ヘルニアの手術が失敗し、カメラマンに!
どうもBgです。
新たな試みとして「活字」に挑む所存あります!
大したことないんですが最初ですので、なぜカメラマンをやり始めたか!
そんなところから、この「note」をスタートさせたいと思う所存です!
カメラを握る前、ただの陽キャであった20代前半
僕の友人の方々はご存知だと思いますが、アラサーの僕は周りから見ても圧倒的な陽キャだと思います。
となりますと、僕が20代前半学生時代は…そうです。クソです。
周りから見てもクソガキだったと思います。
大学が青山学院であったこともあって、周りの連中も陽キャで朝までクラブで遊んでいるような学生でした。。。
カメラを始めるキッカケ
大学院生で遊びまくっていた僕ですが、一つだけ死ぬ気で続けていたことがありました。
『筋トレ』です。
薬もたくさん飲んでました笑(BCAA,クレアチン etc)
当時は楽しく、自分の限界を超え、身体が壊れても続けていました。
この当時の「ハマったら、限界までやる」精神は、後のカメラに関する活動にも影響するわけですが。。。
左足に痺れを感じてからはすぐでした。
自分が耐えれる以上の負荷を身体に与え、さらにはストレッチなどのアフターケアなど全くしないまま数年間、身体をいじめ続けた結果です。
自業自得です。
ただ、本当にトレーニングが好きでした。
手術前日、担当医から
「術後は音楽とか初めてみたらどうです?」
と、言われ絶望を感じました。
さらには、ヘルニアを摘出する際に神経に少し傷がつき、いまだに軽い痺れと常に腰が痛い日々を送ることとなっていくわけです。。。
障害を抱え、社会人になった僕は本当にやりたいこともなく、ただ自堕落らな生活を送っていました。
スニーカーを集めたり、HUBでめちゃくちゃに飲んで朝帰りの日々を送ったり、、、そうです。クソです。
そんな時、新宿駅周辺をプラプラ歩いていたら
ビックカメラが現れたんですよね。。。そして
はい、僕の最初カメラです!
ビックカメラを見つけて5分後、理由もなく買ってました。
いいカメラなのかもわからず、とりあえず買ってました。
これが、僕のカメラライフの始まりであり、
今となっては、これが最初の「転機」でした。
Connecting Company結成
カメラをいきなり買って、写真ではなく、動画からスタート!
動画ならいっそのことYouTubeやろう!
周りの連中と「Connecting Company」というチャンネルを始めました。
(今はもうありません。。。)
※僕のInstagramのIDの[bg_fromm_cc]のccはここからきています。
湘南に住んでいることもあって、Vlog的なことをずっとやっていました。
色んなところに行き、カメラを回し帰ってきて編集。そんな生活。
基本、風景映像を撮っていました。ポートレートなんて興味全くなかったですね笑
また、当時からカメラ以外にもジンバル・ドローン・マイクなど、色んな機材を集めるのが好きで自分でトライアンドエラーを繰り返し、色んなことを学んで行きました。
初めてflightしたときの興奮は今でも覚えています。
Kazという男
そんな感じで好き勝手にカメラで遊んでいると、ある男に出会うことになります。
ある映像クリエーターの集まりの中にいた30代独身男性「Kaz」
仕事は会社員、趣味が映像を撮ること、どこにでもいる普通の男。
たまたま家が近いということから少しだけ仲良くなる。
帰りの電車の中で、
「TVマンが主催している撮影会があるけどくる?」
今思えば、この一言が僕の人生を変える2個目の「転機」でした。
Study session
Kazに誘われて、12月年末ごろの冬、「Study session」というポートレート「映像」の撮影会に参加しました。
そこではみんな和気藹々と楽しく撮影をしていました。
そしてその撮影会主催のO氏(現在は製作会社の社長)が、プロの世界の話をたくさんしてくれました。キー局の仕事をディレクターとして外注を受けてるO氏は、様々な仕事を請け負っており、その日は地方行政に対しコンペで案件を勝ち取り、地域活性化を目的としたPR映像製作について、そのために必要な資料や営業の仕方。などなど
「全く違う」
ただ楽しんで撮影していた僕とは違い、プロとして仕事として、カメラを握っている人の話は僕に今までにない刺激をくれました。
ここから、「自分の好きなものを撮る」以外の選択肢、
「誰かのために撮る」、「何かを売るために撮る」が僕の中に発現したのです。
ちなみにここで僕はマチー君と岡田君に出会ったのです。
マチー君
岡田くん
カメラマンの仕事をするために
さて、カメラで仕事を始めてみよう!
