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チャパティ運動


1857年2月ごろ、当時インドを統治していたイギリスに不思議なリポートが送られてきた。



それは、北インドを中心に何千もの平たいパンが人から人に渡されているというものである。この平たいパンは「チャパティ」と呼ばれているもので、ある村の人が隣の村の人などにチャパティを渡し「もっとチャパティを焼いて別な人に配ってくれ」と頼むのだそうだ。そのチャパティを受け取った村人はすぐに何枚かのチャパティを焼き、別の村の人に渡していったそうである。
この「チャパティ運動」は瞬く間にインド全土に広がり、あらゆる人がチャパティを焼き、別の人に「もっとチャパティを焼け」と伝えていったそうである。その広がりの速さは郵便より早かったそうだ。

インドを統治していたイギリス人たちはインドの人たちの意味深な行動に恐怖を感じ、もしかしたら平たいパンにメッセージを込めて何かを伝達しているのではないか。と思ったのだそうだ。


その後、1857年5月に「第一次インド独立戦争(セポイの反乱)」が起こるのである。



人々がなぜチャパティ運動をしていたかはいまだに謎のままである。

ご飯とみそ汁のように主に北インドではチャパティとダールである。毎日、毎食のように食べるチャパティは小麦の全粒粉と水を練って焼いたもので薄く、平たいパンである。チャパティというのはヒンディー語で平手打ちの意味で手の平で叩くように伸ばして平らにして焼いていたのが始まりだと言われている。今はBelan(ベラン)と呼ばれている棒で伸ばし、tawa(タワ)と呼ばれているフライパンで焼くのが主流である。最後に直火にかけてプクッと膨らますとなお美味しく、それはphulka(フルカ)と呼ばれる。



チャパティ(ロティとも呼ばれる)の歴史は古く、一説では東アフリカが発祥だとか、インダス文明が興った地で初めて作られたとか言われているが、有力なのは南インドのアワドという土地で作られていたのが最初だというものらしい。チャパティの粉(全粒粉)は「アター」と呼ばれ、水さえあれば、発酵もせずにその場で伸ばして焼くことができるため、古くから旅人に重宝されたそうである。簡単に作れて美味しいことから、今では世界中にチャパティは広まっている。



私が最初にチャパティを作ったのはしっかりとは覚えていないが、3歳か4歳の頃、インドの祖母と一緒に作っているのを微かに覚えているので、それが私のチャパティ人生の始まりなのであろう。その後、様々なところでチャパティを作ってきたが、シンプルな美味しさ。どんな料理をも包み込んでしまうような包容力。いつ、どんな時も、すぐに焼けるという手軽さ。は何千年も経った今でも同じようにチャパティが愛されている所以なのかもしれない。

チャパティの仲間にはプーリーという揚げたものもいれば、中にスパイスやジャガイモなどをいれたものなど沢山のいる。これからは様々なところでチャパティとその仲間たちを少しずつ紹介していけたらなぁと思っている。



よくチャパティはなんですか? と聞かれると決まって



「チャパティはナンのおじいさんです。」

と答えている。そんなこともチャパティの慈悲深さは包み込んでくれるのである。


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