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Mr.Childrenの中から俺の好きな曲を挙げていくだけ⑥

 どうもべっちょです。


今回は相当深く(色んな意味で)、久々に共鳴してしまったので、これ書いてる時は相当メンタル来てました。

あと前回の予告では「シングル1枚」って言ったけど、構成上2枚になってしまった。ごめんな。


①Dive~シーラカンス~深海(アルバム「深海」収録)

○この3曲は揃ってこそ成立する「現代組曲」、ないし「ノンフィクションからの再構築劇」。

まずDiveは「序章」
「prologue」とは違って完全にシーラカンスとセットなので、シーラカンスへどうやって繋ぐか、そして「曲単体としての完成度」をどうやって高めるかが一番難しいところ。
現代的チェロソナタで導入していくのを決めたのは恐らくコバタケ。
コントラバスだと重すぎるし、ヴィオラだとシーラカンスのアコギと音域が被ってくる。良い感じにチェロ・シンセ・サンプリングと重なっていくのがなんとも心地よく、シーラカンスへとシームレスでアコースティックギターのルート音からのスローストローク、アルペジオに繋がる(ここのストロークがスローなのも強い)。

シーラカンスは「第一楽章~第二楽章」
「自分のレーゾンデートルを深い海の底から問いかける」3:17までが第一楽章で、そこから激情を抑えきれず、「誰かの記憶に残りたい、自分の心の中で『君を見つけたい』」という4:41までが第二楽章。
解釈していけばわかるが、「自分には何の意味も価値も無い」失望から「自分の価値を認めさせようとする」という慟哭へと変わっていく転換点。
曲順としてもシームレスで「手紙」に繋がるのだが、そちらは「ありふれた~」との組曲になっている。

深海は「第三・第四楽章・終章」。
第二楽章で慟哭し、それが伝わった「誰か」にナビゲートを頼むが、シーラカンス自身も「どこへ向かうのかわからない」(第三楽章)ので、二人で探そうとするのだが結局同類なので全く見当もつかない。(第四楽章)
その絶望に共鳴した「誰か」もシーラカンスの様にレーゾンデートルを求めて水底へ沈んだまま終わってしまう「終章」。アルバムもここで終わる。

この三曲だけで当時のMr.Children(というか桜井和寿本人)が如何に暗黒期であったかが伝わると思う。
このアルバムが一番好きな俺も大概だが、シーラカンスの気持ちに共鳴してしまったから仕方ない。
このアルバムは、文字通り「Dive」しないと恐らく一般のファンには無理だと思うが、一曲一曲丁寧に聴いていけば、その時の「感情」どころか「息遣い」まで聞こえてくる。

ので、今回は「明るくないメッセージソング」で縛っていこうかなと。


②花 -Mémento-Mori-(シングル、アルバム「深海」、ベストアルバム「Mr.Children 1996-2000」収録)

○正直、全てにおいて「重い」。

シングルカットされた曲なので聴いたことのある人は多いだろうし、この記事を読んでいるミスチルファンは「これが一番好き」と言う方も多いと思う。
が、あえて言わせて。
ミスチルでこんなにキツい曲、そうそう無いよ?

・日常に溶け込んでいく自分
・自分なりに「悲しみ等の負の出来事」を「優しさ」に変えていく決意。
・周囲がどうあれ、マイペースで行こうとする決意。
・「等身大」を「最大限」に変えていく努力。

●これら全てが「将来的には無駄になる」とわかってしまっている。愛や夢どころか孤独すらも。
●その中でも、何とか「散り際まで精一杯の満開の花を咲かせよう」と言う虚しいメッセージ。

「Mémento-Mori-」=死を思え

これを花の散り際と人の死に様、両方に例えている。

○この曲の表メッセージ

・「どうせ死ぬなら今を楽しめ」
これが希望側のメッセージ。
「範馬刃牙」でゲバルが言っていた「死ぬには良い日だ」と同じ解釈でいい。
ただ、「人の無情」というメッセージソングが多いこの時期の曲に深海からの先行シングルなので、表向きの希望メッセージはセールスの為に必死に捻り出したんだと思う。元々「死を思え」なのに、曲解されて前向きな意味になったらしいし。

