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ハイデラバードのイラニチャイ

南インドのハイデラバードという町はビリヤニでも有名だがチャイとビスケットでも有名である。

チャルミナールと言う4つの塔を中心に広がる旧市街の周りには多くの露店や飲食店が広がっている。その中でも一際人だかりができているのが Nimrah cafe である。店から人が溢れている。溢れた人たちは外に出されたカウンターテーブルの周りに集まり、それぞれが小さくて可愛らしいニムラ-カフェのロゴが入ったカップを手に持っている。皆が飲んでいるのがハイデラバードの名物「IRANI CHAI(イラニチャイ)」である。一般的なチャイとは違い、よく煮出した紅茶と牛乳を煮詰めて作る「コヤ」と呼ばれた練乳のようなものを混ぜ合わせてつくる。インドで一般的に飲まれているマサラチャイより濃厚で甘みが強いのが特徴的である。イラニチャイと一緒に食べるビスケットがもう一つのハイデラバード名物「オスマニアビスケット」である。その昔、ハイデラバードの君主オスマン・アリ・カーンが「少し甘くて、少し塩っぱいビスケットが食べたい」と料理人に頼んで作らせたビスケットが有名になり、今ではハイデラバードの名物になっている。この少し甘くて少し塩っぱいオスマニアビスケットをイラニチャイに浸しながら飲むのがとても美味しいのである。

オスマニアビスケットとイラニチャイの組み合わせはハイデラバードの「IRANI CAFE(イラニ・カフェ)」と呼ばれる店で見ることができる。Nimrah cafeの他にcafe Nilouferという店もハイデラバードでは有名である。この店も人が店から溢れ出ている。

イラニカフェは名前の通り、元々はイランから移住してきた人たちが始めた店である。ゾロアスター教徒である彼らは19世紀から20世紀にかけて宗教的な迫害が原因でインド西部のグジャラート州やボンベイ(ムンバイ)に逃げてきたそうでる。8世紀から10世紀にかけてペルシャ(イラン)の方から移民してきた人たちもゾロアスター教徒でペルシャの方から来た人たちということでインドではparsi (パルシー)と呼ばれている。イラニとパルシーは違う時代にイランからやってきた同じゾロアスター教徒であるが移民してきた時代が違うのとイラニの人々はカフェやレストランを多く開き、パルシーの人々の多くは貿易や商売などを行なっている人が多い。インドで最も大きい財閥の一つ、TATA財閥もパルシーである。

今では数が少なくなってきてはいるが100年以上の歴史あるイラニレストランはムンバイには多く存在し、上品で香りが高いインディアンペルシャ料理を堪能することができる。

少し甘くて少し塩っぱいオスマニビスケットを甘いイラニチャイに浸しながらのんびりと意味もない時間を過ごしながら他愛も無い話を見ず知らずの人としていたいものです。



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