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「分からない」ことの先に 西本耀(学生インターン)

京都で暮らし始めて、もうすぐ2年になる。

先日、停留所でバスを待っていると、ある外国人に声をかけられた。見慣れない文字がびっしりと書かれたメモを片手に、必死に語りかけてくる。聞き慣れない言語、お目当てのバスは刻一刻と近づいてくる。「パードゥン?」と拙い英語で返答。一瞬の間の後、日本語らしき単語が聞こえる。もう一度聞く。知らない地名。バスはもう目の前。京都観光をしてこなかった自分を呪う。そして、道路を挟んで反対側の停留所を指差して言う、「オーバーゼア」と。笑顔で「アリガトウ」と言い残し去っていく、のを見ながら、バスに乗り込む。スマホを取り出し、地名を検索してみる。正解は、こちら側のバス———。

  「分かる」———「分からない」

世の中には、「分からない」ことが溢れている。私は、あの外国人が話していたのが何語なのか分からないし、何を伝えたかったのかも分からない。京都の地名も分からないし、正しい停留所も分からない。分からないわからないワカラナイことだらけ。

対して、世の中には、「分かる」コンテンツが溢れている。どこかで見たことのあるような設定と登場人物によって繰り広げられる、どこかで聞いたことのあるドラマ。そのコンテンツの視聴者・観客は、無意識のうちに、そのようなドラマに妥協し、ドラマの中に「あるある」を求めるのである。「あるある」を見つけ、共感し、感動するのである。———「分かる」ドラマでの安住。「分からない」ことだらけの世界。

「分からない」ことは、怖い。「分からない」ものを「分かる」ことは難しい。「分かる」ためには、まず、自分には「分からない」ものがあるということを自覚しなければならない。そして、「分からない」ものが「分かる」ものになった時、それが自分にとって不都合な真実であることがしばしばある。「分かる」ことも、怖い、のである。そのために、「分からない」ものを「分かる」ことがより怖くなり、同時に、「分かる」ものも、無意識のうちに「分からない」ものとしてしまう。———そして、「分かる」ドラマに「分からない」ふりをして安住する。

  「見える」———「見えない」

村上春樹の著書に、『アンダーグラウンド』(1999年、講談社文庫)というノンフィクション作品がある。この作品は、地下鉄サリン事件の被害者に対し、著者である村上春樹自身がインタビューを行い、それらをまとめたルポルタージュである。その著者あとがきである「目じるしのない悪夢」から、以下の文章を引用する。

それがオウム真理教=「あちら側」の差し出す物語だ。馬鹿げている、とあなたは言うかもしれない。たしかに馬鹿げているだろう。実際の話、私たちの多くは麻原の差し出す荒唐無稽なジャンクの物語をあざ笑ったものだ。そのような物語を作り出した麻原をあざ笑い、そのような物語に惹かれていく信者たちをあざ笑った。後味の悪い笑いではあるが、少なくとも笑い飛ばすことはできた。それはまあそれでいい。
しかしそれに対して、「こちら側」の私たちはいったいどんな有効な物語を持ち出すことができるだろう? 麻原の荒唐無稽な物語を放逐できるだけのまっとうな力を持つ物語を、サブカルチャーの領域であれ、メインカルチャーの領域であれ、私たちは果たして手にしているだろうか?

村上春樹『アンダーグラウンド』


「見えない」ものは、基本的に「分からない」。ただ、「見える」のに、見えていないふりをしてしまうこともある。「見える」ことも「分かる」ことと同様に、怖いのである。そう、私たちはきっと、「こちら側」に物語がないことに気付いているはずである。「こちら側」の物語、私たちが信じ続けていた物語、それはつまり、思想であったり、信条であったり、政治体制であったり。それでも、私たちは、その事実を「見えない」ものとし、「分からない」ふりをして、「あちら側」の物語を笑い続けるのである。「見えない」ものと「見える」ものの境界を、無意識的に、しかし、明確に、作り出しているのである。

さて、傷つこうではないか。ある種の芸術は、私たちが「見えない」ふりをしているそのような境界を、あるいは、「見えない」ふりをしているその態度自体を、観客にまざまざと見せつけ、突き付ける。それは、生傷を抉られるような、ある種の不快感を伴うものかもしれない。しかし、「見えない」ものを「見える」ものにする、「分からない」ものを「分かる」ものにする時にしか得ることが出来ないカタルシスが、そこにはあるはずである。

『ノー・ライト』、マルチリンガル上演によせて。

そこに、光はあるのか——。

その光は、私たちに何を見せるのか———。

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