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NSNO Vol.28「錯綜と激動のパッセージ」

◇はじめに

NSNO Vol.27。
今回のテーマは「Passage」
直訳するとパッセージ=通路、通過、移行。
音楽用語では、「経過句」と呼ばれ主要なメロディラインを結びつける経過的なフレーズのことを指す。

◇◆◇


23-24シーズンが終幕した。素直に喜ぶ前に、まずは1年を通じて抱いた感触を記したい。

錯綜。張り詰めた糸は複雑に絡み合い、決してほどけることがないように思えた。緊張感と不安ばかりの数年で、意固地にもスリルさえ楽しみに変えようとする自分がいたからだ。決して胸を張ることなどできない「減点」の2文字は想像した以上の足枷だった。連勝を重ねても、常に罪悪感と隣り合わせ。不正・疑惑・違反・剥奪・控訴…情報を集めるほど、クラブに対して呆れや憤りが沸き、誰かを悪者にし、選手たちの姿勢を拠り所にするしかなかった。同時に、我々の前で降格していった他クラブの残像に煩悶した。

リーグの繁栄とエンターテインメント、その魅力と価値、暗躍するダークサイドについても考えた。現地と極東にある隔たりについて、もしくは同じサポーターとしての責任について、"プラスチック・ファン"という言葉やクラブの土台にある"ピープルズ・クラブ"という概念について想いを張り巡らせた。

眉に迫る財政、買収といった解決すべき難題。会長不在、暫定CEO、元オーナー最後の試練(果たすべき任務)には大きな壁が立ちふさがった。誰がクラブを率いているのか見えてこない。唯一、ケビン・セルウェルの声に耳を傾け、寄り添う心意気を感じられた。その誠実さが相殺されるように、理念と理想、掲げたものは打ち砕かれるようにして多くの犠牲(時間)を払った。積み重なる負債と融資、詐欺や給与未払い、新オーナーとしてクラブを率いることすらできなくなったマルチクラブ・オーナーシップの”まがい物”、777パートナーズとジョシュ・ワンダー。まことしやかに放たれた「プロジェクト・エコー」は音を立てて崩れ、私たちには財政破綻というワードが突きつけられた。今号が皆さんに広まる頃には、先延ばされた買収契約の最終期限を迎えるだろう。まるで蛇の生殺しだ。

一方、ピッチ上で繰り広げられる激動のシーズンは佳境を迎えていた。グディソン・パークでホーム4連勝を決めたブレントフォード戦では、言わばコースの見えないジェットコースターが終着したような、そんな安堵感が訪れた。胸を撫で下ろす、疲弊したシーズンにはそれだけで十分だった。

時間を巻き戻してみると、監督のショーン・ダイシは2023年の就任時にチームの再生を懸けていくつかの言葉を掲げた。団結、想起、情熱、誇り、欲望、鼓動…。終わってみれば、「砂でジャグリングするような」混迷と停滞の時間で、そのひとつひとつの信念を掴むことに成功した。不確実と不透明、出口の見えないシーズンで、エバートンFCは三たび残留を勝ち取ったのだ。

このシーズンを通して、我々はどこへ向かうのか。終幕を迎えても残留という関門は大局における経過にすぎない。あるいはクラブ買収の行末、プレミアリーグによる承認はいつ通過するのか皆目見当がつかないのである。変わらず逼迫した財政状況は夏の準備・移行期間でどのような影響を及ぼすのか。23-24シーズンを終え、グディソン・パーク・ラストイヤーとなる24-25シーズン。大きな岐路へと移行するチームの今後について考えたい。

改革
が必要になるからだ。恐らく、エバートンには大きな変化が訪れる。来季もプレミアリーグで生き残るため、クラブは変わらなければいけない。


◇終盤戦プレイバックから見るパッセージ

まず、激動だった終盤戦(4月以降)の経過を振り返り、現在のエバートンにおける問題点をおさらいしたい。

「信じられないほど嬉しいし誇りに思う。 シーズン中、様々なことがあった。 ピッチの外で落ち着きを取り戻し、ピッチの中でチームを機能させる、それはとても難しいバランスだ」

