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春は、青いか。

小さいころ、青春というのは高校の三年間のことを言うのだと思っていた。明らかにドラマの影響ではあるが、高校生になるまで青春というのは訪れないし、高校を卒業したら青春は終わってしまうのだと思っていた。
しかし、現実にはそんなことはなく中学も青春だったし、今現在通っている大学での生活も十分青春である。種類が違うだけで。

さて、青春という言葉について少々疑問に思うことがある。春は果たして青いのだろうか、ということだ。私的には春は桜から連想される柔らかなピンクで決して青くはない。字でいうと春(ピンク)青(青)みたいな感じがしてそれは何となく男女が並んでいるように見えるのだ。(女→ピンク、男→青というのはあくまでも一般的にということなので悪しからず)

青春というものは私がその文字に抱いた色のイメージと同様に恋愛や性への意識というものが大きくかかわってくる時期であって、これに関しては社会通念に照らし合わせても相当といえるのではないだろうか。


前置きが少々長くなってしまった気もするが、ここからは私自身の青春とそれに付随する恋愛や性への意識について書こうと思う。
私自身のどこかで吐き出したかったものをつらつらと書くだけなので、たまたまこの文章を見つけて「こいつ文才ないな」と思っても胸の内に秘めておいていただけるとありがたい。


小学六年生のころが私の人生最大のモテキだった。

卒業式が迫ってくるにつれて小学六年生という善悪の判断も怪しい年齢でありながらいつ好きな人に思いを伝えたらいいのかとクラス全員がソワソワしていた。
そもそも小学生で付き合うだの付き合わないのだのの何がわかるのだと今となっては思ってしまうが、その当時はクソガキなりにみんな本気だった。

私はというと、特にかわいいわけでもなく、なんならショートカットでユニクロのTシャツばかり着ていたから一週間に一度の頻度で男子に間違われるという日々を送っていた。
しかし、そんな私のことを好きになってくれる人もいるもので卒業間際の一月、二月には三人の男子から告白された。そのうちの誰とも付き合わなかったし、その三人が本当に本気だったのか今でも怪しいところではあるが、これが人生最大のモテキだったことは違いない。

小学六年生でみんなが恋愛に現を抜かしているころ、私はその中性的なルックスを武器に私ガチ恋勢も量産していた。
はっきり言って、女子からモテるほうが嬉しかった。これはほとんどの女子に共通するといっても過言ではないと思うが(異論は認める)、かわいい女子からモテることほど気持ちの良いものはない。
小学六年生の私はすっかり女子から言われる「かっこいい」に味を占め、どうしたらもっとかっこよくなれるかをいつも考えていた。

ガチ恋勢も含めて本当にあの時は今後訪れることがないであろうモテの嵐であったと思う。


中学に入ると、私は女子からさらにモテ始めた。

その頃になると私もある程度どうしたらモテるかという心得ができており、女子には優しくし、車道側を歩き、重い方の荷物を持つという漫画で得た知識をフル活用してファンをどんどんと増やしていった。

そして、所属したバレーボール部でガチ恋する側になった。

相手は一個上のバレー部の先輩で、なんといっても顔がドンピシャタイプだった。髪が細くて目がウルウルで肌が白くて声が高くて…そして何よりあざとかった。

私はその先輩のことが好きで好きでバレーボールがドヘタでも毎日毎日先輩に会うために部活に行った。先輩がいないときはやる気が半減、いればいればいいとこを見せようと120%みたいな日々。
デートにも積極的に誘った。それで映画を一緒に観た。二回も。デートの時はなるべくかっこいよく見えるように努力した。もちろんズボンだし、自分の中で一軍のTシャツを着ていった。それで先輩に「かっこいいね!」なんて言われたらそれだけで「人生は素晴らしい!!!」と叫びたいほどだった。

先輩は恋多き女で、聞くたびに好きな人が変わっていた。いつかその答えが私の名前にならないかな~と思いつつ「応援してます!」と言っては落ち込んだ。

結局、そんな大好きでたまらなかった先輩の一番の後輩にすらなれず(先輩はお人形みたいにかわいい子と一番仲が良かった)、卒業式でジャージをもらうのが精一杯で、それでもその感情に「推し」という名前を付けて私の中学時代は終わった。


高校生になり、好きな人ができた。実は(?)中学の時に幼馴染の男子と付き合っていたのだが、それは付き合っているとは信じられないぐらい何もなく自然消滅してしまったので恋にはカウントしにくい。

高校で好きになったその人は入学してまだ名前順だった座席で隣になった女の子だった。

その「好き」は私にとってあまりにもセンセーショナルだった。”推し”だった先輩とは全くタイプの違うサバサバ系女子。目が合うたびにドキドキして、登校中も下校中もその子のことを考えて、毎日見るたびに好きになった。これを恋だと認めざるを得なくなって、思考がぐるぐるしてぐちゃぐちゃした。

誰にも言えない。冷静にそう思ってしまった時点でガチ恋なんかとは一線を画す感情だとよくわかった。
家でもその子のことを考えて女子だと気づいて泣いて、怖くなって、音楽を聴いて気分転換できなくてまた泣いた。

こんなに人を好きになったのは初めて。しかも同性。

どうする??

1人で抱えきれる??

女の子をこれからも好きになるの??

ぐちゃぐちゃのまま幼馴染の女子にラインして、その子の写真まで送りつけた。

「いいじゃん。かわいい子だね。」

その一言で私は自分の恋を受け入れることに決めた。自分が自分に対して一番不寛容だったと思う。
それでもその子に告白したり、誰かに同性を好きになったということを打ち明けたりすることなく友達として過ごした。

一月くらいにその子に彼氏ができて、私は失恋を経験し、同時にもう悩まなくていいのだとほっとした。


その時は十分吹っ切れた気がしていたが、それでも今も女の子をまた好きになるかもしれないと思うし、私はかっこいいと言われるほうが好きだけど男になりたいとは思わないし、女なのか男なのか女が好きなのか男が好きなのかぐちゃぐちゃのまま生きていて、ぐちゃぐちゃのクセに知ろうともしないままだ。

LGBTQに当てはまることも当てはまらないことも怖くて、避けて避けて生きている。友達にそうだと告げられた時はすんなり受け入れて今でも仲良くしているのに、人間って不思議。

私はこの世の99.9%を占めている凡人の内の一人なのだから、周りの目を気にして、周りの意見に流されて生きていくことも当然にある。

勇気をもって今までの経験やモヤモヤを打ち明けられずに何となくその時付き合っていた男の人と結婚して子供とかができるのだと思う。

その間にもまた女の子を好きになって苦しくなるのだ。


それでも、自分の気持ちに自分くらいはヘドバンするくらいうなずいて共感してあげないといけない。
自分くらいは自分のことを認めてあげよう。そして、どんな人を好きになったとしても「これは恋だ!!!」と信じてあげよう。


私がこんなにつまらない文章を長々と書いて言いたかったのはこんなにめちゃめちゃ普通のことでした。でも、こんなに長々書いて、というか、こんなに何年も考えたのでやっとわかったのでした。

人生は長くて自分のことだって10%くらいしかわからないまま死んでしまうけれど、死ぬときには素晴らしかったといえるものになりますように。

もし、ここまで読んでくださった方がいたら本当に本当に感謝です。足向けて寝れません。


「あの頃に戻りたい?」ときかれて、ヘラヘラ笑いながら「楽しかったけど戻るのは嫌だな~笑」と痛みを抱いて生きているあなたを応援しています(偏見)。



【結論】
春は青い。


敬具

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