同族嫌悪は自分への良いフィードバックだ

noteでもわたしはよく、似ている人のことは嫌いになりがちで、似ていない人に憧れてしまうという類のことを書いているのだけれど、これは「同族嫌悪」という名のものだと知った。

どういうところを嫌いになるかというと、"あまり人に指摘されたことはないけど自分では分かっている自分の嫌いなところ"である。自分で自分の好きなところと同じものをもっていると感じる人に対して、嫌悪を抱くことはないのだ。自分の嫌いなところを投影されて、客観視してしまっている気分になるので、本当は自分の嫌いなところが嫌いなだけなのに、その人のことが嫌いだと錯覚するのである。

わたしの場合は、虚勢を張りがちなところとか、自分のことばかりベラベラ喋ってひとりで気持ち良さそうなところとか、頭が悪いのに行動力だけあるところとか、とはいえその頭の悪さも行動力も中途半端なところとか、好き嫌いはっきりてしまう子供っぽところとか、かなーと思います(辛くなってきた・・笑)。

あまりうまく言語化はできないのだけれど、同族嫌悪と普通の嫌悪ってやはり違うので自分の中で感じる「嫌い」も違うんです。なんというか、同族嫌悪の場合は「ものすごく嫌いでめちゃめちゃ罵りたいんだけど、なんだかずっと気になる」感じで、普通の嫌悪は「もう関わりたくない。以上。」という感じかな・・・。嫌いなのにドライに関係を切れない、事あるごとに攻撃したくなっちゃったりするのは、もしかしたら同族嫌悪なのかもしれない。

ネットでちまちま悪口書き続けている人たちももしかしたらそうなのかもなーと思ったりします。こんな無名のわたしにも、攻撃してくれた人たちがいたけれど、なんだかみんなやっぱり普通にわたしのことが嫌いで一言だけ言ってやりたいというよりは、「妬み」や「僻み」、つまり、自分だって同じようなことを頭に思い浮かべていたことがあったのに実現しなかったから攻撃したいという感じがしていたのだ。ちなみに、その実現しなかったというのはわたしが何か成功したとかではなくて、会社を辞めたかったのに辞められずにいい歳になってしまったとか、そのくらいのことです。

なにが言いたいかというと、同族嫌悪は自分を見つめ直すのにものすごく有難い感情だなということです。わたしが最初に勤めていたリクルートでは、上司・部下・同僚などみんなから評価をもらう制度があったけれど、世の中の会社で人事制度が超しっかりしている会社なんて一握りで、人からフィードバックをもらう機会は少なくなる。自分の悪いところを指摘されることだってなくなるし、反対に自分の良いところを言葉にしてもらう機会もなくなっていく。だから、自分で自分のことをしっかり指摘してあげたり、褒めてあげたりしなくてはならないとわたしは思うので、同族嫌悪はそれに一役買ってくれるなと思うのです。ただ嫌いな人がいるよりも、同族嫌悪の方が有難い。

そんなわけで、嫌いだという感情を抱いたら、ちゃんと紐解いていこうと思います。


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