考えても分からず。慣れよ

 やっと、自分に慣れてきた。自分のことが分かってきたというよりも、ただ慣れてきた。それは、お酒の飲み方が分かってくる大学4年生に差し掛かった3年生のような感覚だ。そんなわたしはもう27才なんだけれど。

 自分のことは、まだまだ分からない。意志が強いのか弱いのか、頭が良いのか悪いのか(多分、かなり悪い)、何がしたくてどんな大人になりたいのか、結婚したいのかしたくないのか、子供がほしいのかほしくないのか、明日何が食べたいのか。何も分からないし、きっと、一生分からないのだろう。それでも是非とも良い人生にしていきたいものだ。
 しかしあまり焦らなくても、70才くらいになれば、人は自分の人生が良いものだったと思う傾向にあるらしい。スナックのお客さんも、よくそんなことを口にしている。

 お酒の飲み方が分かるようになったのはいつからだろう。わたしは真面目だったので、大学生になるまではちゃんとお酒を飲まなかった。それでも多分、記憶を辿ると社会人2年目くらいまではトライアンドエラーを繰り返していたように思う。脂っこいものを食べながら飲むとすぐ気持ち悪くなってしまうこと、ジョッキの1/4くらいを飲むと顔が赤くなってしまうこと、血の巡りがよくなると全身が痒くなること、火照ったと思ったら震えるほど寒くなること、磯丸水産のお酒はダメなこと。自分の症例をあぶり出すのに、数年かかった。最近ではようやく、例外を見つけ出すことが難しくなった。

 わたしは自分という人間にアルコールを流し込んだ際の症例およびその対処法が分かっただけに過ぎなくて、例えば他の人がアルコールを飲んだ時の症例なんて一つも分からなければ、"アルコール"についてなんてもっと分からない。
 冒頭の「自分に慣れてきた」というのも、自分がざまざまな場面において、どのような症状が出て、どう対処するのが良さそうか、というのが分かってきたというだけである。それはすごく単純なことで、例えば、新しい環境に行くと大体3ヶ月くらいは猫かぶりしてしまうとか、理解力が乏しいので分からないことは分かるまでちゃんと質問しないと後々面倒なことになるとか、数字が苦手で超単純な計算も時には間違えてしまうから電卓にしっかり頼ろうとか、他人に怒られると極端に落ち込みやすいとか、半年くらいすると大体会社を辞めたくなるとか、感情に従わない決断はその後もずっとモヤモヤし続けるとか、そういう症例がようやく溜まってきて、確からしいものであると認識できるようになってきたわけである。

 症例が溜まってきたということはつまり、もしかしたらしない方が良い決断もあったかもしれないことを意味するけれど、症例が溜まらないよりは溜まった方がなんだか得をした気分になるではないか。

 ようやく確からしい症例が溜まってきてくれたお陰で、自分に驚くことも少なくなった。自分の感情に戸惑うことが少なくなった。でも人間は、日々変化するものである。今日の正しい症例は、明日の例外にもなり得ることを心得て、明日も自分に慣れていこう。


サポートしていただけるなんて夢のようです・・!いただいたお金は、熱量と感情が溜まった際の起業資金にさせていただきます。使わないよう、普段とは別の口座を登録してます。