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【家畜制度全廃論序説】動物と人間は兄弟だった 太田龍 著 Amazonブックレビュー

長い間絶版になっていた本がようやく再販された。
絶版になる本には2つタイプがあると思う。1つは内容が芳しくなく絶版になる本。もう1つは内容は素晴らしいが、その真実が世に出ると権力者や利権を得ている人が困るので絶版に追いやられる本。わたしは、序説とついているのだから書きかけのメモ程度なのかな?と思って前者だと思っていたのが、いやいや物凄い内容でこれは間違いなく後者のパターンだと確信した。

まだまだ蔓延る肉食や人間中心主義を痛烈に批判している点も権力者だけでなく、圧倒的大多数の肉食者や環境活動家、人権活動家、知識・文化人の反感を買った部分もあると思う。しかし言論の自由という立場から、こういった「極端な」主張であっても絶版にしたままにするのではなく異論として残し、お互い議論し高めていくのが本来の学問であり運動であり言論界だと思う。

それゆえ、今回の再販化は非常に意義が深い。

そして何と言ってもこの本が最初に発表されたのが1985年9月11日。何と40年前だ。太田龍の書籍の中でも最初のほうの部類だ。当時は反戦・反核運動が左翼リベラルの中心にいて、環境問題は公害から地球規模のものにシフトしている時期、反原発運動もカルトで、人権は同和差別や朝鮮人差別に限定されていてグローバルな視点は皆無だった。ましてや犬猫を保護する程度の動物愛護運動はカルト中のカルトであり、サラリーマンのや有名漫才家から「頭のおかしい人」の典型例としてネタにされた。わたしも子ども自分覚えているが、今やリベラルの顔となったサンデーモーニングの司会者、関口宏は当時、人気エンターテイメント番組「クイズ100人に聞きました」で出演家族のお父さんがベジタリアン(当時はほとんど日本に存在しなかった)と知るやいなや「お父さん死にますよ」と全国ネットで明言した。ま、日本のアカデミズム、リベラル、言論界はそんな程度のレベルだし、今もほとんど変わっていない。当時は資本主義vs共産主義、アメリカvsソビエト連邦の時代で、進んだ考えとは、ソビエト型の社会主義は非民主主義で良くないから市民が運動に参加し、それがやがて社会主義や共産主義になっていくという考えがもっとも進んだ思想であり、左対右の二次元の二項対立構造でしか多くの文化人はものを考えられなかった。その時代に太田龍は本書を通じて次のようなメッセージを発表した。

・マルクスの共産主義は資本主義と同じ人間中心主義の環境破壊思想である
・人権の背後には人間中心主義があり、人間の欲望が無制限に肯定されることによって、動物や植物が犠牲となり、地球を滅ぼすところまで行き着く
・農業も環境を破壊する人間の業だが、動物を家畜にすることは、より環境破壊を招くだけでなく、去勢や不自然な飼育など生命倫理を大きく狂わす
・動物の家畜化は、戦争の捕虜や征服民を通して人間にも応用され、奴隷制度の誕生となった
・ヨーロッパ市民革命の自由・博愛・平等は人間にだけ向けられたものであり、人類のさらなる欲望の暴走によって地球環境は深刻に進むこととなった
・日本は奈良時代から明治直前にかけて、ほとんど肉を食べない、魚介類のみの菜食文化が続いた。ゆえに欧米人や欧米文化と一線を画し、今は欧米文化に洗脳されているが、生命尊重・自然共存の大きなポテンシャルを備えている
・家畜に端を発する生命操作は、遺伝子組み換え、動物実験、バイオ生命技術にまで発展し将来に禍根を残す
・人類は動物を家畜化したつもりが、人類自体が権力者によって「家畜化」されていることに気づいていない

当時の「進歩的」な考えとは異次元レベルの生命尊重・自然回帰をベースにした主張である。極論、先走りしすぎと思われるかもしれないが、40年たった今、環境運動や人権運動は、大企業や権力者によって大きく方針を歪められ進歩どころか後退している現状を目の当たりにすると、太田龍の言うように、片手落ちの活動であり本質や根本を考えなかった結果と言える。

もっともこの頃の太田龍はデイビッド・アイクと会う前であり、ユダヤ金融資本や爬虫類型宇宙人による人類支配など、一般からは「陰謀論」として敬遠される真実に目覚めておらず、人類の起源をサルに求めるなど一般の生物学・歴史から脱していない点もあるが、それはさておき、当時これだけの主張ができたということだけでもすごいことである。

温暖化二酸化炭素説が出てくる前は、世界的にも環境保護(←太田龍はこの言い方を嫌う)運動は、野生動物の保護であり、動物愛護であり生命尊重だった。ところが2000年の京都議定書あたりをきっかけに、環境保護運動とは、気候変動のことであり二酸化炭素の抑制ということに単純化され金銭化され国家や国際機関の支配の道具となってしまった。その一方地球規模の環境破壊は取り返しのつかないところまで行ってしまった。

太田龍が40年前に指摘したように、家畜動物一頭育てるのに莫大な農作物と水、エネルギーが消費されるので、真に地球環境を守るには、肉食を控え穀菜食に切り換えるべきなのに、どんなに進歩的で賢い環境活動家や人権活動家も、こういったメッセージは無視し、二酸化炭素の抑制や化石燃料の抑制だけを訴えている。この矛盾をうまく描いた映画に「カウスピラシー」という映画がある。

新型コロナを通して、全世界的に、反体制・進歩派と言われてきたリベラルや左派、NGOやNPOという言葉に象徴される国際援助活動や市民活動の多くが、政府による行動制限やワクチン接種は不十分だとし、より強い行動制限命令やワクチンの普及をアピールした。結果新型コロナの本当の被害は一切検証されないまま、行動制限による経済損失とワクチンによる大規模な後遺症と死亡者の存在が明らかになってきた。今まで市民の側につき、政府に逆らって市民の権利や健康を守ってきた左翼リベラルが、政府をも超えて、市民の権利や健康を奪う側に回った象徴的な出来事だ。医療や製薬会社を盲信するリベラルや市民活動、左派政党がうまく利用されたとも言えるが、思想と行動の転換という意味で全世界的に大きな出来事である。一方、市民の側にたち政府や大企業に逆らって、行動制限やワクチン接種を批判し抵抗したのは、右派と言われる保守グループや政党、支持者である。政治思想の左右の転換が起きたとわたしは思っている。

太田龍は暴力容認時代の日本共産党の党員であり熱心な活動家であったが、転向し一時は天皇制や神道など右翼思想に接近するも、それをも統合して、より進んだ環境活動家として、自然農、自然療法、菜食主義、動物実験反対、性の真実と解放などを訴えるに至った。当時は変人扱いされたが、現在はこれらの運動は非常に評価され、今後の世界を救う鍵となっている。

単純な権力批判や、一方の正義の盲信は、権力自体に逆に利用されたり、大規模な過ちに加担する結果になることが多い。自分の頭で考えると同時に、菜食など実生活でも言行一致の行動をすることによってやっと真実が見え、政府のみならず、左右両勢力、政府をも超える製薬会社などの勢力から自由となり真に動物としての人間らしい人間の生活を送れるのではないかと思う。

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