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09/最期の自分になる

先日、井上まゆみさんの死生観のお話、死生観ワークに参加してきました

タイトルを見て、ザワザワとした方もいるかもしれません。"最期"とかザワザワ、、、
軽々しく言うものではない、亡くなった人に失礼だ!とか嫌な気分になると思う方もいらっしゃると思います。

私もそんな風に、タブーな印象を持っていたけど、死をなんとなくネガティブに捉えて、自分の死生観を持たずにいる方が失礼なことだと感じています。

私が、"死"というワードに興味を持ち始めたのはコロナ騒動があってようやくで、医療の現場にいるのに、自分の死生観にしっかりと向き合ったことってなかった、、、と自分にショックを受けました。
もちろん、死を迎える人にサラッとした看護をこなしていたわけではなく、"病院"という場所で、残された時間をどう過ごしたいか、その人の思いは何か、家族ケア…私なりに寄り添っていたつもりではいましたが、今思うととても薄っぺらく、失礼なものだったと感じています。
死の場面に特別落ち込んだり、最期の時間を通して与えてもらったものはなんだろうかと意識して考えたり深めたりすることも、ほとんどありませんでした。

死生観がなければ、今生きていることの有り難さを感じたり、毎日を生ききることはできないとわかっていながらも、
それを意識下に毎日過ごすことって、なかなかできない人がほとんどではないでしょうか?

死生観ワークは、今の自分が大切にしているものを書き出し、病気がわかるまで〜病気になり死を迎えるまでの自分を想像して、大切なものを順に手放していくワーク。
自分の大切なものとは何か、なぜ大切なのか、手放す時に感じたことなど、死を意識した自分と向き合っていくものです。
私は向き合う、入り込むということがとても苦手なので難しいと感じることもありました。
正解はないし自由なのに、自分の本音がわからないという感覚です。

私が最後まで残した大切なものは
"子どもたちとのハグ"でした

ワークで手放したものたちは、
"今、全部あるもの"
そのことを自覚し感謝すること

死生観と向き合うことから目を逸らしていたら、やっておけば良かった、伝えておけば良かったという最期を迎えるかもしれません。
ほとんどの人がそう後悔すると言われてます。
最期は、明日かもしれないし半年後かもしれない。

死に方は生き方

死生観ワークで、自分の大切なものが見えて、それらは"今あるもの"で、当たり前ではないことが改めてわかります。
じゃぁどんな風に生きたいか?ということに繋がっていきます。

毎日怒らない日はないらくらい、子どもと本気で向き合ってますが(いい風に言うと)
こんな風に言い合えるのも当たり前ではないことを忘れずに、生きていきたいです





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