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わかりあえないことから、はじまる。

独身の友達に、「どうして今の旦那さんと結婚したの?」と聞かれることがある。わたしは「わからなさすぎて絶望したから結婚した」と答えている。

夫とは演劇祭、フェスティバル・トーキョーのプログラムで知り合った。長く友人関係だったが、話していて演劇観がわたしと違うな、とぼんやり感じていた。友人関係であればその違いこそが楽しく刺激的であるが、恋人、結婚となると話が違ってくる。

独身のときわたしは、共感しあえる人と結婚したいと思っていた。いわゆる「フィーリングが合う」というやつである。好きなものが一緒とか、笑いのツボが合うとか、細かいことはあるけれど、価値観が同じであることは結婚において重要なファクターだと感じていた。だから夫と付き合うことになったとき演劇の話があまり合わなかったことを思い出して心配になった。しかし、普段生活しているときの彼は演劇活動をしている軽快なテンションと違う面があり、どちらかといえば内向的なように見えた。意外だったが、この空気感は合うのかも、と考えていた。

付き合い始めて半年ほど経ったころ。結婚する予定だったためお盆に挨拶も兼ねて行こうということになった。婚約していたわけではなかったので彼女という立場で向かうことになる。

「実家帰るのだけど、2泊でいい?」

「え、2泊…?なぜ」

「1泊だと送り迎えしてもらうのが大変だし」

彼は山の中にある小さな集落の出身である。千葉市で生まれ育ち、高校を卒業してから東京に出たわたしとは環境がまるで違う。毎年盆に親族一同集まって墓参りという行事も馴染みがないものだった。わたしは当然日帰りか近くのホテルに泊まる旅行で、実家には挨拶に寄るだけと思っていたので寝耳に水の提案だった。話をよく聞くと、交通が不便なところにあるし、昔から従兄弟が本家である実家に彼女を連れて泊まっていくことに憧れていたこともありどうしても宿泊させたいようだった。

彼女の立場で泊まるのは気がひけるので日帰りがいいこと、遠いなら1泊は享受しても2泊は難しいこと、どうしてもというなら麓の町でホテルに泊まるならいいと伝えた。

「うーん…何もないって感じるのに2泊くらいは必要かなって思うけど。どう?」

どうもなにも、何故何もないとわからないといけないのだ。彼にとって彼女が自分の地元に何もないことを感じるというのはそんなに重要なことなのだろうか。すごく理解できるような、全く理解できないような…コンテクストが共有されていないといまいち噛み合わない。

何度か話し合ったが、彼の普通とわたしの普通が違いすぎて理解に苦しんだ。結局、わたしが折れるかたちで2泊することになった。結婚したいという意思を両親に伝えること、初めてだらけで緊張しているからフォローしてほしい。この二つを条件にして彼の家へ向かった。

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初めて会ったご両親はわたしを快く迎えてくれた。寡黙なお義父さんと快活なお義母さんは彼によく似ていた。山を登った先にある実家は母屋とはなれがあり、映画の中でしか見たことがないような田舎のおばあちゃんち、という風情である。そして想像していた以上に何もない。彼がこの家族とこの土地で詩を書き、アーティストの土壌を育んでいったのかと思うと妙に納得する。

お義姉さんや弟さんにも歓迎してもらい(親戚はいなかった)庭でバーベキューをした。彼女という立場上、客側に回るのか嫁側に回るのか立ち回りが難しいところだ。押しが強いお義母さんに言われるがまま野菜を切ったり、お皿を洗ったりとプレお嫁さん的なことをして凌いだ。食べる機会がほとんどないサザエの殻の剥き方について指導が入ったときは流石に冷や汗ものだったが、都会に住むお義姉さんの旦那さんも同意してくれて助かった。お義姉さんは同じ立場になることもあるからか、自由にふるまう弟の彼女が心配だからなのか、終始気にかけてくれていたように見えた。

食後は質問責めにされ、お義母さんからは「竜一のどこが好きなん?」と聞かれてしどろもどろになりながら「無人島でも生きていけそうなところですかね…」などと適当に答えてにやにやされたりした。緊張するところは多かったが私自身はそれなりにこなせていた気がする。

彼は終始わたしを放置し自由にふるまっていた。実家に帰った開放感からか、母や姉が彼女をかまってくれているから何もしなくて大丈夫だと思ったのか、酒を飲み父や弟と演劇論を交わして楽しんでいる。

そんな姿を横目で見ながら、貴重な盆休みを3日も割いて、気を使って仕事みたいなことしてるのやっぱりすこししんどいな、と感じた。

その晩、今は誰も住んでいない母屋に泊まることになった。二人になって、何故あれだけお願いしたのにずっと放置していたのかと詰め寄る。すると彼は私が怒っていると思ったらしく「アヤミさんがそうしたいなら、僕は嫌だけど、別れるのはしょうがないかな…って」と、別れ話を切り出されてると勘違いして部屋の隅に座ってしょげている。

いや、そういう話じゃないって!なんでそうなるの。ただ、気にかけてもらいたかっただけなのに。アウェーな環境に一人で放り込まれたら誰でもしんどいもんじゃないの?違うの?

…いや、本当に違うのか。

明後日の方向に勘違いしている人を目の前に何をいうべきか逡巡して、そういう結論にたどり着いた。たぶん、この人はたとえ言葉の通じない外国に一人で放り込まれても苦もなくなんとかなってしまうタイプの人だ。自分でさっき無人島でも生きていけそうなところがいいって言ったばかりじゃないか。わたしが家族に「気を使ってつらい」と言ってるのがどうしてなのか本当にわからないんだ。どっちが悪いとかじゃない、価値観が全く違うんだ。

(いまだったら婚約もしてないし引き返せるけどどうする?)

この人をもっと理解したいという気持ちと、この人に一生理解してもらえないかもしれないという気持ちがないまぜになってぐちゃぐちゃだった。いままで人間は「共感」するものと思いながら生きてきたのに、結婚して一番近くなる人に共感してもらえないことの絶望がただそこにあった。

ひとつ息を吐き、冷静になってみる。芸術はいつも、わからないところからはじまる。誰かの、何かの、真実なんてどうせ実際にはわかったつもりになっているだけなのだし、毎回わからないことに出会えるほうが人生面白いに違いない。

それで、覚悟が決まった。



さて、今年の8月。お盆は直前まで帰る予定にしていたが、世情を鑑みて取りやめた。そしていま、京都は大雨で住んでいるエリアへの避難指示アラームが10分おきに鳴っている。夫は避難したほうがいいかも、と言いテキパキと準備を始めた。

(やっぱり無人島でも生きてけるわ、この人は)

6年経ったが相変わらずわからないことだらけだ。一晩中話し合ってもぶつかってばかりだし、わたしはやっぱりまだわかり合いたいという気持ちは捨てきれていない。けれど、わからない分だけ前向きに対話しながら生活をしていける夫婦関係でよかったな、と今はそんな風に考えている。

タニアヤミ



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