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仏弟子・迦旃延尊者に学ぶ仏教的生き方

迦旃延尊者


 迦旃延尊者はインド西部のアヴァンティ国の出身で、国王チャンダパッジョータの帝師(皇帝の師)の子として生を受けた方。
ある時王の命令でお釈迦様を国にお招きするにあたって七人の王臣と共にお釈迦様のもとへ派遣されたが、仏の威光にうたれそのまま仏弟子となられた。
 十大弟子の一人で、教理上の見解では弟子中最も優れた僧として知られ、「論議第一」と謳われた阿羅漢の聖者である。その尊者の教えに触れてみる。

『長老偈』に説かれる迦旃延尊者の詩偈

『長老偈』に記されている迦旃延尊者の言葉を取り上げてみたい。

 知慧のある人は、たとい財産を失っても、生きて行ける。しかし知慧をもっていなければ、たとい財産のある人でも、〔実は〕生きてはいないのである。

『仏弟子の告白-テーラガーター-』中村元〔訳〕 岩波文庫 114頁

 迦旃延尊者の生き方は物質的財産は二義的であり、智慧(仏の教え)こそが第一義であり、智慧が根底になければいかに財産があっても死人に等しいという。
 迦旃延尊者は実際に、「財産を失っても、生きて行ける」ことを示してある老女を救っている。それが「無病第一利。知足第一富。善友第一親。菩提第一楽。」という四句の教えである。

四句~無病第一利。知足第一富。善友第一親。菩提第一楽~

迦旃延尊者と老女の因縁譚

 釈宗演禅師の『臨機應變』に収められた次のような逸話がある。

 仏様の御弟子の迦旃延尊者が富める人の前も、賤しき人の前も、善き縁を結んでやろうとして托鉢の帰り路に、或る一つの寂しい流れの処に出て来ると、其処に一人の老婆が大変心配らしい顔をして河の辺に立って居るから、尊者が「見れば大層心配らしい様子だが何うした」と尋ねられた「実は私は今まで多年の間、或貴族の処に雇われて居た者であります、然るに一朝或る過ちに依って其の家長の憤りに触れて、遂に今日只今出て行けと云う事で、余儀なく出て参りましたが、さて明日からは食に食なく、住むに家なく、どうして暮そうか当てもなく、唯生使ってやると云う事で、十年も二十年も使われて居たのが、一朝にして斯う憐れな事になった。いっそ生恥曝すよりは、此の川へ飛込んで死なうと思うて此処までで参りは致しましたが、思い返して見ると、そこは弱い人間の事、死ぬと決心は付けたものゝ、何となく後へ心を引かれるようて、何かそこに未練が残る」こういう話をした。
そ こで迦旃延尊者も大いに同情されて、「それは如何にも気の毒な事だ、然し私は仏弟子である、仏弟子は一紙半銭も身に蓄えない制度であるから、今物質的にお前何うしてやろうと云う事は出来ぬが、幸い平生我々が仏より承って居る有難い事があるからして、之を切めてもの慰め、心の慰安として授けてやろう

『臨機應變』釈宗演 明文館 408~409頁

 上記の話は、ある時年配の女性がミスをして勤め先を解雇され、自暴自棄になって自らの命を断とうとしているところに、偶然、迦旃延尊者が通りかかり、声をかけたという状況のようである。
 釈尊在世時の仏弟子は戒律で貯蓄することを戒められていたので、財施はできないが、法施なら可能だからお聞きなさいといったところである。仏弟子は物質的財産においては貧しいが、精神的財産には富んでいるからこその法施である。
 では、尊者の法施の内容はどういうものであったかといえば、「無病第一利。知足第一富。善友第一親。菩提第一楽。」という四句であり、詳しい内容は以下のように語られる。

無病第一利

 「無病第一の利なり」世の中には衣食住何不自由なく暮して居る人があるが若し朝から晩まで病気ばかりして、年が年中医者と薬に親んで居るような人も沢山ある。それに比べて見れば、お前は幸い年はとってみても、体は強壮ではないか、其身体さえあればどんな樹の下石の上に取るとも、我に安心さへ出来て居ればそれが宣かろうと、こういふ工合に慰められた。

