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現実との境界線

田舎者の私にとって、東京の巨大なビル群はまるでスクリーンに映し出された映像のように現実味がない。

あのビルの一つ一つ、灯りのついている部屋には人がいる。

当たり前のことなのに、不思議な気分になる。

電車で数時間、そう遠くない東京には生まれ育った町とはまるで違う景色がある。

たくさんの人が行き交い、それぞれの生活がある。

電車の車内から見える景色の中にも人々がそれぞれに生活し、それぞれに悩んだり、泣いたり、笑ったりしているのだろう。

自分もその中の1人なのだけど。

昨日。自分の足で大好きな人に会いに行った。

それは遠く遠く手の届かない所にいる人だけど。

表情も細かい仕草も見えやしない。

私がその目に見ているものは本物かどうかわからないステージ上を動き回る人と、スクリーンに映し出されるその人である。

うん、ライブに行ってきました。

1人で行動するのは苦手タイプですが、ライブに限っては1人でどこにでも行ってしまいます。

大きなアリーナで天井に近い方の席。

一万人程の来場だと言っていた。

開演前、見渡せば沢山の人々、老若男女がグッズのTシャツ、タオルを身につけて楽しそうに笑っていたり、静かにスマホを見ていたり、写真を撮ったりしている。

この光景も今の私の目には少し現実味がなかった。

コロナ禍でライブが開催すらできなかった時期を経て、こうやってまた沢山の人が集まるライブが開催されていることが奇跡的に感じた。

いつもならライブ前にはソワソワワクワクするのに、そういうものが一切なかったのは、あまりに自分が非現実の世界にいるような気分でまるで人ごとのように感じていたからかもしれない。

「今日、楽しめるかな…?」

そんな不安すら感じるほどであった。

しかしそれは杞憂に終わる。

「そこにいるのが本物かどうかすらわからない」

など冒頭ほざきましたが、その本物かどうかすらわからないその人が登場した瞬間に号泣。笑

いや、だって紛れもなく本物だった。

本物だったし、現実だった。

音楽も、言葉も、空気も、その日そこでしか味わえない現実。

そこにいる誰もが同じ空気を吸って同じ現実を味わったのだ。

不思議なものだね、

年齢も、住んでる場所も、性格も…みんな違う、それぞれの人生を歩んでる人がその日そこに集まってる。同じ目的のために。

そんなのライブに限ったことではないけど、面白いことだなと思う。
素敵なことだな、とも思う。

音楽に、言葉に、また生きる力をもらったので、背中を押してもらったので、明日からも頑張って生きよう。しっかり生きよう。

そんなことを思った素敵な夜。

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