ブレントフォード戦直後、ダイシ監督のコメント

ブレントフォード戦での勝利は、五里霧中だったクラブにとってようやく掴んだ確かな手応え。
残留争いのライバル、ルートンがウルブスに敗戦したことが外因に。この3ポイントは、慣れ親しんだプレミアリーグの舞台に残ることを許された証だ。見栄を張るならば、ピッチ上の姿はそうだったと思いたい。春の便りを待った2月、3月の嵐を経て、4月は4勝1分1敗。監督のショーン・ダイシはプレミアリーグ月間最優秀監督にノミネートされ、ペップ・グアルディオラとミケル・アルテタ、優勝争いを演じる2人の指揮官を抑え、見事に栄えある受賞を果たした。

13試合連続未勝利というエバートンの歴史上でもワースト・レコードとなる期間は、過去2季の惨状を思いださせるには容易なものだった。しかし、指揮官のダイシはあくまでも一時的なものとして捉えていた。全体像を見る、もっと広い視野でこの戦いに挑むことをアピールした。シーズン序盤から口にしたxG指標と実際の決定機逸、チャンスを作り続ける必要性……繰り返される言霊の上で浮かぶ、勝ちきれないことへのフラストレーション。少なくとも記者会見での監督の表情は強張る一方で、チャンスを逃し続ける酷いゲームの後には選手批判とも受け取れる発言も散見された。空気が重かったのは事実だ。

そんな中でようやく訪れた転機はホーム/グディソン・パークで対峙したシックス・ポインター、同じく下位に沈むバーンリーとの一騎打ち。
あるいは本当の意味で長いトンネルの中に光明を見つけたのは、ドローで終わったニューカッスル戦かもしれない。ずっと張り詰めていたテンションが胸の内で軟化した瞬間であり、選手たちにラスト・スパートの助走を許された感覚だった。

"Dyche Derby"と称された古巣との対戦では今シーズンの対決で1度も譲ることなく、旧指揮官がその手腕を見せつける格好となった。相手ゴールキーパーのミスを逃さず、クリーンシートで達成した勝利。プレミアリーグで18試合ゴールのなかったドミニク・カルヴァート=ルウィンがニューカッスル戦に続いてゴールゲットした意味でも、不恰好だとはいえ、大きすぎる3ポイントだった。うまくいかない時間の長さに苛立ちを隠せないファンも、この日ばかりは勝利の喜びを大いに味わったはずだ。

1度目の減点(-10ポイント→-6ポイント)同様、苦しい時にこそチームは団結力を失わなかった。積まれた-2ポイントの減点後も、チームは指揮官のスタイルを見捨てることなく、自分たちの目指す目標を見失わず、舞台裏で継続されてきた姿勢が具現化された。ブレントフォード戦後、ルートン戦に向けたプレスカンファレンスでは、舞台裏で努力を怠らず、指揮官の要望に応えた選手たちをダイシは大きく称賛した。

蓋を開けてみれば、バーンリー戦を皮切りにホーム5連勝。だが、簡単に手にしたポイントでないことは応援してきた私たちが最も理解していると言えるだろう。階段から足を滑らせ、真っ逆さまに落ちる可能性も転がっていた。難攻不落のスタンフォード・ブリッジでは6失点を喫する惨敗。アグレッシブを無力化するマウリシオ・ポチェッティーノの術中にハマり、蹂躙されていくチームの姿には思わず"降格"のフレーズが浮かんだはずだ。

パーマーの独壇場になす術なく散った。

殴られても立ち上がれ。
沈まなかった"ブルーの精神"は、打ちのめされず前を向き続けた。この大敗の後にこそ、メンタリティとは何か、チームとサポーターのリアクションに注目した。

ハイライトは2つ。
「絶対に負けられない戦い」使い古された安っぽいこの言葉でさえ、次の重要なゲームにはいささか相応しく見えた。

"Points Deduction Derby."
=減点ダービーと揶揄されたフォレスト戦は、ピッチ内外の不確実さに辟易していたファンの襟を正すようなゲームだった。窮余の一策などではない。チームは頑固な一貫性の中で、数々のマイナーチェンジを繰り返してきたはずだ。交代策、負傷者が出た際の選手起用、プレスライン、守備戦術とシステム、そしてセットプレー。監督の正装がお馴染みのクラシックなスーツから、トラックスーツに代わったこともそのひとつかもしれない。絶対に落とせない一戦で、バーンリー戦に続くシックス・ポインターを制した。