『臨機應變』釈宗演 明文館 409~410頁

 四句の一番目は「無病第一利」として、病気がないことが利益であるという。何をするにもやはり身体が資本であり、幸いにもこの老女は身体は丈夫だったようで、そのことを尊者も激励をされている。
現代では無病ということは難しいであろうが、少なくとも小病小悩であれば、ひとまずは可ということになるだろう。
現代はあまりにも心身を傷つける事柄が多すぎるように思うので、日頃からできる限り健康には配慮することが肝要である。

道元禅師の『正法眼蔵随聞記』にも病気に関する観察がある、

古人もいっている「光陰、むなしく渡ることなかれ」と。病身の人が、病をなおそうとしている間に、むしろ病気が重くなって、苦しみがひどくなると、苦痛が軽かったときに仏道修行をしないで残念であった、と思うのである。だから、病苦を受けては、重くならない前に修行しようと思い、重くなったら死なない前に修行しよう、と思うべきである。病気は、治療すれば治るのもあり、治療しても、重くなるのもある。また、治療しないでも治るのもあり、治療しないと重くなるのもある。病気とはこういうものだ。よく考えてみるがよい。

『正法眼蔵随聞記』山崎正一〔訳注〕講談社学術文庫 37~38頁

 禅師は小病あっても今現在から仏の御教えに従っていくことが重要であるとしている。迦旃延尊者が云われるように無病であればもちろん有難いが、道元禅師の教示のように小病であれ、大病であれ、現在からできることをするということも実に有難い。

知足第一富

 それから「知足第一の富なり」どんな貴族でも富豪でも、身は如何に衣食住に充分の楽みをして居っても、若し満足の心が無かったならば、始終是でも不足あれても不足、生涯不足不満で死んでしまわなければならぬ。若し我分に安んじ足る事を知るといふ麗わしい心があるならば、それは第一の富ではないか、実に有難い富である。

『臨機應變』釈宗演 明文館 410頁

 これは仏教の教えの中でも良く知られている教示である。足るを知らない者は餓鬼であり、多分に財産を持っていて満足せぬ者は多財餓鬼などとも云われる。
 釈尊がお隠れになる直前に説かれた『遺教経』にも「知足」の教えとして残っている。

 「修行者たちよ、あなた方はこの世の諸々の苦悩を脱がれたいと思うならば、まさに足ることを知らなければならない。足ることを知るということが富み安楽であるという安穏の所なのである。 足ることを知るものは、たとえ路上に寝たとしても安楽を感じ、足ることを知らないものは、天上に住むといえども満足しない。
足ることを知らないものは、富んでいても貧しいものであり、足ることを知るものは、貧しくとも富んでいるのである。足ることを知らないものは、常に五欲のために惑わされ、足ることを知るものに憐愍されるのである。以上知足と名づける。」

『釈迦牟尼世尊・最初と最後の教え 『四十二章経』と『仏遺教経』』高橋尚夫〔訳〕ノンブル社 248頁

 過剰な欲望は苦悩を生み出してしまう。釈尊の仰るように地獄にいようが、天界にいようが、浄土にいようが安楽というのは「知足」によって達成されるのであって、決して物質的充足によるものではないとしている。

善友第一親

 第三に「善友第一の親なり」 善き友達は第一の親みである。成程ただ親戚故旧というと、それは肉体上の関係や、其の家々の関係で出来上ったものであるけれども、時あっては甚だ頼みにならぬ事がある、親子同志でも喧嘩をす
る、夫婦同士でも別れて仕舞う事がある。種々の事があるけれども、心と心と知り合った其の善き友達、善き事を教えて呉れる所の友達といふものは、第一の親類親戚である。親子もただならぬ親みある者である。お前が若し誰一人頼る者が無いと云うなら我に頼れと仏は吾々に教えられてある。年老いたる男を見ては汝が父の様に思へ、年老いたる女を見ては母の様に思えよと、おこう我々は教えられた、お前が其の積りなら我はお前の子の積りで居る、お前は我を子と思えよと慰められた。

