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語ることができるということ/非対称の重さ

(220808)まや
暑い。
先日はアマヤドリ「抹消」観に来てくれてありがとう。
バラシまで手伝ってくれて。
なんだか懐かしいというか昔馴染みなメンバーが観に来てくれて嬉しかったなあ。
こちらもいろいろ書きたいことはあるような気がするのだけど、
まずは干城さん、ざっくばらんにどうでしたか?

ハラスメントのことを取り扱った作品だから、
感想言うのもなんだか憚られる部分もあるだろうと思いつつ。

※本文の中に、アマヤドリみちくさ公演「抹消」に関するネタバレを部分的に含みます。(8月上旬に公演が行われ、9月に再度上演されます)

(220809)干城
たしかに、なんか変な懐かしさを感じたなあ。
ざっくばらんにねぇ。バラシの後というか広田さんと荷返しに行った車中でも、観劇直後だったこともあるけど、語るのが難しかったな。
ここでの難しさもあるけど、まずは、まやのコメントに返事をする感じで始めてみよう。


コミュニケーションとハラスメント

ハラスメントを扱った作品というより、コミュニケーションの不全を扱った作品という感じに僕は受け取った。
TwitterやSNS、ネット、メディアを介して見てきたような、
また、実際に自分が体験したことのあるような種類のコミュニケーションの不全が、
結構なリアルさと強度でもって表現されていて、僕は観ていて結構しんどかった。(フィクションとしての距離をもって受け取れなかった)

僕がここで不全と言っているのは主に、「攻撃性が強く持たれている」というようなことと、「言っていないことを受け取られる」というようなこと、その混在なのだと思う。
これってもう破綻に向かっていくしかないよな、って僕は思っちゃう。(どのようにか、そこから回復することができるのだろうか)

それのきっかけの事件が、今回の作品の場合は、ハラスメントだった、っていうふうに僕は捉えてる。
(でも、ハラスメントとコミュニケーションの問題って、僕はいまここで分けて捉えてみたけど、はっきりと分けられるものなのだろうか? わからない。分けて考えたいように僕は思うけど、完全に分かれるものではないとも思う。)

これはでも、返事をする形で書いたのだけど、印象としては僕が一番大きく受け取ったもののように思う。


(220810)まや
感想ありがとう。おもしろいなあ。
コミュニケーションの不全…確かに「攻撃性を強く持たれている」のも、
「言ってないことを受け取られる」のも、当たり前だけどめちゃくちゃきついよね。

今回の台本というか役、稽古の序盤ではもっと感情を抑えた感じで演じていたの。
台詞自体が、意図的にかなり回りくどく書かれてる、というか、
反対意見に対する配慮や理解を前置きでたくさん重ねるものばかりで、
カッとした勢いで話すようなところはそんなに多くなくて。
私の演じた役は経営者で、対峙するのは従業員でもあるわけだから、
そこまで強く出られないんじゃないか?という想像もあったりして。

稽古をする中で広田さんから、
「もっと感情的になるところはなってほしい」
「あんまり冷静すぎると星麻の演じた役(仲裁役)が必要なくなる」という話があって、結果的には自分として当初想定していたよりかなり激しく演じることになった。
こんなに激しくていいのかな?と思っていたのだけど、
広田さんは最初から「潰し合い」を描きたかったみたいだから激しいぶつかり合いがきっと必要だったんだよね。

役として相手を攻撃したいと思っている瞬間はかなり少なくて(1カ所だけ意図的に攻撃してるけど)、相手役のかずが演じた塾講師も、私の演じた経営者とできればぶつかりたくないと思っていたと思う。
それなのにお互い攻撃してしまう、
干城さんの書いてくれた「攻撃性を強く持たれているもの」と見えてしまうのも納得だし、
でも、攻撃したいなんて思ってないのに…的なところが本当救いがないよなあって感想読んでて思いました。

「言ってないことを受け取られる」は、本当きついよね。笑
言葉に責任を持つことに繋がると思うのだけど、わかるけど、
私は日常で結構適当に言葉を扱ってしまうので、自分はせめて相手に対して逆の力を磨こうと思い始め、そう考えてからは楽になった。
逆っていうのは、表面上の言葉はともかく相手の真意を汲む(もしくは思い込む)力。
もしくは聞かなかったことにする力。スルー力。

思い込むとかになるともはや次元が違うけど、もうさー。
そうしないとやってられない時もあるのだよね。笑
言葉にそこまで神経張り巡らせて生きている人ばかりじゃないし、
私自身が、言葉の扱いに気を使った上でテンポ良く話すのって至難の業で。
まあ公共の場で話すような人はそれを求められるから、失言もそりゃしますわな。

