起業の学校

2014年の4月から起業支援ネットというところが運営する起業の学校という所に通い出した。NPOなど社会問題を解決する人向けの講座というイメージがあり、前から行きたいと思っていたのだが、正直最初は、お金を稼げるようになるというよりは、NPOのつくり方みたいな授業だと思っていた。

「教室があり担任がいる」という脱学校形式のセミナーが流行る中、全く逆をアピールしているところが気になり行くことを決めたが、スパルタではないものの課題や発表がどっさりある厳しめのセミナーだった。他の人が学校をつくりたいとか、商品開発をしたいという中、自分はちっちゃい起業をしているものの、その実何がやりたいのかわからず、自分は本当にここにいていいのかな? と思うことも多かった。

授業内容は、半年かけて自分の事業の理念を作るというもので、そのために自分の歴史を振り返ったり、自分が興味があることについて調べ物をして発表したり、自分の心の中を探るワークをしたりとやることは山ほどあり、最初は「はやくお金の稼ぎ方を教えて」と思っていた。校長先生曰く「ここは命の時間の使い方について学ぶところだよ」自分自身に徹底的に向き合った。今まで興味本位でしたインターネット検索をしてこなかったが、テーマを決めて発表するつもりで検索すると、自分の心の奥底で引っかかっていた問題が顕在化されて、それを知ることで納得するといいうか整理されていくのを感じた。損益計算書や貸借対照表の書き方はやらない。最後の方に少しやっただけ。自分について知るということを徹底して行った。

その中で、キーワードというものを見つけるというワークに入っていった。わたしの場合「正直さ」というキーワードになった。わたしは「正直に商売していたら今の時代儲からない。えらいことになってしまった。取り消せないかな」と最初思った。わたしは過去、処世術というものは人を騙してなんぼ、人にものを売るときはうまいこと嘘をついて売ってこいと言われ続けてきたために、本当の自分はそうではないのに逆のことをされて苦しんだというい経験がある。それゆえ、「正直」というキーワードが出てきたのであろうが、これは商売上マイナスだと思った。しかしワークを進めていく中で、商売がうまいと言われているユダヤ商人と日本の商社の商売上の哲学が「正直さ」ということを発見した。お客からもらい過ぎた場合、返しにいくということまでしていたという。これは大きな自信になった。商売というものは人を騙してできるだけ大きな利益を得ると歪んで解釈していたのだが、そうではないと知って心の中にあった大きな重荷が一気に無くなるのを感じた。

また、別のワークをやっていく中で、「なぜ生きづらい人が多いのだろう」「ありのままで生きられないのだろう」といったテーマに行き当たるのを感じ、「生きテク」という世界から自殺をなくす活動をしている人を特集して発表することもした。

そんな中で、やっと自分の理念というものができた。

「人々が正直に無理なく生きる世の中を創る」

自分の心の中の想いが見事に凝縮された文章だ。校長先生は理念こそが起業の全て、人によっては「愛」の一文字の人もいると言っていた。わたしはあえて、愛、平和、正義、美というような言葉を使わないようにした。使ってしまうと陳腐化して嘘っぽくなる気がしたからだ。

そして、この学校で一番学んだのは理念の大切さだ。今まで企業理念とは、体裁の良い、お客さんに向けた単なるイメージ戦略だと思っていたのだが、全く違って、企業(起業)にとって存在の目的はこの理念の中にあって、これに沿ってビジネスプランやあらゆる業態が組み立てられるもので、1に理念、2に理念、業務や利益というのは二の次、三の次ということがやっと理解できた。
そこに校長先生がいう「命の時間の使い方」というフレーズが重なってきて、理念とは自分の生きる動機そのものであり、実現不可能で、自分の代には実現できなくても、どれだけ時間がかかっても叶えたい、作り出したい何かだという。国でいう憲法にあたるもので、この理念からズレたことになると、やっていることが儲かっていたとしても命の時間の使い方としては良くないということになる。だから時間をかけて、それこそ真の自分と向き合って命がけで作るものなのだ。わたしはこの理念ができたことで、あらゆる迷いがなくなった。わたしなりに苦労して心の底から出てきた言葉を試行錯誤して文にしたのだが、一生この理念は変わらない気がする。それくらい自身の生きずらさ、他人の生きづらさというものに理不尽さと願いというものが湧いてくるのだ。

理念が決まったので、業態が決められないことにはさほど焦りは感じなかった。

先行してカウンセリングで「起業」はしていたがお客さんもいなくて、たいして得意なことでもなかったので、そこにはこだわらず、自然栽培やアフリカは利益を出していないし、それで勝負をする決心がつかなかった。卒業間近になりクラスの中で業態が決まっていないのが自分だけだったので、校長先生に「あなた便利屋やったら」と言われた。「まさか」とは思った。家へ帰って便利屋について調べていくと「この業態は10年間で10倍の市場規模に成長した」とあった。ビジネスとしては発展していく方向にあるようだ。起業の学校の卒業論文(ビジネスプラン、プレゼンテーション)は便利屋で発表して卒業した。

便利屋は、別名なんでも屋ともいい、お客さんの要望に応じて、決められた金額で、できることをなんでもやる。有償ボランティアという言い方もある。最初わたしもヤクザな商売だなと思い人に言うのが恥ずかしかったが、10年ぶりに九州で牧場を経営していた叔父に会い、「何やってんだ?」「便利屋です」「いい仕事見つけたな」と言われたのを覚えている。何度もいうが理念が一番大切なのであって、業態は二の次。どこの業界の仕事も蹴られ邪魔者扱いされ、どこにも働く場がなかった人間としては、虚業ではなく、お客さんから必要とされ、それに応えてお金をいただけると言うのはそれだけで生きててよかったともえる自己肯定感なのである。

便利屋という収入を伴った自営ができるようになり、イベントの日雇いは行くのをやめた。人から雇われなくなったことで萎縮していた心が少しずつ開き出し余裕が出てきた。小さくても自分自身で稼ぎ出しているということが自信の回復につながった。自営して一番びっくりしたことは、雇われだと鬼社長や雲の上だと思っていた人物とも実は対等なのだということが実感できたことだ。当然会社を離れたのだから無茶をしてくることもないし、暴言も吐くことができない。経営や信用などの責任は全て自分に来るのは事実だけど、どんなようにやるか?何時から何時までやるか?など自分の思うように自由に決めていいのでストレスがなくなった。

そしてこの便利屋を軸に様々なものや人を引き寄せるのである。


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