつき子供が両親に似ているという点では、人間よりもほかの動物たちの方が顕著なのは、どうしてだろうか。ほかの大部分の動物たちが交尾に没入するのとは異なり、人間は行為におよんでも、その精神がさまざまな状態におかれ、父親や母親のもつ精神の状態にしたがって、生まれる子供たちも多様なものとなるからだろうか。なおこのような欲望にもとづく場合、かならずしも受胎にはいたらない。」

 アリストテレス学派の教えによれば、人間たちとは異なり動物たちは知的な精神をもたないとされる。したがって知的な精神の働きから影響をうけることなく、動物たちはより直接的に、つまり強力に両親の色・形をうけつぐことになる。しかし行為のあいだにも複雑な精神活動をおこなえる人間の場合では、両親の精神状態が生まれてくる子供たちに影響をあたえ、多様な変化を身体にあたえるのだという。『問題集』の一節は、こうしたことを示唆しているといえるだろう。

 このようにアリストテレス学派では、まずもって両親の知的な精神の働きと遺伝の結果が結びつけられ、さらに彼らの世界観における「エティオピア人」に代表される黒人と行為におよんだギリシア人の女性の家系にあらわれた隔世遺伝の逸話が、その議論につながりやすい状況にあったのだろう。

 哲学者プルタルコス自身も、『モラリア』の一部となる『神的な復讐』において、隔世遺伝の話を語り、そこに褐色の肌をもつ子供を授かったギリシア人の女性の例を結びつけている:

「というのも、父親たちの生まれながらのイボやアザ、ホクロは子供の世代では消えさり、さらなる息子や娘たちの子供たちの世代でふたたび出現することがある。とあるギリシア人の女性が、褐色の肌の子供を授かり、不貞の誹りをうけたが、じつは彼女自身がエティオピア人の遠い子孫であったことがのちに発見された。」

 隔世遺伝の様子を描くこの記述は、すでにみたアリストテレスやプリニウスが語ったエーリス地方の女性の逸話と非常に似かよっている。新しい要素として、「不貞の誹り」がくわえられている点があげられる。これまでの自然学者たちのように淡々とした事実や見聞を記述したものとは異なり、倫理や道徳に強い関心をもっていたプルタルコスならではの着眼点なのかも知れない。どちらにしても、描写された現象は、自然の働きのなかで起きた「異変」だといえるだろう。

 こうして以上のように哲学者たちの記述をみてきたが、まだここにはヘリオドロスが長編小説『エティオピア物語』で描写したように劇的なものはない。次節では、文筆家たちの報告をみていこう。(つづく)

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