恋愛話に愛想笑いし続ける人生

久しぶりに職場の同年代で飲み会があった。仲間との時間、美味しいご飯とお酒。楽しい。最高。でも久々に疲れてしまった。今日はその話をしたい。

仕事の話、趣味の話、家族や友人の話。くだらないその他もろもろ。飲み会で話すことって色々あると思う。私は飲み会が得意なわけではないけれど、仕事の愚痴を共有したり、最近あったことを話したり聞いたりするのは好きだ。たまに参加できればいいかなくらいに思っている。ただその中で、私がグッと意識をして「来たか…」といつも緊張してしまうのが恋愛の話だ。なぜって、特に話せることがないし、どうしても大人数がいる場で自分の話をしたいと思わないのに、大体「あなたはどう?」と聞かれてしまうからだ。

私は自分を「アセクシャル・アロマンティック(たぶん)」だと思ってこの一年ちょっとを生きている。一年ちょっと前まで恋人と呼ばれる関係の人がいたが、その人への感情が恋愛じゃないと気付いてお別れをした。そもそもこれまで私が「好きだ」と思った感情のどれもが「恋愛感情ではない」のではないか、と気付いて、それ以降恋人はいないし、恋愛的に好きな人もいない。定義によるかもしれないが、言ってしまえばこれまで一度も、一般的な「恋愛経験」というものをしたことがないのかもしれない、と思っている。別に恋愛をしていなくても現状私の人生は山あり谷ありなので、「最近どう?」と言われれば話せることはある。ただ、「恋愛の」山あり谷ありは無い。マジで無い。だから、恋愛の「最近どう?」は困ってしまうのだ。

今回の飲み会では、「恋人の譲れないポイントはどこか」みたいな話題になった。結局顔だろ、とか、価値観が大事だとか、性格の相性だとか。私は「いやまず恋人が欲しくないんだが?」と思ったけど、そんなことを言っても「嘘だ〜」とか「いつかその気になるから大丈夫だって」と返す人が大半だろうから黙っていた。私は一対一では結構本音で議論や対話ができるのだけど、大人数でいる時に少数派の意見を主張して一対大勢の構図になることを避けてしまうところがある。だからこそ恋愛話がとても苦手なのだと思う。しかも嘘をつくのも下手なのだ。だからいつもいつも、黙って愛想笑いをして誤魔化してしまう。時には私なりの人生観を持って、友情とか親愛とか尊敬とか、そういう気持ちや関係をイメージして回答をしてみるのだけど、なんだかズレた発言をしてしまって変な空気にしてしまうことが多くて。今回もそんな感じで「恋人の譲れないポイント」なるものに頑張って答えてみたが、なんだか墓穴を掘ってしまったようで色々突っ込まれてよくわかんなくなってヘラヘラしてしまった。ただ「恋愛をしない」という言葉を飲み込んでいるだけなのに、歯切れが悪い。もう!難しすぎ!!

私だってこの人たちと本音で笑い合いたい、と思う。別に私は恋愛話をする周りが嫌いなわけじゃない。人が仲良さそうにしてる話は好きだし、人の恋愛観を聞くと、私とその人の関係だけでは窺い知れない価値観みたいなものを知ることができてとても新鮮な気持ちになる。大切に思う人ができて、それを行動に移せる人なんて、心底羨ましいと思う。私は自分を止められないほどの恋愛感情を知らないし、性的な関係を誰かと持ったこともないけれど、そういう私が触れられない壁の向こうで起きている話を聞くのは面白い。聞くだけだったらいいのに共感や同調を求められているとプレッシャーを感じてしまうからこそ、緊張したり誤魔化したりでいつもうまく乗り切れないのだと思う。愛想笑いのスパイラルをどんどん深くしていってしまうのだ。

自分が本音を隠すから苦しくなるんじゃん、というのはわかっている。結局、反論や相違を恐れて心を開けてない自分の性格がネックだ。わかっているのに、どうしても愛想笑いをし続けてしまう。飲み会という場の空気、少数派であるという立ち位置、そして自分の性格。それらが重なることで息がしづらくなるのだろうな。もし全員と深い関係性になって一対一で喋るのなら、一人一人にそっと打ち明けるのに。現に一対一だからこそ、友人には私の性的指向や本音について打ち明けられているし。職場の人とも、もっとそんなふうに関われたらいいのにな、と思った。


今日ここまで言語化できたのは、朝井リョウの小説「正欲」を読んだこと、映画「正欲」を観たことがとても大きいと思う。あの作品に出てくる人たちと私は状況も性的指向も違うけれど、少数派であることを隠して生きる人たちの姿にすごく自分を重ねて最近色々考えてしまった。これからも愛想笑いをし続ける人生かもしれないけど、本音を打ち明けられる場所や関係は、だからこそ大切にしたいなと思う。以上。それではまた。


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