ハラスメントとコミュニケーション、分け難いというかグラデーションだと思う。
ハラスメントの線引きって本当に難しい。
今回の劇に出てきた「塾で先生が生徒に筋肉を触らせる」という行為、私は全然オッケーじゃん、と正直感じてしまう。
でも演出助手に入ってくれてた大学院生の子(塾講師のアルバイトもしたことあるらしい)からすると、
絶対にNGと感じたそうで、多分同世代の子はほとんどセクハラだと感じると思う、と聞いて。
ジェネレーション・ギャップもあるのだね、と稽古場でも話題になった。

パワハラとかも本当線引き難しいというか、
当人同士の関係性や気質にも大きく左右されるから…。
それに、こんなこと書いたら叩かれるのかもしれないけど、
今振り返るとほぼパワハラだったんじゃ?っていう言動を過去に複数の人から受けてるし、
その時嫌だなあと感じて、嫌ですと言えなかったりもしたけど、
ありがとうって思えることばかりじゃないけど、
それも含めて乗り越えてきたから今がある、的なことを思ってしまうのだよね。

逆に言えば、劇団の後輩たちにも少なからずパワハラみたいことをしてしまったという自覚もある。
だからと言って全ての人がそういうパワハラに近い関わりを受け入れろ、乗り越えろ、と言いたいわけじゃないんだけど…
とにかく線引きが難しいのと、
パワハラになるんじゃ?って不安を抱くと、人との関わりが薄くはなってしまうよね、どうしても。

かなり書きづらいと思うけど、
干城さんは自分が受けてきた/行ってきたハラスメントだったり、
自分以外にまつわることでもいいのだけどざっくり、どんな風に感じてる?


(220811)干城
たしかに言われてみると、僕は、感情的になっているということを、攻撃性というものとして受け取っていたところもあるのかもしれない。
ただ、攻撃的なものは元から戯曲に描かれていたことだったりもするのだろうし、演出として感情的なことが選ばれたということなんだね。
落とし所を見つけようとしているようには書かれていないように思うし、何がその人をそんなにブーストしているのだろうっていう想像力が働いたし。

(僕、広田さんは今回やりたかったこと、描きたかったこと、かなり達成しているんじゃないかと思ってる。事前のインタビューがすでに解説みたいになってるくらいに思う。)

役というか、演じている人というか、本人というかが、「攻撃したいと思っていない」のは、理解できるのだけど、
あのやり取りのなかで、相手から「攻撃的に来られている」、相手から(私は)「攻撃性を強く持たれている」って受け取っていたりしないの?


言葉の扱いと認知。裁くこと。重さ。

言葉の扱いは、相手との関係によるのだろうね。(言葉の扱いに限らず、結構多くのことが相手との関係によるのだろうけど。)
まやの言う、「言葉はともかく相手の真意を汲む」っていうのは、僕にとっては、「言っていないことを受け取られる」と、どこかつながっているもののようにも感じる。
「相手の真意を汲む」には、それぞれの理解(知性)とそれぞれの文脈(関係)が必要なように思う。

だから、というか、関係性が薄いためにか何なのか、はっきりと言葉にされないときに、僕はかなり戸惑うときがある。
そういうようなとき、スルーできればスルーする。
スルーできない場合とかは、結構はっきり聞いたりしちゃうのだけど、
「干城さんは、たぶん自覚しているより、きつく怖くとられることがあるから気をつけなよ」と言われたことがあって。
自分としては割とフラットな態度のつもりでも、攻撃的に来られているように思われていることがたまにある。

また、「干城くんは嫌味が効かないよね」と言われたことがある。
僕は、僕自身に直接向けられた悪意には、割と鈍感なようだし、あるいはそのときどきで何かしらの対処をしているのだろうと思う。
ただ、自身でも周りでも、悪意や攻撃性を観察できてしまうようなときは、結構くらう。

ハラスメントは、相手がそう感じたら、という仮定条件だと、誰も、したことがないって言えないんじゃないのかなと思う。
僕は、整理して整備されるべきものはもちろんそうしながら、そのときどきの個別具体的な関係によって、ある程度の幅をもって捉えられる方が穏当なように思う。

「塾で先生が生徒に筋肉を触らせる」のも、劇中で争点になっていたところでもあるけど、状況とか関係とか色々によって、だいぶ捉えられ方は変わってくるように思う。
まあ字面だけで、「塾で先生が生徒に筋肉を触らせる」って見ると、僕はちょっと嫌だなとは思った。
でもこれに限らず、僕が嫌だなと思うことと、それが社会的にNGかどうかはまた別の話だし、個人の好悪で何かが社会的に裁かれるべきではないと思うし。
と書いてきて思ったのだけど、ハラスメントの難しさは、誰が裁くのか、っていうことの難しさでもあるのかな。

