Those dancing days
一年前のこれくらいの季節に、ダンサーの友人から公演のお知らせが届いた。その頃のわたしは、自粛生活もすっかり板についた毎日を過ごしていたので、久しぶりにやってきた“非日常”へのお誘いに胸が躍った。
「たぶん初日に行けると思う!」
なんて返事をしていたけど、今思うとこれ、絶対行かないやつだ。
“行けたら行くね”のやつじゃん。
それから少し経って、延期のお知らせが届いた。
そのお知らせに、すこしだけほっとしたのを覚えている。
いつのまにか日常のど真ん中に居座ってしまった不安を、刺激しないように過ごすことが当たり前になっていて、楽しむことが贅沢なものになってしまっていたのかも。
それからさらに時は経ち、友人からまたお知らせが届いた。
新たな日にちに変えられた見覚えのあるチラシに、小躍りした。(行けたら行くとか思っていたくせに)
「お休みとって、観に行くね!」
今回は行く気が感じられる、わたしの返事。
そしてちょうど1か月前に、わたしは久しぶりの“非日常”を楽しんできた。
afterimageの『9th “GO”』
アラフォーに突入した、男性ばかりのダンスカンパニー。
名古屋にこんな集団がいるんだと知ったのは12年前。
偶然に知り合った舞台役者の子を通して、メンバーの何人かと知り合った。
演出のトリエユウスケさんの個人プロジェクトには何度か参加させてもらっていたのだけど、afterimageとしての作品をしっかり観たのは、1円玉(大量)の公演だった。
1円玉が降ってきたのか、そこに積もっていたのか、はたまた投げ合っていたのか…記憶が定かではないのだけど、これまで好んで観てきたミュージカルやバレエのそれとはまったく違っていて大混乱した。
それでも、楽しそうに表現する彼らのパフォーマンスは、コンテンポラリーダンスを好きになるのに十分だった。
なんやかんやで彼らの公演をしっかり観たのはそれきりになってしまっていたのだけど、出会った頃に彼らから感じていた熱量はそのままに、ひとりひとりの輪郭がはっきり見えた気がした今回の公演。
あの頃は、ぼんやり感じたみんなのダンスが、今回はそれぞれの表現として舞台上に存在していた。
それなのに、誰もだれかの表現を邪魔しないのって、すごいなと思う。
のっけから惹き込まれて、気づいたら笑っていたり、(勝手に)切なくなったり、(未だに)混乱したり、久しぶりに気持ちを総動員。
そして、最後は胸がいっぱいで泣いていた。(行けたら行くって思ってたくせに、ね)
久しぶりに過ごした“非日常”。
贅沢な時間を堪能した帰り道、少し前にはこれが日常だったんだなってしょんぼりしたけど、この数年の閉塞感が“あの頃”になるのが、今はすごく待ち遠しい。
伊藤友美の記事はこちらから。
https://note.com/beyond_it_all/m/mee22ce06ad90
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