『臨機應變』釈宗演 明文館 410~411頁

 善友というのは、迦旃延尊者も仰せのように「善き事を教えて呉れる所の友」の意であるという。
 『シンガーラへの教訓』(『善生経』)には善友の条件が釈尊によって説かれている、

 次の四者は親友であると知るべきである。すなわち、(1)常に援助してくれる人、(2)苦楽をともにしてくれる人、 (3) ためになることを言ってくれる人、 (4) 同情してくれる人、これらは親友であると知るべきである。
長者の息子よ、『常に援助してくれる人』は、実に四つの理由で、親友であると知るべきである。
すなわち、(1)友人が放心しているとき、彼を守り、(2)友人が放心しているとき、その財産を守る。(3)怖れおののいているとき、その庇護者となる。 (4)何かしなければならないことが起こったとき、必要な額の二倍の金を貸してくれる。 長者の息子よ、実にこれら四つの理由により、「常に援助してくれる人』は親友であると知るべきである。
長者の息子よ、『苦楽をともにしてくれる人』は、実に四つの理由で、親友であると知るべきである。すなわち、(1)友人に秘密を打ち明ける。 (2) 友人の秘密を守ってくれる。 (3)友人が困ったときにも見捨てない。 (4)友人のためには生命さえも捨てる。 長者の息子よ、実にこれら四つの理由により、『苦楽をともにしてくれる人』 は親友であると知るべきである。
長者の息子よ、『ためになることを言ってくれる人』は、実に四つの理由で、親友であると知るべきである。すなわち、(1)悪を防止し、(2) 善を勧め、(3)聞いていないことを聞かせてくれ、(4)天国への道を教えてくれる。長者の息子よ、実にこれら四つの理由により、「ためになることを言うてくれる人』は親友であると知るべきである。
長者の息子よ、『同情してくれる人』は、実に四つの理由で、親友であると知るべきである。すなわち、(1)友人の不運を喜ばず、(2)友人の繁栄を喜び、(3)他人が悪口を言うのを弁護し、(4)他人が褒めるのを吹聴する。 長者の息子よ、実にこれら四つの理由により、『同情してくれる人』は親友であると知るべきである」と、世尊はこのように説いた。

『佛教聖典 第一巻 初期経典』岩本裕〔訳〕229~230頁

 しかしながら、上記のような友は得難い。その場合は仏自らが我を頼って善友とせよとの勅命である。畏れ多いが仏を友にして仏道を歩むのである。
『阿含経』に次のように説かれる、

アーナンダよ、人々はわたしを善き友とすることによって、病まねばならぬ身にして病いより解脱し、老いねばならぬ身にして老いより解脱し、死なねばならぬ身でありながら死より解脱するのである。

『阿含経典 ②』増谷文雄〔訳〕ちくま学芸文庫 165~166頁

 迦旃延尊者は仏に代わって老女に対して、もし貴女がだれも頼れないというのならば、この迦旃延が息子となり親族となりましょう、と慈悲の心を以て伝えている。

菩提第一楽

 そうして第四には「菩提第一の楽なり」菩提というは原語であって、即ちサンスクリットでは (Bobhi) と云う、道という事になるのであるが、此道を楽むという楽みは尽きる事の無い楽みである、世の中の楽みは必ず半面には苦みが伴うて居るけれども、道を楽しむという宗教的の清らかな心の有様を楽しむと云うならば、是は最上の楽みではなかろうかと、斯う云う工合に親切に説いて聞かせたのであった。

『臨機應變』釈宗演 明文館 411頁

 真の「楽」というのは、世間的な快楽や楽しみといった相対的なものでなく、仏道を歩み、法を求める楽しみこそが「安楽」であるという。
世間的な「楽」には常にその反対の「苦」の影がある。金銭を得れば失うかもしれないという苦悩や実際の損失があり、眷属がいて楽しくとも、会う者は必ず別れてしまう「愛別離苦」、自分の身体を頼っても諸行無常であるから「生老病死」の四苦などがあって、苦が付きまとう。