お馴染みとなったコブラ・セレブレーション。今季4得点、終盤戦で大車輪の活躍をみせたゲイェ。

負傷離脱し、再調整の後にアフコンに挑んだイドリッサ・ゲイェは終盤戦で最も切れ味のあるプレイヤーだった。34歳?微塵も感じさせない、我々が知っている"エナジー"にあふれたゲイェだ。散々枠外に飛ばしてきたミドルゾーンからのショットは、誰もが驚く抑制の効いた一撃。チームとグディソン・パークを活気づける先制点に。

今や攻撃の柱としてチームを牽引するマクニール。

追加点、マクニールのロングレンジから放たれた針の穴を通すような一閃は、今季ベストゴールのひとつとしてエバトニアンの記憶に刻まれただろう。エバートンの攻撃のほとんどは彼から作られている。昨季クラブのベスト・ヤング・プレイヤーに選ばれた24歳はダイシ・フットボールが掲げる"ペース"を体現するチャンスメイカー。古典的なスタイルながら、得点力に磨きがかかればリーグを代表するアタッカーになれる。

そして、ドラマはまだ残されていた。

最大の極めつけはマージーサイド・ダービーだろう。ホームでの勝利は約14年ぶり、勝つことを忘れかけたライバルとの対決に、全てのエバトニアンが酔いしれた。フォレスト戦での勝利後、選手たちがすぐにこのダービー・マッチへフォーカスしているコメントが印象的だった。それは余韻に浸りたいはずのダービー・マッチ後も同じだった。リーグ戦、カップ戦、あらゆる状況や対戦相手に関わらず、常に勝利を目指すマインドを掲げたダイシ・イズム。攻撃面をはじめ多くの課題を残すも、チームにとって最も大切なメンタリティを築き、一丸となって戦う姿勢を遺憾なく発揮した現れだろう。

セットピースからの2得点は今季のストロング・ポイントを象徴する、文字通り自分たちの土俵に引き摺り込んだ展開。終盤戦でカルヴァート・ルウィンが"パワー"を取り戻したことはチームが気流に乗るために必要不可欠だった。休暇期間の少ない満身創痍のライバルが相手とはいえ、これ以上ないバトルを演じてくれた。記憶を積み重ねるフットボールの醍醐味として、我々の脳裏に深く焼き付いた。若くして大黒柱へと成長したブランスウェイト。頻発する絶えない怪我を乗り越えたエースは不調や雑音と向き合い続けた。それぞれの役目が絢爛に舞う瞬間。そこには積年のドラマがあった。

昇格組ルートンとの対決はこの1シーズンで3度目となったが、最後の最後まで勝つことができなかった。彼らから学ぶポイントはいくつもあった。少なくとも、ハッターズはエバートンよりも遥かに少ない資金でスカッドを組み立て、満を持してプレミアリーグに乗り込んだ。負傷者が続出する中、戦士たちは幾度も強者たちを脅かせてきた。ケニル・ワースロードの雰囲気はグディソン・パークに負けるとも劣らず、プレミア初挑戦のアデバヨとモリスは2人でシーズン20得点を挙げ、守護神のカミンスキはピックフォード同様の欠かせない役割を果たした。かつて我々が夢を抱いたバークリーがピッチの中央でリズムとイマジネーションを司り、アウェーサポーターのブーイングを浴びる中、彼らしいパス捌きが印象的だった。
違反者である私たちにとって、彼らを蹴落とす資格があるかどうかを思慮する前に、実力で強さを示せなかったことは、ある意味で示唆的にも見える結果であったと感じている。

シェフ・ユナイテッド戦の勝利は、しがらみとプレッシャーから解き放たれ、重い足枷が外れたことでチームの身軽さが伝わるゲームだった。得意のセットプレーで相手ゴールに迫りつつ、後方から繰り出すロングフィードで背後を突く、活力のあるダイレクト・スピードはリーグ屈指の指標を記録する。先制点のシーンこそ、"ダイシ・ボール"と呼ぶに相応しい理想形。ピックフォードのロングボールを胸で落としたルウィン。このルート・ワン戦術がスイッチ・オンの合図。クッション・プレーを拾うアマドゥ・オナナとゲイェが関与し、マクニールがボールを運ぶ。即座に裏へ抜け出すルウィンがアタッキング・サードで折り返すと、ゴール前で構えたキング・ドゥクレは頭で押し込むだけだった。
この1点を守り切り、見事ダイシ・エバートンとしてのパーフェクト・ゲームを披露した。

