熱の余韻を感じる対岸の選手村
2020年3月下旬のある夜、私は翌日の出張に備えてスーツケースに荷物を詰めていました。行先は福島。聖火リレーグランドスタートイベントの同時通訳です。しかし、出張当日へと日付が変わる頃、「先ほど大会の1年延期が決定したため聖火リレーも出発しません。出張キャンセルです。」との連絡が入りました。本格的な感染拡大への不安の中、翌朝になってスーツケースの中身を片付けたことを覚えています。
以降コロナの影響により、通訳の仕事のしかたもずいぶん様変わりしました。一時各国のビジネスが止まったことで、通訳の需要自体が無くなり、その後リモートの会議通訳が広がっていきました。
クライアントの顔が見えない、パートナー通訳者とも会えない。自宅のデスクで世界と繋がってひとり格闘する姿は、きっと滑稽です。そして孤独。そんな気持ちをすっきりさせるためにも、よく近所の運河を一周走ったり歩いたりしました。その運河の対岸に見えるのが選手村です。
建設工事の頃は、希望や期待がどんどん膨らんでいくように見え、延期が決まった頃からは人の気配が消え、ただ時だけが過ぎていくような無機質な存在に見えました。しかしひとたび選手が入ってくると、鮮やかな色を取り戻したように生き生きとして、建物の上空をブルーインパルスが飛んだ日には、再び希望が返ってきたようでした。
パラリンピックが閉会した数日後、ひとつの締めくくりとなる大会関係者会議の同時通訳を担当しました。おそらく私のオリパラ案件もこれでひと区切り。しかし感慨深い…なんて言っている暇もなく、秋はビジネスや外交の仕事が目白押しです。最近は現場へ出かける通訳も増えてきて、リモート通訳とのハイブリッドが主流です。
昨日の夕方、また運河の道を歩きました。選手がいなくなって再び暗くなった選手村。でも、もうちっとも寂しくは見えません。困難な状況にあっても、今持っているものを生かして何かを成し遂げたり、力を出し切って輝くことができると教えてくれたパラリンピック。コロナのトンネルはまだ先の灯りが見えないけど、日々にこそ光があるのだと思いたい。熱の余韻を感じる選手村を眺めながら、ふとそんなことを思いました。
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