 夢想礎石禅師が云われる、

 世間で福を求める人は、あるいは商い・農作などの業をやり、あるいは金儲け・売り買いなどの計ごとを巡らし、あるいは手わざ・伎芸の働きをやったり、あるいはまた、人に勤め仕えてしあわせを得ようとする。やることはそれぞれ違っているが、そのねらいは皆同じである。そのありさまを見ると、一生涯ただ身体を苦労するばかりで、そのねらいのとおりに求められた福もないようだ。その中に、たまたま求め得て、一時的に楽しむことがあったとしても、あるいは火事に遭い、洪水に流され、あるいは泥棒に取られ、あるいはまた役人に召し上げられる。たとい一生の間、かような災難に遭わなかった者でも、寿命が尽きる時、その福が身についてゆくことはない(死んだら持ってはゆかれない)

『夢中問答集』川瀬一馬〔訳註〕講談社学術文庫 270頁

仏教が勧める功徳は、壊れたり失ったりするものではない。
道元禅師も云われる、

 世尊がいわれた、「仏法の中で、出家した結果の報いは思議の及ばないものである。たとい人が七宝の塔を建てて、高さ三十三天(切利天)に至ったとしても、善業を積み重ねて得られた力は、出家には及ばない。なぜか。 七宝の塔は強い欲望をもつ悪の愚人が破壊することができるからである。 出家して善業を積み重ねて得られた力は破壊することはできない。このことから、あるいは男女に教え、あるいは男女の奴隷を解放し、あるいは一般の人民を許し、あるいは自己の身でもって、出家して仏道に入ったならば、その善業を積み重ねて得られた力は無量となるのである」。
 世尊は明らかに出家の功徳の数量をご存じであって、このように比較して推量されたのである。

『原文対照現代語訳 道元禅師全集 第九巻正法眼蔵8』石井修道〔訳註〕 春秋社 19~20頁

 ここで出家と云って難しいようではあるが、そうではない。
『維摩経』には、

 維摩詰はもろもろの長者の子に語って言いました、「汝らは正法の中において共に出家すべきである。なぜかというと、仏が世に出でたもうのには値いがたいからである。」
 もろもろの長者の子は反問した、「父母がゆるさなければ出家することはできないと仏がおっしゃったではありませんか?」
 維摩は答えた、「そうだ。汝らが無上のさとりをもとめる心をおこしたならば、それがすなわち出家である。 それがすなわち戒律を身に受けることである。」

『仏典Ⅱ』中村元〔編〕筑摩書房 17頁

と説かれており、悟りを求める心を発すのが出家であり、つまり「菩提第一の楽なり」である。
 菩提は無為と云い、有為(作られたもの)の反対であり、決して他から破壊されたり盗まれたりすることはない安楽の境地を得られる故に、先人方はこれを目指したのであった。

四句の功徳 

 今私は一飯のお前に施してやるべきものは手に無いけれども、此の四句の偈を教えてやるから、是れで喜んで満足せよと云ったら、其の婆さんが生れ替ったような限りなき歓喜を得て、生涯その麗しき心を以て、――心に満足があるから、何ういう処に居っても不平を訴えずして身を全うしたと云う事が詳しく書いてある。依って吾々は常に勤めて世間的相対的、安心より、更に進んで此の宗教的の大安心を得て、尽きる事なき楽みと限りなき歓喜とを得られん事を希望するのである。

『臨機應變』釈宗演 明文館 411~412頁

 最後は自暴自棄であった老女も迦旃延尊者の法の布施によって、生まれ変わったようになり、悟りの心で生涯を終えたという。
釈宗演禅師も宗教的の大安心の生き方を推奨されている。

 実は迦旃延尊者が仏から教わったこの四句は、若干の相違はあるが『法句経』の言葉であり、尊者は常に読誦されていたのであろう。

利の第一は無病なり、滿足の第一は財なり、親族の第一は信頼なり、樂の第一は涅槃なり。

『法句経』荻原雲来[訳註] 岩波文庫 58頁

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