そして、アーセナル戦。優勝へ向けてアクセル全開のアルテタ・アーセナルへ挑む、贅沢な最終節だった。徹底してダイレクト・アタックを貫いてきたエバートンと、カウンター対策で揺るぎない守備構築を経て、リーグ最小失点のチームを作り上げたアーセナル。ポジショナル思考で最適解を模索し続けた強者と、非保持の守備強度からリズムを作る弱者の対照的な構図は、リーグ最終戦に花を添えるハイテンションな好ゲームへと昇華した。互いのスタイルが刺さり合う、フットボールファンとして純粋に心が躍る対決だった。追加点を許したシーンはミスによる勿体無いものだったが、これが今の実力だと開き直る、腑に落ちた結末となった。

▽維持すべきもの

再び代表への憧れを口にしたDCLと、イングランド代表としてのキャリアを歩みはじめたブランスウェイト。

23-24シーズン、ピッチ上の特徴としてエバートンはどのようなチームだったか。来季を見据え、チームとして残すべきものは何か?順位をキープし、更なる勝ち点を積むために必要なものは何なのかを考えてみたい。

23-24 主なスタッツ・トピック

  • 失点数「51」はリーグ4位

  • クリーンシート「13」はリーグ2位タイ

  • 得点数「40」はリーグ19位

  • セットプレーxG:17.56はリーグ1位

  • セットプレーのゴール数「19」はリーグ2位

  • ショット・コンバージョン率はリーグ最低

今回ピックアップするのは、

「ショット・コンバージョン」について

今季のエバートンはチャンスを逃し続けた。特にファンの中でも印象強く残るのは、前述したルウィンの長期に渡る不発。控えのベトも1年目の壁にぶつかり波に乗れず。3番手のシェルミティには終盤こそチャンスを得たものの、なかなか出番が与えられなかった。この状況をカバーしたドゥクレやゲイェ、マクニール……彼らの得点に結びつく活躍がシーズンを通して瀬戸際のチームを救った形だ。

23-24シーズン、得点数でエバートンが上回ったのは最下位により降格が決定したシェフ・ユナイテッドのみ。過去の記事やX:スペースでもお伝えしてきた通り、オープンプレーでの得点数はリーグ最下位(19)。一貫したセットプレー構築とリーグ随一のダイシ・ゾーンを発揮したことは賞賛に値するが、手放しで喜べないのが現実だ。アンダー・パフォーマンスとして、xG(54.0)と実際のゴール数(40)には-14.0もの乖離があり、リーグでもダントツのワースト・スタッツである(次点でリバプールの-7.8)。

プレミアリーグおける20クラブのうち、エバートンはショット・コンバージョン率において最下位に沈んでいる。

FBREF(Opta)のスタッツを参考にする。
23-24シーズン/プレミアリーグ、エバートンが放った総ショット数は504本。ここから40得点が生まれた。コンバージョン率(ショットが得点に転換された確率=得点数÷ショット数)はたったの「8%」だ。
エバートンと総ショット数の近い2チームを見てみよう。499本放ったフラムは54ゴールを記録。コンバージョン率は「10%」511本放ったアストン・ヴィラは72ゴールを挙げることに成功した。コンバージョン率は「14%」。自軍の勝ち点減の影響を除けば、フラムよりひとつ上の順位に位置することができるエバートンにとって、その差は守備(失点数)にあると言えるだろう。フラム以上にヴィラとの攻撃力の差は歴然で、チャンピオンズリーグ出場権を得たチームとの明確な違いが浮き彫りになっている。ウナイ・エメリの哲学が浸透した迫力のある攻撃シークエンスが蘇る。

選手個人に焦点を当ててみよう。
プレミアリーグの全選手において総ショット数ランキングでルウィンは21位(71本/7ゴール)に位置しているが、ショット・コンバージョン率は約「10%」、枠内ショット数で絞ってみると28本で7ゴール=「25%」の値になる。

