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金と愛に乾杯

 わたしは、週に2夜ほど、ほとんど趣味のような形でスナックで働いている。そこで出会ったOさんとのお話だ。

 初めて出勤したのは二年前の八月。開店45周年を記念してパーティーが開かれた日だった。三十路手前で初めて水商売に挑む人は少ないらしく、今年71歳になった人情深く愛しいママにも驚かれた。正直なところ、スナックがどういう場なのかあまりよく分かっていなかった。というよりも、飲むのが好きな夫婦が子供なんかも連れて遊びにくるところだと思っていた。でも、わたしがたまたま働き始めたところはそうではなかった。

 パーティーでは、ブラジリアンダンスを踊るブラジル人の踊り子が一人来ていて、三十分置きくらいに三回ほど派手でセクシーなダンスを踊っていた。お客さんは五十代〜七十代くらいの男性がほとんどで、狭い店内にぎゅうぎゅうだった。タバコの匂いとおじいちゃんの匂いが充満していたけれど、そこまで嫌な匂いではなかったと思う。ダンスが終わると、おじいちゃん達は樋口一葉や福沢諭吉をブラジル人のお姉さんの豊満な胸のところに縦に半分に折って差し込んでいた。わたしはもしかして、ちょっとエッチなお店に来てしまったのだろうか。

 右も左も分からないわたしを、ママが次々にお客さんに紹介していく。「みなみ」という源氏名を使ったわたしは「みなみです」とまるで何か特別な本性を隠すように落ち着いて挨拶をした。そうしてみただけで、別にわたしはこのままなのだけれど。

 スナックは、クラブのように高級ではないにしろ、一回一万円くらいは大して何も飲んでいなくてもかかる。だからお客さんもそこまで下品な人はおらず、やたら馴れ馴れしく絡んでくるような類の男性はいない。しかしそもそも子連れのファミリーが来るようなところだと思っていたわたしは、男性がほとんど100%を占めていることですら辟易していたのに、どう立ち居振る舞えば良いかまったく分からず、ただ初対面の先輩の見様見真似で店員になりきるしかなかった。

 普段しない愛想笑いをしすぎて頬が痛くなってきた時、ママに呼ばれた。
「みなみちゃん。大切なお客様だからよろしくね」
 うるさい店内では十分小声と取れる音量で耳打ちされて、あるお客様のカウンターの隣に座らされた。それがOさんとの出会いだった。

「みなみです。よろしくお願いします。」
「Oですよろしく」
 Oさんは、句読点のない喋り方をしていた。笑い皺があって、何歳か分からないような肌艶。25歳の時から通ってもう40年以上経つ、と言っていたので最低でも65歳である。わたしの親より小学校分くらい年上だ。Oさんは、わたしが初出勤だということを知り、気を使ってくれたのかたくさん話してくれた。
「私は18で上京して26で会社を興したんです」
「それから今までずっとこのあたりにいて」
「このお店でも色々あったよ」
「それから息子が22で亡くなりました事故でね、」
 この時初めてOさんは一息ついた。
「息子はもう一人いてそっちは今私の会社で働いてるんだけど亡くなった方は私にそっくりだったんです負けん気があってね商売上手だった」
 笑っていた。哀愁の含まれた笑顔だったと思う。わたしはうんうんと頷いているうちになんだか涙が溜まってきていつの間にか泣いていた。Oさんの話が悲しかったというのはもちろんなんだけれど、人生何が起きるか分からないということをガツンと示されたような、少しショッキングな感じがしたのだ。

 それから、Oさんは必ず週に一度お店に来てくれた。元々太客だったみたいだけど、お気に入りの子がいないと毎週のようには通ってくれないらしい。彼が来てくれるから、わたしの給料には指名料がどんどん追加されていった。

 一年半もあったのだ。それなりに、お客様とはいえOさんとの思い出はたくさんある。出勤してない時でも、たまに飲みに連れていってもらったりもした。年齢差が大きすぎると話が通じていない時がよくあったりするけれど、まさにOさんともそういうことがよくあった。それでも一緒にお酒を飲んで、歌ったりするだけで充分なコミュニケーションになりえた。
 Oさんはわたしのことを気に入ってくれていた。キャバクラのようなキャピキャピした女の子は苦手らしく(本心かは分からない)、サバサバしたわたしは居心地が良いらしいのだ。Oさんはお店に来ると必ずチップとして五千円をくれた。お店以外で会った時は一万円くれた。わたしはどんどん心を開いていき、いつしか同世代の男友達に会う時くらい気楽な気持ちで、素直な自分を見せることができていた。

 怒らせてしまった時もあった。わたしがいつものように出勤の前に連絡して来てもらったのに、たまたま他のお客様がいらしてて付いて二十分くらい歌ったり喋ったりしていたら、
「帰ります」
 と静かに一万円を置いて出ていってしまった。追いかけようとしたけれど、ふと、彼氏でもあるまいし、わたしは何をしようとしてるんだと思って追いかけなかった。その日から三週間くらいはOさんはお店に来てくれなかった。

 なんでもない顔をして、また来てくれた。なんとなく最初はぎこちない感じがしたけれど、すぐにいつものOさんに戻っていたと思う。でも、どことなく顔色が悪かった。

 会社員とスナックのアルバイトを掛け持ちする不規則な生活がどんどんしんどくなり、わたしは会社を辞めた。スナックの出勤を週四日に増やすことにしたとOさんに伝えたところ、「頑張ってねでも足りないでしょう」と言って財布から55万円をくれた。「ありがとうございます」と大して驚きもせずに受け取った。よく色々なところに遊びにいくOさんの財布には、いつも100万円が入っていることをわたしは知っていた。こんな時くらいは、ちょっと大袈裟に驚いたりした方がよかっただろうか。


 それから今年の五月、Oさんはこの世からいなくなった。ママから連絡を受けたけど、こんな時期なのでお葬式はないとのことだった。悲しかったのか、よく分からなかった。悲しくなかったことはないと思う。でも、大きな喪失感はなかったと思う。「もうお小遣いがもらえなくなる」考えたくもなかったのに、最初に頭に浮かんだのはこれだった。さすがに自分でも嫌な人間だなと思ったから、Oさんとの思い出を少し振り返った。もう少しくらい、聞き取れない話もしっかり聞き返しながら優しく会話してあげた方がよかったかなとか、どんな気持ちでわたしにお金をくれていたんだろうとか、もっと昔の話を聞いてみたかったなとか、そういう気持ちも少なからず湧いてきた。
 泣いていた。悲しくないはずなのに、なんでだろう。初めてOさんに会った日に聞かされた息子の話の時と似たような感覚だった。気づけばわたしは、ほとんどOさんのお金で生活し、Oさんと時間を過ごしていた。そのOさんがもういないなんて、そんなことあり得るのだろうか。

 Oさんと乾杯できる気がして、急いでスナックへ向かった。



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実際にスナックで働くわたしのフィクションです。

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