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ターメリック ラカドンと生きる橋

ハプニングもありながらシーロン空港から市街に行き、荷物を置いてすぐに約束をしていた地区の農業担当の方の事務所へと急いだ。何しろ彼しか頼りがいないのであるから。。。。

シーロン市街からいくつかの山を越えて着いたのはジャンティア地区という場所である。調べた限りではこの地区に幻のターメリック・ラカドンターメリックは栽培されているらしい。標高も1500mもあるので夕方は結構冷え込む。行きがしら車中から見えた市場や人々の様子はインドというよりチベットやネパールに近い感じであった。市場らしきところには野菜や雑貨などのお店に並んでお肉屋さんらしきものもあり驚いたことに一匹丸々の豚の頭が切り離されて台の上に乗っていた。横の肉屋の柱らしきところに首は飾り物のように吊るされていた。バングラデシュ、ネパール、ブータン、ミャンマーに囲まれた北東インドはもはや私が知っているインドではないのだということを改めて強く感じる風景に目を奪われているとあっという間に2時間は過ぎ目的地のジャンティア地区の役場みたいなところについた。

建物はインドの標高が高いところでよく見る作りをしていた。赤とも紅とも濃いオレンジとも言えない色とクリーム色の2色で塗られた建物の壁はどこか私が通っていたインドの高校に似ていた。名前を告げると奥に通してくれた。役場の方はリンドーさんと言い、人の良さそうな和かな笑顔で我々を迎えてくれた。「よくあることさ」と遅れたことを謝ると彼は笑いながら返してくれた。
挨拶も早々にターメリックのことを色々聞いてみた。まず彼はラカドンターメリックというのはこのジャンティア地区で古くから栽培されていて最近になってクルクミンの含有量が他のターメリックと比べて多いことに気づいたのだという。それから州を挙げてラカドンミッションというのを掲げ10年単位でプロジェクトを進めているらしい。そしてその旗振りとなっているのが小学校の教師をしているサイオーさんであると教えてくれた。サイオー先生はラカドンターメリックの価値を伝えることによって農家の安定した収入と地域の特産品作りを目指しているのである。今では先生と一緒にラカドンターメリックを栽培している農家は約200人もいるという。

メガラヤ州では主に3種類のターメリックが栽培されていてその一つがラカドンである。他はリチェンとラカチェンと言ってたような気がする。リチェンは一番栽培しやすいがそんなに高値では売れないらしい。そして色もオレンジというより黄色に近いものであるらしい。ラカドンというのはそもそも色が全然違うと教えてくれた。黄色というより濃いオレンジ色をしていて何より注目すべきはそのクルクミンの含有量である。先ほどのリチェンというターメリックはクルクミンが2%くらいらしい、そしてよく出回っている一般的なターメリックは多くても5%くらいだと教えてくれた。ラカドンには7%から12%のクルクミン含有量があり、近年医療の現場や漢方としてターメリックが見直されているところにこのラカドンはすごく注目をされているのだとリンドーさんは教えてくれた。もともとジャンティアの森に育っていたラカドンターメリックはこの地区では昔から料理によく使われていたそうである。

リンドーさんの話は興味深くあっという間に時は過ぎ辺りは暗くなってきていた、彼はジャンティア出身でこの地区に貢献できることがとても嬉しそうであった。そして何より農家の方々の力になりたいと熱く語ってくれた。私は小さいスパイス屋だが少しでもメガラヤ、ジャンティアの魅力をラカドンターメリックとともに伝えたいと言ったら「小さく少しづつやるのが一番良いよ」と言ってくれた。明日には先生のところとターメリック農家に連れていってくれることになり我々は帰路についた。すっかり暗くなった帰り道に先ほどの市場の肉屋を見たがもうあの豚の頭は吊っていなかった。きっと誰かが買っていったのであろう。

翌日は早朝から一路先生が住んでいる村に向かった。リンドーさんがいた役場よりさらに1時間かかるとのことなので6時にはホテルを出て向かった。日が少し登ったばかりの山間は雲に覆われて神秘的であった。雲の住処の神聖な土でできる幻のターメリックと勝手に想像と期待を膨らませてワクワクしながら途中でリンドーさんを拾って先生の住んでいる村に向かった。

村に着いたら村長らしき人と先生が迎えてくれた。日に焼けたシャープな顔をしたサイオー先生は笑顔で我々にチャイを出してくれた。この地方で飲まれているチャイはほとんどがストレートティである。そしてこれからラカドンターメリックの親種を農家の人たちに配るというので見せて貰った。そこで初めて私はラカドンターメリックと出会ったのである。ぱっと見は普通のターメリックとあまり変わらないように見えた。先生はもう一つ別のターメリックを持ってきて、両方を半分に割って中の色の違いを見せてくれた。全然違うのである。黄色と濃いオレンジ。昼間の太陽とあと5分で沈む太陽。レモンとオレンジ。なんと表現して良いか分からないがとにかく私が今まで見てきたターメリックの色とは全く違ったものであった。かつて友人が彼のキッチンで見せてくれたターメリックより鮮やかな濃い色をしていたのである。
「ずっと昔から我々はこれを育てていたのよ。もともとは自然に生えていたもの」と先生は教え子に教えるように我々に色々と教えてくれた。農民の生活やその苦労。ラカドンターメリックへの希望。
「他の地域、アッサムやシッキムなど標高がここと近いところにラカドンターメリックを持っていっても上手く育たないんだよ」とリンドーさんが教えてくれた。多分「土」のせいだと先生。予算がないので調べてはいないらしいが、調べない方が神秘的で良いなぁと勝手に思ってしまった。

ラカドンターメリックは12月から3月くらいに収穫され水で土などを洗い流し3,4mmの厚さにスライスしたものを天日干しで乾燥させそれを粉状にして袋詰めしていた。普通は収穫したものを一回ボイルして乾燥させるのだがここではそうしないらしい。そのことを先生に質問したら「昔からそうやっているからそうしてるのよ」と教えてくれた。そしてターメリックを栽培している農家は牛を一頭飼っていて牛の尿と水を1対9で混ぜ合わせてそれを肥料にしているのだと教えてくれた。農家一軒でできるラカドンターメリックの量はあまり多くなく、自然に栽培しているので害虫などにやられてしまうのが問題なのだと農家の女性は教えてくれた。有機栽培で続けていく大事さを農民に伝えていくのも私の大きな役目だと先生は教えてくれた。

ラカドンターメリックの珍しさと価値の高さも相まって様々な人たちが近年求めにくるらしい。ただ要求する量が多いらしくそんなにはできないのだとリンドーさんが教えてくれた。少しずつ、一軒一軒の農家を大切にこのラカドンターメリックを育てていきたいのだと教えてくれた。

思ったよりスムーズに見たいものを見て、会いたい人にも会えたので最後の1日は見てみたかった「生きている橋」をみにいくことにした。その昔からメガラヤにいるカシ族が作っていて今も使われている橋である。山と山の間にあるため約3,000段もの階段を降りてたどり着いた谷底に「生きる橋」はあった。川の対岸から対岸へゴムの木の根を結び自然と成長して橋に育てていくのである。細く長いひも状のゴムの根は約20年くらい経つと渡れるくらいの強度に育つらしい。古いものは300年くらい前のものもあり、強度は年がたてば経つほど増すという。成長し続ける「生きる橋」の壮大な姿を見ていたら現地の人が「この橋は自分たちではなく子孫のために作っているのだよ」と教えてくれた。

雲の住処に住む人々が何を大切にして生きているのかをみせてもらった。


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