上記参考スタッツは5月15日時点の「WhoScored」の指標によるもの。総ショット数によって換算したコンバージョン率だ。ルウィンの10%と比較すると、上位に並ぶ選手たちとは大きな開きがある。
続いて、シーズン終了後のスタッツを同じくFBREFで確認する。

PLトップ・レコードのフィリップ・マテタ(クリスタルパレス)は総ショット数に対するコンバージョン率「36%」で枠内ショットに絞ると脅威の「64%」に上る。終盤戦、オリバー・グラスナー就任で飛ぶ鳥を落とす勢いを見せたクリスタルパレスを象徴するような記録だ。

また、アレクサンデル・イサク(ニューカッスル)はコンバージョン率「29%」、枠内ショットを放てば「50%」の確率で得点に結びつけており、離脱が大きな痛手だったことを証明できる、エースとして特筆的な結果を残している。



チームのチャンスをゴールに転換できなかった重みは、エースの不振と周囲のチャンスメイクの質を疑うポイントとして捉えられる。
エース・9番としての復調は残留に欠かせなかった要素であり、終盤戦のラストスパートで回転数を増したルウィンの活躍があってこそ、結果に繋がったことは間違いない。

現在、24-25シーズン末で契約の切れるルウィンに対し、クラブは延長の手続きを検討している。
本来のペースを取り戻しつつあることで、イングランド代表の9番へ返り咲く野心を抱くルウィンに対し、上位クラブからの移籍ゴシップも再び取沙汰されるようになった。来季、拙い攻撃面を改善するには復活したルウィンの奮起が欠かせない。彼と同等以上の即戦力を獲得することは容易ではない。この夏に維持したいタレントのひとりであることは変わらないだろう。

だが、裏を返せばダイシが導くフットボール哲学が前述したエメリのアストン・ヴィラ、グラスナーのクリスタルパレス、ハウのニューカッスルの様に攻撃的なチームへと変貌するとは考えにくい。当面の間、維持されるであろう現指揮官とその標榜するスタイルはこれまでのバーンリー時代、そして1年半に渡るエバートンでの実績が示すように、強度ある守備、粘り強く守り切る精神力、ギリギリの場面で耐え凌ぐ団結力を持ち味としていることは私たちが1番よく知っている。

シーズンを通して表現してきたパフォーマンスを改善する望みは捨て切れないが、ウィークポイントを払拭するための土台として維持する要素は「守備」にこそ依存しており、攻撃陣が劇的に覚醒するような未来は現体制では非現実的だと考えている。高い評価を得たターコウスキ、ブランスウェイト、ピックフォードの3本柱はダイシの描くルートワン戦術の欠かせない鍵であり、そこに紐付くルウィンの成長が限界への境界線でもある。

だが、ルウィンが本当に限界点なのだろうか?プロセスとして、最終ゴールの設定・目標は勝ち点をとる、勝利することである。ルウィンが点を取れなくても他の選手がゴールを奪えるのなら問題にならない。例えばオリー・ワトキンス(アストン・ヴィラ)のような能力を引き出せる選手だっているかもしれない。守備の水準を今季同等に保てるのなら、あるいはルウィンが再びシーズン7得点以下に留まるのなら、1年を通してシェルミティを先発で使い続けても良いのだ。本当に欠かせない選手とは何なのか、一考の余地があると考えたのは終盤戦のことだったと思う。

▽失うかもしれない盾

エバートンがトップハーフに肉薄するために、この1年で示した守備面の成長は、悉く好機を逸したチームを最後まで支え続けた重要なファクターである。今季同様の勝ち点、あるいはそれ以上を目指すのであれば、まずは守備のスカッドを維持する必要がある。

先日、極東のエバトニアンに問いかけた「この夏に維持しなければならない」選手について。
結果は3季連続のクラブ最優秀選手賞に輝いたピックフォードが約半数を占める結果となった。次点で30%の票を得たブランスウェイト。いくつかの意見をいただいたが、チーム・アイデンティティ、貢献度、残留へと繋いだ替えの効かない要素を大切にしたい、という意見が伝わってきた。EURO本戦に挑むオナナやブランスウェイトを始め、数多のビッグクラブが熱視線を送っている。財政上の懸念を鑑みると彼らのいずれかを失う可能性は高いと見ていいだろう。

