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ありがとうを100%で伝えたいからこそ、ダメージ受けてるみたいだ
こんにちは!
北海道は寒いです。雪が積もりはじめました。
この数週間は低空飛行を続けていたのですが、
ようやく雲の上に顔を出したような気分。
お日様が当たって、あぁ生きてるって幸せだなって思えた今日。
久しぶりにnoteを更新しようと思えました。
コメントを下さった方のひとことも、私の背中を押してくれます。
いつも感謝しています⭐︎
そう、この感謝するという気持ち。
ありがとう、と心から込み上げる気持ち。
これって、自分が満たされていないと100%になって出てこない。
30%だったり、50%だったり、「ありがとうございます」という言葉だけだったり。
その濃度は相手に伝わるから、私はいつも100%の感謝を伝えたい。
だから、上部だけのありがとうは、言いたくない。
それなのに、【ありがとうは言うべきだ】と空気を読んできた結果、自分の首を絞めてるなと思うのです。
小さい時、私は『感謝する気持ち』は当たり前というか、ありふれているから特別な感情ではないと思っていたようで、ありがとうを言うのはなんでなの?という子だったと思います。
(育てられた環境が悪いとか、しつけが云々とかとは違う話ですよ)
私にとって、
草花が咲いているとか、
朝と夜がくるとか、
蛇口をひねれば水が出るとか、
爆弾が飛んでこないとか、
そんな日本にいると当たり前のことが、当たり前じゃなく奇跡みたいなことでした。
でも、周りの友人や大人たちは草花や昆虫がいることにいちいち感謝の気持ちを表していない。
水を飲むたびに「ありがとう」を言わない。
今日も夜が来てお布団で眠れることに特別さを感じていない。
それなのに、お土産やプレゼントを渡した時に、
笑顔でありがとうを言うのはどうしてなの?
平気で道にゴミを捨てるのに、自分の物を拾ってもらった時はありがとうと言うのはなぜ?
なんで感謝するところと、しないところがあるのだろう?
こんな感じで、
周りからは捻くれている子、素直じゃない子と思われていたでしょう。
それでもお礼、感謝、その必要性を歳を重ねるたびに考えて、身につけてきました。
何かをもらえば『ありがとうは?』と諭され、
学校では気持ちの整理がつかないままの「ありがとう」「ごめんなさい」の練習。
社会に出ると「ありがとう」を言う場面での「すみません」の代用。
ありがとうを遣う場面がはちゃめちゃで、思考がついて行けなかった。
夕日を見ながら「今日もありがとう」と涙が出るのに、買ってもらった商品には「ありがとう…」とちょっと困る。
性格悪いやつ!!と思われてきたんだろうな。
あんまり喜ばないよね、とガッカリさせてきたんだろうな。
大きくなって自分の心と向き合った時に、
私には“周りへの感謝”が足りないと自覚しました。
こんなにも地球に感謝しているのに、どうして⁈
どうして小さなやり取りで「ありがとう」を消費しなくちゃいけないの⁈
そんな小さな頃の自分の声が聴こえてきたのですが、
人間として生まれてきて、この社会で生きていくうえで大切なことなのだよ、と言うことしかできなくて。
感謝できない自分。
ありがとうを100%で相手に渡せない自分。
この苦しさを抱えて今を生きるのは辛くて。
100%じゃなきゃ相手に言っちゃいけないと
頑なに強がる何かがあるのだろうな。
まだそこが見えていないけれど。
だけど、だからこそ、
私が今まで「ありがとう」を伝えた言葉に嘘はないし、本気で届いてほしいと思っている。
少しだけ「こんな私でごめん。」が混じっているかもしれないけど、それでも相手に対して誠実でありたいと思う。
私にとって「ありがとう」は「愛してる」と同じくらい大切な言葉なんだ。
最後まで読んで下さりありがとうございます⭐︎
↑↑↑
ここでありがとうを遣ったら「それ何%のやつ?」ってつっこまれそう笑
もちろん、100%♡
うん、この感じ。
心から読んでくれてありがとう〜って湧き出る感じ!!
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