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私のチャイの先生

チクママと言う他人だが親戚のお兄さんみたいな人がいる。

彼が住んでいるのは西インドのグジャラート州のスーラットと言う町である。スーラットの町を訪れるとチクママはひょっこりと現れる。ニコニコしながら「ちょっと出かけようよ」と誘ってくる。

なかなかエンジンがかからない「カイナティック」と呼ばれる古びたパステルグリーンの原付の後ろに私を乗せてどこかにいつも連れて行ってくれるのである。行き先は聞いても教えてくれないので、もう何年も前から聞かないようにしている。

チクママが連れて行ってくれるところはいつも美味しい香りが漂っている。見ず知らずの豪邸に連れて行ってくれた時はレモングラスが効いた美味しいチャイが出てきた。スーラットの外れのドゥーマス川のほとりでは様々な野菜をひよこ豆の粉をまぶして揚げた「バジヤ」を食べさせてくれたし、街中の古びた店では「ロチャ」というスーラットならではのひよこ豆でできた料理を食べさせてくれた。

彼が教えてくれた言葉に「Surat nu jaman ane Kashi nu maran」と言う言葉がある。「スーラットで食し、バラナシで死ぬほどラッキーな人はいない」といった意味であるらしい。

そう言われてみてみるとスーラットは美味しい屋台料理で溢れている。

ある日、スーラットから5、60キロ離れたガンジーアシュラムに行こうとしていたらチクママがひょっこり現れたので一緒に行くことになった。通常だと2時間もかからない道中だがチクママと一緒だとそう簡単にはいかない。素敵な景色があると車をとめるし、美味しいサトウキビのジュース屋があれば、店主と談笑しながら牛がサトウキビを絞ってくれるのを待つのである。

ガンジーアシュラムに着いたのは夕方くらいだったような気がする。ガンジーの側近であり、アーメダバードのガンジーが設立した大学の初代学長であるナラヤンバイ・デサイと言う方が住んでいる場所に数日間か泊まらせてもらい糸紡ぎやそこでの暮らしを体験した。

チクママは庭先の木に吊ってあったブランコに揺られながら、チャイを飲んでからふらりと帰って行ったような気がする。私なんかは食器を洗うのにひよこ豆の粉を使っていたり、ガンジーの思想や暮らしなど、聞きたいことがたくさんあったのだが、チクママはチャイを飲んだあとブランコをどうやって作ったか聞いたら満足したようだった。

数日間の私のガンジーアシュラムでの滞在が終わる頃にチクママはまたひょっこりやってきて一緒にスーラットの街に戻って行った。帰りには人気のミントチャイ屋さんでチャイを一緒に飲んだ。

チクママは私のチャイの先生です。

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