ベースを保つためベテランを軸とした現有戦力を慰留させつつ、結果を残した主力を手放し、クラブとして脱皮を図ることも重大な選択肢のひとつだ。積年の失敗を省みれば、いくつかの変革をおざなりにはできない。研磨されず苦しんだ、力不足の矛。ゴールネットを守り、落としたかもしれないポイントを死守してきた逞しい盾。守備こそ攻撃の始まりとして、ピックフォードが積み上げた数え切れないビックセーブとロングフィード、ミドルサードで攻撃の起点を潰し、相手アタッカーの侵入を幾度となく防いだブランスウェイト。
彼らを安売りする必要は全く無いが、クラブが正しく歩むために、維持よりも変革が必要とされるフェーズも迫っているだろう。それがこの夏になるのか、あるいはその次の夏になるのか、クラブの判断を見守りたい。


◇新時代へのパッセージ

セルウェルとダイシ。二人三脚の戦略に注目が集まる。

鬼が出るか蛇が出るか。
エバートンの買収問題は次なる分岐点を迎えている。約9ヶ月もの間、ファルハド・モシリと777パートナーズが繰り広げてきた動向もいよいよ買収契約の終わりを迎えようとしている。プレミアリーグの条件を満たせなかった期間では、目を覆いたくなるようなニュースも頻発した。
ニューヨークで起こされた民事訴訟で6億ドルの詐欺疑惑、777の資金調達を支えたA-CAPの失墜、任意整理に入るため航空会社ボンザの航空機は一斉に機能停止した。MCO傘下のクラブは次々と混乱に巻き込まれており、 3度の移籍禁止処分を受けているスタンダート・リエージュは、スタッフの給与未払いや遅延が発生。取締役の辞任も報道された。ブラジル、ヴァスコ・ダ・ガマの経営権は、リオデジャネイロでの裁判の結果、一時停止に追い込まれた挙句、ジョシュ・ワンダーやスティーブン・パスコは取締役の退任に至るまでの崖っぷちに立たされている。終焉の時だ(と思いたい)。

5月31日の期限を迎えた後に控えるモシリの更なる資金注入で、苦し紛れに場を繋ぎ、辛抱強く新たな候補者を待たなければならない。多数の投資グループや資産家、既にフットボールクラブのオーナーとして次なる野心を抱く人物の噂も飛び交い始めた。

この移行期間で確かなものは限られているが、セルウェルがファンへ向けてオープン・レターを届けてくれたように、一定の制限下で最善の戦略を実行することを期待し、現実を受け入れて維持、あるいは進歩を目指すプロセスを見届ける覚悟が必要になる。

ダイシが切実に語ったように、魔法の粉は存在しない。浪漫を抱く前に、現実を知ること、向き合うことが求められる。新スタジアム完成と、クラブ再生の命運を上層部や新オーナー、セルウェルだけでなく、クラブに関わる全ての人が握っている。ファンの行動と熱意が適切に発揮されることを願うばかりだ。


◇さいごに-蛇と再生-

最後に、今号を執筆する上での象徴的なテーマについて触れ、筆を置くこととしたい。

日本人が「蛇」という言葉から連想する意味や事柄として、あまり良いイメージを抱かないことは一般的だろう。毒を持つことによる抵抗感はもちろんのこと、蛇が物体に巻き付く姿は「呪縛」を意味するという観念もある。キリスト教圏でも「悪者」としてのメタファーを持つ。アダムとイヴ『創世記』では蛇が悪の化身としてイヴを唆す悪知恵を植え付けたことから、諸悪の根源として取り扱われることが多い。『古事記』のヤマタノオロチ、ギリシャ神話のメデューサ、中国神話の伏羲と女媧といった人間にとって大昔より関わりがある古来からの生物だ。エジプトではコブラが神や王権の象徴とされる風習もある。

世界各地で信仰に関わり、蛇を奉る文化やポジティブに捉える風習や思想も存在する。偉人や著名人によって、蛇にまつわる幾つかの名言も残されている。

私たちは、蛇の強靱性と鳩の柔軟性を兼ね備えなければならない。
不屈の精神と優しい心を。

マーチン・ルーサー・キング(牧師)