「何を始めればいい?」
趣味でやっていた僕には、全くわからない世界で、入り口がどこにあるかすら、分かりませんでした。
なので入り口を知ってる人に、たくさん会うようにしました。
O氏が受けてる仕事は個人でやるようなものではなく、チームを組んでやる撮影でしたので、また別のプロに会いにいきました。
世の中にはたくさんのプロがいます。
個人で、家族写真、ブライダル、報道、様々です。
まずは、彼らのもとで雑用をさせてもらうことから始めました。(もちろん無給です)
雑用なので、掃除とかもちろん、荷物持ちや、資料配りなど、なんでもやりました。
現場によってはすぐ終わる仕事もあれば、
撮影終わりが36時と言われた時もありました(1日って24時間だと思っていたけど違いました笑)
場合によってめちゃくちゃ怒れるし、邪魔になるかなと思って三脚を移動しようとしたら
「お前が触れる脚じゃねー」
と蹴られたときもありました。。。
一般的な仕事とは違い、昭和感半端なかったです。
これを本業終わりにやりに行くのですから、毎回死にそうでした。
でも、全く辛くなかった。
本当に楽しい。
色んなこと知れる、見れる。
そんな日々の連続でした。
日によっては
「Bgくん、この前星の写真撮ってたよね?」
の一言で、キー局の朝の番組のインサート映像を撮りに行くみたいなこともありました。
写真ならまだしも、映像ですからね。
難しいし、当日は雲が強くて、全く星が見えない!
夜12時、東京にいるディレクターに連絡して
どうすればいいか判断を仰いだら
「ねばって!」
ねばっても雲はなくなんねーよ!!!!笑
そう思いましたがねばりまして、雲を晴らしました笑
朝3時に撮影終え、ロケバスで、ホテルに戻り、4時に編集を終えて4時半に提出。
そして地上波。
こんなにもギリギリの世界なのかと、唖然としましたが、
初めて自分の撮った「画」をTVの画面で見たときは、感慨深く
とても嬉しかったですね。
と、これから個人で様々な仕事をしていくことになります。
C to C向けの機材レンタルアプリ用の記事作成
運動会撮影
ブライダル
MV
音楽雑誌の撮影 etc
それ以外にも先輩方から撮影や、なんだか分からないADの仕事など貰って色んな勉強をさせてもらいました。(オーディションの雑用とか)
最初に戻ろう
様々な仕事をこなして行くなかで、たくさんの勉強させてもらい、
色んな知識を得られました。
しかし、そんな生活を2年ほど続けて大事なことを失っている、と気付きました。
「楽しくない」
がむしゃらに撮りまくっているうちに、元々ワクワクしていた自分ではなくなっていました。
また、一緒にConnecting Companyをやってきた相方のFace君にも
「ついていけない」
と言われてしまし、いつのまにか僕は一人になっていました。
※これでConnecting Companyは終了してしまうことになるのです。
身体を壊して、自堕落らな僕に新しい楽しさを与えてくれたものが、
また同じように苦痛になっていた。。。
同じ失敗はしたくない!
僕は、「仕事における撮影」の全てを止めることとしました。
ただ何もしないのは、耐えられない!
でも、同時に僕にはこれまでの過程で、たくさんの「友達」が周りにいることに気付きました。丁度その時期は、コロナが始まった時期でもあり、なにか彼らと面白いことが、楽しいことがしたい。そう思いできたのが、
「Escape from SNS」(通称EfS)
現在では100名近い方がコミュニティに居てくれてとても楽しい環境を維持できています。
そんな彼らと撮影したり、写真展をしたりと様々なことをしていくわけですが、それについては別で話したいと思います。
これからについて
このnoteではこれから以下のことについて挑戦していきたいと思っています。
情報発信(撮影方法や撮影場所について)
オンライン写真集の販売
EfSの活動内容の報告
僕の活動のポートフォリオ作成
あくまで前提で、大きく変わるかもしれません。
ただ絶対に変えないことが1つだけあります。
「楽しいことだけを追求すること」
痛い思いをして解りました。辛いことなんてする必要ない。
本当にしたいことは、なんのか?そのことだけを追求して
日々を周りにいる仲間達と楽しんでいきたいと思う所存です笑
Bg
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