僕も多少の理不尽な暴力みたいなものは受けてきたと思う。
自分で受けてきておいて、それらをある種受け入れてはいて、パワハラとかハラスメントってあんまり呼ぶ気になれないのだけど。(それはギャップのある感覚なのだろうか。)
そういう暴力って、ある程度当然のようにあったもので、当時そのときどきではとてもつらい思いをしたのだけど、僕はいま特には問題ない。

でもこれも書いてみて改めて思ったのだけど、相対的に幸運だし恵まれている人の言葉だよね。
自分の言葉(あるいは感覚や意見)は、基本的にはそういうところから発せられているものなのだと思う。
それはなかなかに変えようがないように思うのだけど、なんというのだろう、落とし所は僕に近いところであれと思ってはいない。
僕にとって問題がないから、それで社会的にOKだとは思っていないし、社会が自分の感覚に近しいべきだとも思っていない。

なんというか、目標みたいなもの(色々と言い換えができると思う)が共有されると良いように思う。
あるいは、日本では、というか、それは場合によっては「空気」と呼ばれていて、勝手に共有されていることにされてしまっているものだったりもするのかもしれないけれど。
でも、空気を読むみたいなことでなく、それぞれが何を求めてどこに向かって共に歩を進めるのかを共有しながら、ときどきで落とし所を見つけられていくと良いなと思う。

なんか、まやが割とざっくばらんに書いてくれているところに申し訳ないのだけど、僕はあんまりざっくばらんには書けなかったように思う。
思っていないことを書いたりしているわけではもちろんないし、むしろこういう機会、こういう場だからこそ、考えていることを結構ちゃんと書いたようには思うのだけど。
センシティブなテーマについてオープンな場で語るようなとき、あまりにも私に寄った感覚や意見をざっくばらんに公開していくことに、僕は割と抵抗を感じていたりする。


(220813)まや
ハラスメントについての考え、教えてくれてありがとう。

役としての攻撃性について質問してくれたこと、相手役はわからないけど、私は「攻撃的に来られている」と受け取っていなかった。
言動は明らかに無礼だけど、それは個性だから仕方ない、
主張してる動機も彼なりの正義を通すためにやっていることで、
私を傷つけるためとか悪意に基づいてるわけではない、
と役として理解していたつもりだから、「攻撃」とは捉えてなかったかな。
最後まで、話し合えば絶対わかってくれると信じていたかも。

ハラスメントの難しさは「誰が裁くのか、っていうことの難しさでもある」と書いてくれてて、なるほど。
ハラスメントに限らず、被害者という存在が出てくる全ての出来事に当てはまる難しさかもしれない。
裁く役目としての司法だろうけど…
裁判になる前段階で社会的に抹殺(キャンセル)されちゃうものね。
なかなかネットとは無縁でいられないからなあ。現代。

そうなってくると改めて、裁くのは誰なのか。
ネット上に存在するまさに個人の集合体(Twitterでの拡散的な)という意味での「社会」が裁く結果になるケースが多々あるよね、今。

みんなが良識(というものが仮にあるとして)を持って声を上げられるのであれば、個々の言動によってちゃんと影響し合うことのできる「社会」には希望があるけど、なかなかそうもいかない気もしてる。
それこそ目標を共有することは理想だけど、とてもとても難しい。

キャンセルの動きが広がれば広がるほど、個人の好悪も大いに反映されてしまって、そこから先は憎しみを孕んだ争いになってしまうんだろうな。
干城さんの書いてくれたことに反論したいわけでは全くなく、
かなり共感した上で、改めて難しさというか、途方に暮れてる感じです。
誰が裁くんだろう。

そんななかでふと苦しいなと思うのが、被害者の発言力の大きさ。
みんなが一番耳を傾けようぜ、という対象になる存在。

加害者擁護なわけではないけれど、被害者の、
それこそ加害者の人生をある一面からは終わらせうる発言力がゆえに
「裁く」という行為の責任を結果的に被害者が背負うことになってしまうのは、それは重すぎるなあ。など。
だから被害者の感じたことが全て、にしてはいけないんだよね。むしろ。
その論理は被害者を追い詰めうる気がする。
そんなことを考えた。

何だか全然まとめられないけど…、笑
改めて途方に暮れることができて、作品も深まりそう。
来月も1日だけ公演があるので、こんなやりとりも生きてくるんだろうな、ありがとう。ではまた、来月。



小角まや、干城の記事はこちらから。https://note.com/beyond_it_all/m/m5e18eb4b7f06


読んでくださり、ありがとうございます。 このnoteの詳細や書き手の紹介はこちらから。 https://note.com/beyond_it_all/n/n8b56f8f9b69b これからもこのnoteを読みたいなと思ってくださっていたら、ぜひサポートをお願いします。