「脱皮しない蛇は死ぬ」

ニーチェ(哲学者)

“コブラ”はブラジルではエキスパートを表現する言葉なんだ。

エドゥアルド・コブラ(ウォール・アーティスト)

もっとも、「Snake」と「Cobra」では種類・背景が異なるものの、さまざまな捉え方ができることが分かる。

私がなぜ「蛇」について関心を得たかというと、エバトニアンならご想像が容易いはずで、もちろんアルノー・ダンジュマの存在が発端となっている。ゲイェもその1人だろう。

ダンジュマは、自身の "コブラ "セレブレーションについて、成長期に経験した多様性から生まれたと説明している。

「僕にはサッカーが好きな仲間がたくさんいて、みんな出身地も文化も違うんだ。幼い頃、よく一緒にサッカーをしていた友人がいるんだけど、彼がプレーする姿がコブラに似ているので、私たちはいつも彼をコブラと呼んでいたよ。だから僕にとってこのセレブレーションは、今日まで僕たちが一緒にいることを思い出させてくれるものなんだ」

Everton forward discusses his background and Muslim faith as we celebrate diversity for No Room For Racism

今季限りでローン契約が終了し、所属元のビジャレアルへ戻ることが決定したダンジュマ。残念ながらエバートンでは期待された活躍を果たせず、不信の続く10番を背負っての面目躍如とはならなかった。

だが、私にとって彼のローン契約および獲得に関しては間違いだったとは思っていない。大きく貢献したゲイェの今季の活躍は、ダンジュマの存在なしにはあり得なかったと感じているからだ。

ある時は故郷の仲間や、自分を支えてくれた友人を思い出す象徴として、コブラ・ポーズで喜びを表現する。ゲイェがゴールを決めると、一目散にコブラ・ポーズでダンジュマのもとへ駆け出した光景も蘇る。「蛇(コブラ)」が選手と選手を繋ぐ絆の象徴としてピッチの上で表現された。ラマダンや日常生活において、信仰深い選手の多かったエバートンのグループで互いに好影響をもたらしていたのも事実だろう。

はたまた、我々にとっての「蛇(悪者)」は……というように、例えばモシリやワンダー、現地のファンはプレミアリーグ当局やCEOのリチャード・マスターズを思い浮かべる者もいるはずだ。

上記、ニーチェが残した「脱皮しない蛇は死ぬ」というフレーズには、古い皮を被ったままでは、成長できない、生き残っていけないことを意味している。かつての成功体験や、古き体制からのやり方、新しい考え方に変化していかなければ、企業やグループ、そして1人の人間としてもいずれ滅びることを意味している。既存の価値観に、いつまでも頼っていられないのだ。維持とは何か考える機会となった。

また、蛇は「再生」の象徴としてもみなされている。脱皮を繰り返すことで身体は大きく成長を遂げ、より硬く、しぶとく、強靭な肉体を作り上げていく。前述のキング牧師の言葉にも当てはまるだろう。

不思議なことに、蛇にまつわる言葉の意味やメタファーには、現在のエバートンを取り巻く状況、先の見えない事象に対し、大いに重なる部分がある。

錯綜した根源には、エバートンFCが大きな野心を抱いたことが背景にある。だが、我々の選んだやり方では成功できなかった。8年の月日が流れ、ようやく脱皮するためのチャンスを得た。というより、せざるを得ない瀬戸際までやってきた。しかしながら、脱皮をしてもコブラの背中には特徴的な模様が残るように、維持しなければいけないもの、守らなければいけないものもある。同時にクラブが強くなるために捨てるべきもの、諦めるべきもの、生まれ変わるための手段と挑戦も求められる。そこにサポーターとして、育み学ばなければいけない知見や文化は山ほどある。

3年連続の残留争いも、いつかエキスパートに登り詰めるための試金石として役立つだろう。

常に錯綜と激動のパッセージに生きる我々のメロディーラインは、脱皮を繰り返して強くなる。クラブも選手もサポーターも、この経過を蔑ろにしなければ、目まぐるしい再生と共にリーグの舞台を掻き回す、反撃の咆哮を響かせるはずだ。

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