【寓意】薄桜色の紙ふうせん
ダイニングテーブルの上で、私は折り紙をしている。どうしてだか急に折りたくなり、家中の引き出しを開けては、ひっくり返すように探して見つけた。
見つけた折り紙は、灰色や茶色、薄橙色ばかりだった。でも、なんでもよかった。角と角を合わせて、ただ折りたかっただけだから。
まっすぐに折り、均等な形を見て安心したかった。
折り紙は決して裏切らない。丁寧に折れば必ずきれいな形になる。
テーブルの上には、先ほど夕食で食べた魚の皮と骨が皿にのって、放置されている。薬、電気ケトル、付箋、ボールペン。
紅茶を飲んだ後、マグカップのお尻に流れ落ちたまあるいシミ。
昼過ぎ、母から携帯にメッセージが届いていた。ホーム画面で確認していたが、返信する気にはなれなかった。
自分の気持ちが落ち着いたら返信しようと思っていた。なのに、電話がかかってきた。
仕方がない、母は不安なのだ。
「うん、うん」相槌がはっきりと聞こえるように細心の注意を払って頷きながら、魚を焼いた後のグリルを、早く洗いたいと思っていた。
母を安心させるために自分から電話をかけていれば、こんな思いをしなくても済んだのだろうか?
もしくは、電話にでなければよかったのだろうか?
後で、自分からかけるという選択肢もあったはずだ。
自分の意志で何もできていないのに、今、この時間を疎ましく思っている自分が、とても嫌な人間に思えた。
子どもの頃の思考癖が、きっちり蓋を閉めていたはずなのに、箱から顔をのぞかせて、また耳元で囁き出した。
「おまえがしっかりしてないから」
「もっときがついてこうどうしなさい」
家の中の幸せは、母と父の顔色で全て変わってしまった。特に母を傷つけることは、家中の電気がつかなくなることを覚悟しなければならなかった。
だから、幸せを呼び戻すために、私は何者かに魂を預けていたのだ。
父と母が喧嘩をした後、必ず母を慰めて、道化を演じ、二人の前で明るく振る舞った。
私は幸せでありたかった。
母にはいつも笑っていて欲しかったから。
ほどなくして弟が生まれると、家中の色が全て変わった。私は母のためにすることがなくなり、居場所がなくなった。
壊死した魂は、静かに箱に入れて、引き出しの奥の方へとしまっておいた。
リビングから笑い声が聞こえてくる。私の知らない色で満たされていた。
気がつくと、ダイニングテーブルの上は、灰色の紙ふうせんでいっぱいになっていた。
この春、弟は実家を出て、彼女と同棲する。
子どもの頃、『おりがみのてほん』を見ながら、一人で折れるようになった紙ふうせん。穴から、ふーっと息を入れて膨らませ、手のひらでついて、いつまでも遊んでいた。潰れないように、そっと、ぽんっ、ぽんっと。
誰かの保護下でしか、生きることができなかった私はもういない。
私は空中に高く手を挙げると、ばん、ばん、ばんと音を立て、テーブルにぎっしりと並んでいる、今しがた作った紙ふうせんを、丁寧に潰していった。わざと大きな音を立てて、自分の耳にしっかりと届くように叩いて潰した。
その音は心地よく部屋中に響き、私は目を瞑った。
母に抱かれながら見た桜が暗闇の中に浮かんだ。母は私を見つめ優しく微笑んでいた。
夜明け、私は自分の魂を箱から取り出すと一瞥し、容赦なく叩き潰した。
私は十分頑張った。
笑い声と泣き声は似ている。
私はどちらの声を発していたのだろうか?
でも、もうそんなことはどうでもよかった。
もう少しで桜が咲く。
あとがき
どうしても長女が……とか上の子が……とか、下の子はかわいいんだけど……とかいう声を嫌というほど耳に目にする。酷い書き込みには怒りを覚える。逆に罪悪感と戦っている母親を思うと切ない。ホルモンバランスとか、母親の育ってきた環境とか色々関係するのだろうし、闇は深い。
親が兄弟姉妹平等に接しようと思っていることは、そう努力してくれているのが伝わっていれば、子どもが大人になったとき、理解してくれる場合もある。
いろんな大人に出会って、自分の存在価値を見い出せることだってある。
でも、理解してくれたとしてもね、元気に明るく生きていてもね、傷は消えないんだよ。そして連鎖する。
だから、軽い気持ちでSNSに書き込まないでほしい。
って言っても、うるさい!綺麗事!なんていわれそうだけど。
わたしは子どもを守りたいので、言い続ける。
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