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食のキャンバス

ある日インドの国民食を決めようとしたことがあるらしく、豆と米を煮込んだ「キチュディ」が有力候補であったらしい。

キチュディにも使われる豆のことを「ダール」と呼ぶ。様々な豆を半分に割ったものである。殻が剥いてあったり、なかったりする。それを使った料理のこともダールと呼んだりするし、今や豆のことや豆料理のことなんかもダールと呼んだりする。もしインドの人々に「母の味」を尋ねたとしたらダールを使った料理が圧倒的に多い答えになるであろう。ダールというのはサンスクリット語で「割る」という意味からきているので基本的には割ってある豆のことをダールと呼ぶらしい。

ダールの誕生は定かではないが紀元前は900年くらい前には登場していたらしく、レンズ豆、ひよこ豆、黒豆、緑豆などが使われていた痕跡はハラッパのインダス文明の遺跡からも見つかっている。紀元前303年にはマウリヤ王朝を築いたチャンドラグプタの結婚式でもダールを使った料理が提供されたといわれ、そのレシピが後世に伝わりググニ(Ghugni)という名で東インドの朝食のメニューとして残っている。その後、中世インドではひよこ豆を半部に割ったチャナダール黄金期がやってくる。ムガール帝国の王族たちが好んで食べたと言われ、Dum Pukhtと言われるパン生地などで密閉した鍋などでゆっくりと弱火で煮込む調理法が好まれるようになり、チャナダール以外の豆で調理した料理を王族に出すのは自殺行為だとも言われた。時代は進み、メワールの姫が5種類のダールを使った料理「Pnachmel Dal」を好んだことからその他のダールもよく使われるようになり、1625年にはタージマハルを建立したシャージャハーンの3人目の息子がムングダール(緑豆)をゆっくり煮込みキンマの葉で作ったお皿に盛り、アムチュール、玉ねぎ、青唐辛子などを振りかけて食べる「Moradabadi Dal」と言うのが作られ、今でも屋台のスナックとして愛されている。近代ではモティマハールというレストランのシェフが考案したと言われている「Makhni Dal」というウラドダール(黒豆)、チャナダール(ひよこ豆)、ラジュマ(インゲン豆)を煮込んでバターチキンのようにトマトとクリームを多用して作るメニューが評判を呼び、各地で人気を博している。

時代の移り変わりとともにあるダール。様々な要望を叶えてきたダールは実にシンプルで優しい味わいがする。甘くすることも辛くすることも、クリーミーにすることもシンプルにすることも、リッチにすることもできる。作り手の世界が広がる、まさにキャンバスのようでもある。

ダールは食材であり、料理でもある。そしてそれ以上である。


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