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雑踏で踵をよく踏まれるのはなぜだろう?と考えて書き始めた雑記

■今日もちゃんと踏まれましたよ

 街中を歩いていると、靴の踵をよく踏まれます。通勤中の混雑時は特に多いです。そのたびに、世間と足並みがそろっていない自分を確認します。あえて合わせることもしませんが。

 今日も2回ほど踏まれましたが、他人の踵を踏まない自信はあります。目を開けて歩いていれば、前の人との距離感はわかりますしね。踏んじゃう人は、慌てていたり、考え事をしていたりするんでしょう。

■車に乗らなくても車に轢かれる可能性はある

 誰しも「加害者」にならないように意識することはできます。筆者は運転が得意ではないので、できるだけハンドルは握らないようにしています。免許証の返納も考えているくらいです。

 先日、道路の端を歩いていたら、後ろから車が身体スレスレのところを通りすぎていきました。場合によっては、轢かれてもおかしくない状況でしたが、防ぎようもありません。

 誰かに危害を加えないよう気を付けていても、自分が害を被る可能性をゼロにすることはできません。「加害者」にならないよう細心の注意を払いつつ、いつでも「被害者」になってしまう想定は必要ですね。

■BGMはミスチルで

 ミスチルの『タガタメ』という曲に、「子供らを被害者に、加害者にもせずに・・・」という一節があります。ちょうど子供が生まれたころに出た作品でもあり、心掴まれた言葉です。

名アルバムですね

 「被害者」と「加害者」を同列に捉えている感性がスゴイと思いました。「加害者」も「被害者」も紙一重、確かに「加害者」の中にも何らかの被害性を感じます。

 踵を踏んじゃう人も、きっと何かの「被害者」。行きたくもない会社に急いで行かなきゃならなかったりして、心を亡くしてしまうんじゃないかと思っています。

 一方で、被害者意識が行き過ぎると、やがて攻撃的になることがあります。「こんなに踵を踏まれる自分はかわいそうだ。踏むやつも悪いが、こんな社会にした国が悪い!賠償しろ!」というのは、極端ですが。

■鬼滅とか、アドラーとか

 上弦の肆・半天狗みたいな感じですね。

被害者ぶる鬼=最強の弱者

 職場にもこのタイプ結構います。仕事がうまくいかない人を面談すると、「かわいそうな私、悪いあの人」のループが延々と続きます。しばらく聞いてあげて、「で、どうしたいの?」と返すと、ピタリと止まります。

アドラーの三角柱

 ただ単に、被害者でいたいんですね。リアル半天狗をまとも相手しているとキリがありませんが、あまり冷たくすると今度は自分が加害者に仕立て上げられるので厄介です。

■お詫びと御礼

 さて、踵を踏まれた話から、まとまりのない文章を書き連ねてしまいましたが、1000文字を超えてきたので、この辺にします。あくまで、雑談テイストな記事ですのでご容赦ください。

 最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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