フィクションを嗜める人こそ、知性の高い人間なのではと思うのに

フィクションを楽しめることに憧れがある。

わたしは小さい頃からやたら現実主義で、本や映画などもノンフィクションのものが好きだった。リアルなものとして想像できて、感情が分かって、自分の考え方や生活にすぐに活かせそうな、そういうノンフィクションものが好きだった。

しかし最近、色々なことがきっかけでフィクションを楽しめることこそ、想像力に長けており、創造性も育むことができ、そして知性が高いとはフィクションをしっかり楽しめる人間なのではと思うのだ。フィクションといより、ファンタジーやSFと言った方が近いかもしれない。

いまの世界には有り得なさそうなことを、ちゃんとストーリーとして理解し、嗜められるのって頭がいい証拠だなとも思ったりする。

現状の世の中には起こらなそうなことだって、もしかしたらちょっと先の未来や反対に過去には有り得たことかもしれないし、そういうことが自分の考えのスパイスになったりするんじゃないかと思うわけである。


それでもわたしはリアルな生々しいものが好きで、これからもそうなんだろうなと思う。もう少し、フィクションを楽しめるようになりたいんだけれど、フィクションをフィクションとして観ることができなくて、「明日自分がここの世界に生きることになったらどうしよう」と結局リアルに結びつけてしまう考え方の癖があって、フィクションを観てるとやたらと怖くなってしまったりするのだ。

『アナと雪の女王』ですら、緊迫する場面では(たしか雪の中をアナが馬に乗りながらエルサを助けるためにお城に向かって走る?シーン)怖くて泣きかけたし、そういうドキドキする場面を落ち着いてきちんと「これはフィクションで、いまは物語を楽しんでいるのだ」と思うことができないのだ。

小さい頃からそうで、『もののけ姫』だって最後まで観られたことがないのだから。

その割に、インドに行ったりだとか、一人旅をしたりだとか、自分の身に万が一が起こりそうなことに対しては全く怖さを感じないのだから、不思議ですよね、、。

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