本当に重い歌なのに、美しいメロディで紡げてしまうのがMr.Childrenの罪深いところでもある。


③掌(シングル表題、アルバム「シフクノオト」、ベストアルバム「2001-2005 micro」収録)

○「掌イズム」の代表

まず、曲の説明の前にこの曲のかわいそうなところを説明しよう。
・シングルでは「くるみ」と両A面で1曲目。
・シフクノオトでは「くるみ」の前の位置。
・ベストでは「くるみ」(ry

掌が何をしたって言うんだ!

いや、俺この曲めっちゃ好きなんだけど、なんというか、制作サイドが無意識に「「くるみ」の前座」的な扱いしているのがね…絶対無意識なんだよこれ…
両曲、完全に別のベクトルでパワーが違うんだけど、一般ウケするのは「くるみ」なもので…

・まあ、この曲の特徴やっていきます。

・そもそも「掌イズム」とは?

俺が名付けた。
「掌返し」「ヤマアラシのジレンマ」「虚実」「俯瞰」を著した「表裏一体」の表現。この後のMr.Childrenの曲(フェイクとかね。その内やります。)に大きく影響を与えていくので、作詞の分岐点でもある。

・Mr.Childrenの他曲での例(この曲がリリースされる前の曲から抜粋)

「簡単そうに見えてややこしく 困難そうに思えて容易い」(ラララ)
「様々な角度から物事を見ていたら自分を見失ってた」(innocent world)
「矛盾しあったいくつものことが 正しさを主張しているよ」(NOT FOUND)
「自分だって思ってた人が また違う顔を見せるよ ねぇそれって君のせいかな」(同上)
「真実からは嘘を 嘘からは真実を 夢中で探してきたけど」(Any)

パッと思い浮かんだのはこれぐらい。
これから上述の曲もこのシリーズの中でやっていくんだけど大丈夫かな…まあ、なるようになるか…

んで、掌は全編に渡って「ヤマアラシのジレンマ」と「表裏」を著しているので「掌イズム」と名付けた訳です。
この曲はMVも素晴らしいし、何より公式がYouTubeに上げてくれているのでありがたい。

これ、逆再生含めて「表裏」なんよ。

あと、歌ネットで歌詞を。読めばおわかりの通り全編に渡って反語とジレンマ全開。思春期か?

「一つになれないけれども、それはそれでいいじゃない」という旨の歌詞なんだけど、「でも一つになりたい」というジレンマの歌詞。エロティシズムも素晴らしい。
コーラスもよく聴いてね。

問題は、この曲はライブでほぼ原曲で歌われることがないということである。なんでだろう?ライブバージョンも好きなんだけど、最後の転調が無いのはさみしい。


■おわりに

①だけが特殊に見えるけど、実はそうでもない。

当然「深海」は一番聴いているアルバムなので思い入れがある(特にシーラカンス)のは当然なのだが、「掌」もシングル、アルバム全部で買ったので(実はベスト買わない派なんだけど、ミスチルはね…買うよね…)、この曲の特殊性は昔から気付いていた。花は「優しい歌」のC/Wバージョンを聴いてから違和感に気付いて空恐ろしくなった。
どこかでこの5曲をまとめて紹介出来ればなと思っていたので満足です。
入手のしやすさはピカイチなので是非。

上記の通り、「優しい歌」のC/Wにもあるから、そっち買ってサブタイ無しの「花」の方を聴くなよ!歌詞は同じだけどそっちはそっちで別のタイミングでやるから!



あ、あとこのシリーズ⑳まで延長します。⑳の理由は変換で「⑳」までしか出てこないからです。

ではまた。

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